最近ブログのコメント欄を解放しました。
理由はこれまで一方通行でブログを更新しているだけだったけど、それじゃあブログも書き手である自分も成長しないと思ったから。
あと、SEO的な観点で(ボソ)
さすがに1年以上続けて更新しているもんで、一日の中で多くの人がこのブログの何かしらの記事を読んでもらえるようになった。
ほとんどがグーグルやヤフーやその他の検索サイトから解決したい事を入力してやってきてくれる。
うん。
ってなると気になるじゃん?
実際にこのブログを読んで、どう感じるのか。
少し前までは、各々考える事は違うからコメント欄なんて必要ないと思っておりました。
メンタルも弱いもんで「このクズが!」とか「バカ野郎!」って言われるのもめっちゃ怖かったっす。
だからコメント欄は作っていませんでした。
はい。
私は世の中の人間の半分くらいが「結構傷つく事を平気で言える奴」だと思っておりました。
本当に優しい人などこの世には少ししかいないと思ってた。
これって、つまり自分がそんなに優しい人間ではないって事なのかもしれないけど、とにかくビビッてコメントを禁止してたってわけ。
で、つい最近、思い切ってコメントを解放したわけでございます。
そしたら私が書いたブログの感想や別の考えを持った人の価値観などが届くようになりました。
私は確信しました。
この世は私が思っているより遥かに多くの優しい人がいる。
だって、誰も「クソだ!」とか「バカ野郎!」なんて言わないんだもん。
優しい人ばっかりだ。
コメントを解放する前の私のように、「この世は鬼で溢れてる」と思っている人に伝えたい。
そんなことねーよ?
むしろ優しい人の方が多いよ?
今回はそれを思う存分伝えたいのです。
だから、読んでくれ。
優しい人がどれだけいるのか、わかって欲しい。
この世は優しい人で作られてる。
信じろ。
私がそう信じる理由をゴリゴリに伝えます。
悪い奴ばかりが目立つから。
この世の悪い奴は、目立つ。
どう目立つかって言うと、ニュース番組や新聞やネットニュースを見てりゃわかる。
圧倒的に悪い奴ってのは何かとニュースに出て来る。
むしろニュースになるのは悪い奴ばかりだ。
「こんな極悪人がいるのか…」って報道が続くと、不思議と世界中にそういう奴がたくさんいるんじゃないかと疑いたくなる。
なるよ。
そりゃなるさ。
だってニュースになってるんだもん。
200万人の中で一人だけが悪い奴だったとしても、そいつは目立つんよ。
目立っちゃうもんだから怖くなるんよ。
「あっちにもいるかもしれない」「あそこにもいるかもしれない」って考えるんよ。
優しいと思っていた人に騙されたりなんかしたら、その後は「誰も信用しちゃいけない」って考えになって当然だ。
もはや自然現象。
気が付いたら、実際に悪い奴に会うよりも、「悪い奴だと想像する」瞬間の方が多くなった。
どこに行くにも「必ず悪い奴がいる」って考えるようになった。
ニュースを見る度に「悪い奴悪い奴悪い奴」ってなる。
どこもかしこも鬼ヶ島。
しかもだよ?
普段はそれもわからないんだよ。
だって我々と同じ人間だからね。
悪い奴はもっと分かり易くしてもらえないものだろうか。
それこそおでこから角でも生えてくれていたらいいのに。
でも見た目じゃ全然わからねぇ。
それが問題なんだよね。
パンチパーマだろうが、金髪だろうが、まゆ無しだろうが、入れ墨だろうが、リーゼントだろうが、良い奴は良い奴なんよ。
優しい奴は優しい奴なんよ。
あれ?
って事は…。
やっぱり優しい人の方が多いじゃん。
だって見た目通りの悪い奴に会った事ってそんなにある?
ないでしょ。
ほとんど見た目とは裏腹に普通だったり優しかったりする。
鬼の格好をした鬼なんてそんなにいないんだよ。
でも、「万が一」って考え方は大事。
大事だけど、そればかりを気にしていると、この世は鬼だらけなイメージになる。
バランスが大事なんだけど、そのバランスっていつも悪い方に流されるんです。
それはね、単純に悪い奴が目立つから。
恐怖を与える程の悪い事をして、そいつが目立つから。
圧倒的に優しい人の方が多いのに、そいつらばかりがニュースのネタになるからなんよ。
ムカつく世の中だな。
優しい人はたくさんいるのに、それをたった一人の極悪人が否定してる。
私達はそんな極悪人から自分の身を守るので精一杯だ。
ほんと、悔しいよね。
ネガティブばかりが広がるから。
人の不幸は蜜の味。
昔から人の不幸話の方が幸せな話よりも広まるのが早い。
これはアメリカのどっかの研究結果でも明らかになっている。
ポジティブなネタよりもネガティブなネタの方が人に影響を与えるらしいのです。
で、悪い奴が目立つ時って基本的にネガティブなネタじゃん?
だからその影響もすぐに、広く、伝染していく。
悪い奴にはネガティブなネタがお似合いなので、それが広まるのも早い。
で、そんな奴がいるから近づかないようになる。
むしろ守る手段を考えたりする。
例えば「その悪い奴がいなくなった」ってポジティブなネタよりも、「悪い奴が現れた」っていうネガティブなネタの方が広まるのが早いわけさ。
次から次へと悪い奴がニュースに出て来ると「世紀末かよ」と思うでしょ?
あれね。
ごく一部の悪い奴が現れる度に「やばい世の中だな」って思うけど、実際のところは前の記憶が残ってて、それが思い出されたりするからなんよ。
絶対に優しい人の方が多いのだ。
それなのにネガティブなネタばかりが広がるから世の中が悪い奴だらけのような気がするのです。
ネガティブなネタをポジティブに報道する方法はないものかね。
ハッピーなニュースをネガティブに報道してみるってのはどうだろうか。
最近炎上商法ってのをよく耳にするけど、「ネガティブの広がりを利用した口コミ」みたいなもんでしょ?
商売なんでしょうがないんだろうけど、もっと違う使い方もあると思うんだけどなぁ。
なんだかネガティブな事ばっかりが人を伝って感染していくんだよねー。
そう言えば!
小学生の時に、絵のコンクールで入賞した事は全然広がらなかったのに、う〇こ漏らした事は一瞬で広がったのを思い出したわ。
あれって、つまりネガティブだから広まったんだろうな。
恥ずかしかったなぁ。
最初に誰かに言った奴。
悪い奴だと思ってたなぁ。
優しい奴だったら黙っていてくれただろうか…。
もし私が誰かに言う側だったら…。
面白いから絶対に言うね。
そしたら悪い奴になっちゃうな。
悪い奴に明日などない。
今、それなりの年齢になったけど、私の周りには「罪の意識」が全く無い奴などいない。
悪い事をしてしまったなら、反省する奴がほとんどだ。
悪い奴ってのが「罪の意識すらない奴」だとすると、そんな奴は私の周りに一人もいない。
って事はそもそも根っからの悪い奴ってのはそんなに存在しないんだろうな。
ニュースで報道されるような極悪人は希。
罪の意識がある奴が、ひょんな切っ掛けで、魔が差したように罪を犯してしまったのだとすれば「罪の意識」は必ずある。
そんな奴がのうのうとこの世で生きていけるとは思えない。
毎日罪の意識に押しつぶされそうになるに決まってる。
懺悔したくなるはず。
でも世の中的には「悪い事をした奴はみんな悪い奴」になるんよ。
根っからの極悪人だとすれば普通には生きていけないのは明白。
罪の意識があるのなら今後の事を考えて行動するのが当たり前。
色んな考えや思いを通り越して罪を犯してしまうのがどれほどのリスクか、ほとんどの人がわかってる。
はず。
少なくとも私の周りにはそれがわからないバカは一人もいない。
「ダメな事はダメ」ってのは超当たり前なんよ。
それがわからない奴ってのはアホにも程がある。
そんな奴と友達にもなりたくない。
近くにいても嫌だ。
超絶嫌われるに決まってる。
悪は世の中の多くの人から嫌われるんよ。
って事は悪い奴の逆側にいる多くの人が優しい人で常識人だって事でしょ。
で、悪い奴は世の中の多くの人に嫌われて、明日も、その先も生きていけるか?
社会ってのは人と人の繋がりで出来てるんだから無理でしょうが。
悪い奴に明日などない。
悪い事をして、嫌われて、バレないように逃げて、罪の意識に押しつぶされて、どこにも行けなくなる。
悪い奴がいつまでものうのうと生きていけるはずがない。
私達のような存在がいるだけで、実は鬼退治の手助けをしている。
奴らはどうせ孤立する。
逃げ場も無くなる。
勝手に追い込まれる。
それが悪い奴の末路。
誰も悪い奴と一緒にいたくねーよ。
私は、罪の意識が低かったり、世の中から見て明らかに「悪い奴」と断定されるような奴と一緒にいたくない。
近寄りたくもない。
出来るのなら、「優しい人」と一緒にいたい。
誰もがそうでしょ。
てか、ほとんどの人がそうでしょ。
ヤバい奴と一緒になんていたくない。
い、た、く、な、い!
そう思う人がほとんどなんよ。
学生の頃は無理矢理にでもクラスの中で生活させられてたから悪い奴も中にはいたかもしれないし、そいつとも「うまくやっていこう」と努力しただろうが、少し大人になればそれを「どうすれば」って悩むまでもなく「嫌だ」と感じるものになる。
仕事でどうしても悪い奴と繋がりを持たなきゃいけない瞬間があったとしても、出来れば離れたいと思うはず。
「仕方ない」と思って悪い奴が傍にいる生活を泣く泣く選んでしまう瞬間があるのもわかってる。
生活の為とか、誰かの為とか…。
でもね。
「絶対に悪い奴と一緒にいたくない」って思って、それを実行したっていいんじゃないか?
今の生活を変えなくてはいけない瞬間があるかもしれないけど、問答無用で「嫌だ」って感じるならそうしたっていいじゃないか。
ダメなん?
「悪い奴と一緒にいたくない」って立派な理由だと思うけどなぁ。
それを「逃げる」とか「臆病だ」とか言う奴もいるかもしれないけど、「じゃあどうなってもお前が責任を取れるのか?」って話でしょ。
自分が「嫌だ」と思ってる相手となんか一緒にいれるわけがない。
それを解決しようと頑張ってみる選択もあるけど、それでもダメなら、最後は逃げちゃって良いんじゃないか?
だって、優しいから傷つけたくないんでしょ?
優しいから争いたくないんでしょ?
戦いたい奴らで集まってバトルしてりゃいいじゃん。
勝手にやってろ。
私は逃げる。
逃げ続ける。
その先に争いが嫌いな人達がたくさんいると思っているから。
いや、逃げてねー。
むしろ進んでる。
自分が望む方へ向かってる。
戦うのが正義だとか思ってる奴もいるが、私はそう思わない。
だって、悪い奴と少しでも一緒に過ごすのが嫌なんだもん。
「優しさ」の定義。
で、ちょっと考えたのです。
優しさの定義。
人それぞれだから「これが答えだ!」ってのが見つからないけどね。
今こうしてブログでぶちまけている私が「優しい」わけじゃない。
でしょうね。
なんなら極悪人同志が集まって「お前優しいなぁ」とかって話してるかもしれない。
極悪人の中の優しい奴ってウケるな。
優しくねーよ。
基準が違う。
「優しさ」ってのは自分の周りの環境や、考え方、価値観で基準が変わるんだろうな。
特定の人物にだけ優しい奴もいる。
動物にも、モノにも、思い入れが強ければ強い程、優しくなれたりする。
って考えると、極悪人にもきっと「優しさ」ってのはあるのかもしれない。
私には見えないけどね…。
その人にしか見えない優しさってのもあるんでしょう。
たまに聞くよね…。
ドラマとかでも、「私はあの人の優しさを知ってる」みたいなセリフ。
周りからしたら「知らねーよ」って話なんですけど。
それでも本人が「優しい」って思ってりゃ成立しちゃう。
周りの事を考えて、気を使って、合わせて生きていく事ですら「優しい」って言う人だっている。
人によるけど…。
人による事ばっかりだな。
優しさってのは!
「我慢」ではなく、「妥協」ではなく、「犠牲」でもなく、「与える」でもない。
全部なんよ。
だってそれは受け取った人が決めるんだから。
優しさってのは一人じゃ絶対に味わえない感覚なんだよ!
悪い奴ってのはどんどん孤独になっていく。
だから「優しい」ってのを味わえない。
優しさを味わえなくなったら、孤独になるかもしれない。
孤独になった理由は、自分が悪い奴だからかもしれない。
だとしたら、この世はやっぱり優しい奴の方が多いのだよ。
だって、いつも誰かと一緒に生きていこうって努力してるじゃん。
どうか感想をください。
これは確かにそうですね。
ほかの人と仲良くしたい、信頼関係を築きたいというのは人間の自然な状態なのだと私は思います。
親から十分に愛されなかったり、誰かからいじめを受けたり…それで「悪い奴」になるのではないでしょうか。