小学生の頃だろうか。
友達の間でエアガンが流行った。
男子だったからかもしれないけど、友達と「銃戦しよーぜ!」とか言ってよく集まって戦ってた。
凄く単純なゲームで当たったら次の戦いまで休憩。
弾を込めたりメンテナンスしながらどちらかが全滅するまで待つ。
それを毎日のようにやっていたことがある。
場所は通学路の途中にある森の中。
子供だったから細心の注意を払っていたかまでは覚えていない。
正直安全な遊びではない。
マスクは全員着用するルールだったけど本当に徹底していたかも謎。
つまり子供だけでエアガンで遊ばせるっていうのは基本的に危険と迷惑が付きまとうと思っている。
大人になって、子供を育てて、初めてわかること。
その時の自分に言いたい。
エアガンにハマっている子供に注意してほしいこと。
公園で銃戦をしてはいけない
公園っていうのは遊ぶ場所だけど「なにをして遊んでもいいわけじゃない」ってことは子供でもわかるはず。
あまりに楽しくて、夢中になって、結果的に迷惑をかけちゃうのが子供っぽさなのかもしれないけど、「エアガン」は「子供っぽさ」を超越した迷惑をかけてしまう可能性が大。
声を大にして言っても大。
あれは小さな玉が凄い早さで飛び出す作りになっている。
生まれたばかりの子供や、ベンチで読書をしている人、大好きな家族と散歩していたりペットを連れていたり、多くの人が譲り合いながらものどかな時間を過ごしたいと考えている。
一概には言えないけどエアガンっていうのは「武器」に近い。
私はその武器に憧れを持って、エアガンを手に入れ、友達と一緒に遊んでいた。
常に携帯しているような記憶があって、弾だって込められている。
いつでも発射出来るような状態ってこと。
それを「好きだから」「友達と一緒に遊ぶから」っていう理由だけで持ち歩いていた。
現代でそうしている子供がいるのかわからないけど、私が子供の頃はなぜかそれが許されているような感覚を持っていた。
もちろん銃戦をしない日でも公園にエアガンを持って遊びに行っていた記憶がある。
あれは、武器。
使わないのに、使うべき場所じゃないのに、持って行ってはいけない。
それは大人になった今、家庭を持っている今だから痛烈に思う。
自分の子供が持ち歩く事を選ぶなら圧倒的に間違っていると主張するし、そうしている子供がいる場所にはいかないし行かせない選択をすると思う。
そうすることで自由を奪っているわけじゃない。
道徳とか教育とかも関係ない。
「普通にあぶねーから!」って話。
威力を求めてはいけない
友達の間でどんなエアガンを持っているのかを見せあう儀式みたいなのがあった。
「お前のダブルイーグルいいじゃん。」
とか話をして盛り上がった。
別にそこにはなんの害もない。
何を持っているのかってのは自慢したいし評価し合いたい年頃。
ただ私達はそれに飽きると、実際に発射してどのくらいの威力があるのかも比べ出す。
缶を突き破れるか。
地面に売ったらBB弾が割れるか。
などなど、エアガンの性能についても比較するようになっていった。
缶に向けて放った弾の軌道がどうなるのか知っているか?
てか威力を調べるのなら密室や実験室でやれ。
って今になると思う。
案の定跳ね返った弾は誰かにヒットして問題になる。
誰かがケガをして初めて気が付くんじゃ遅いのに。
持っている「エアガン」を見せあって、評価し合ったり、あーだこーだ言い合うのは一向に構わない。
むしろ知識にもコミュニケーション能力向上にも役立つと思う。
ただ、地面にぶっ放して威力を確かめ合ったり、缶に向かって打ってみたりをするなら密室で、周りに人がいないところでやればいいだけじゃん。
外で話してて、その流れでトリガーを引いてはいけないってこと。
エアガンを持ってはいけないってことを言ってるわけじゃない。
トリガーを引くならそれなりの場所を選ぶ余裕はあっただろうに。
「普通にあぶねーだろ!」って話。
事故が起きる可能性も事故が起きない可能性もゼロじゃないんだよ。
生き物に銃口を向ける奴はアホ
友達同士のコミュニティーってのは小さな社会みたいなもので、それが例え「間違っていたとしても」半強制的に「大丈夫」って認識してしまう時がある。
説明書にも書いてある。
「生き物に向けてはならない」って。
それを破る奴が出て来ると例外と感じつつも次の瞬間には当たり前になったりする。
子供ってのはその判断がなかなか難しい。
大人になっても同じか。
しかも子供同士の中で作られた社会なんて雑だ。
瞬く間にルールが逆転したりする。
エアガンとは言え、弾が飛ぶ。
それを知っているくせに銃口を様々な生き物に向けたくなるらしい。
テレビや映画の見過ぎ。
見ても良いけど真似し過ぎ。
映画の中の状況と現実をごっちゃにしてしまう子供には正直その判断は難しいのかもしれない。
理由を話したところで「撃ってないし!」とか「撃つわけないじゃん!」とか言うだろう。
だからシンプルに生き物に銃口を向ける奴はアホだと主張してみようと思う。
説明書に書いてあることが理解出来ないアホ。
実際に向けられた側の気持ちになれないアホ。
「撃ってないし!」とか「撃つわけないじゃん!」とか意味が分からない事を言うアホ。
「銃口を生き物に向けるな」だけで理解出来ないアホ。
「撃つ撃たない」じゃなくて銃口を向けんなって言ってんの。
アホって言うか、「普通にあぶねーからな!」って話。
大人になってもわからないアホだっている
正直、大人になってもそれがわからないアホもいるのだと思う。
そういうアホが大人だとして、子供は大人の言う事もやる事も良く見ている。
そしてそれを真似したりする。
「だって○○さんだってやってたよ?」
それが大人だった時、正直落胆する。
何度も言うけど、「普通にあぶねーからダメ!」って話。
それは誰がやっていても同じ。
大人や子供じゃなくて、人として「あぶねーからやめろ!」って言っているようなもの。
全然難しい話じゃない。
すっげーシンプル。
シンプル過ぎて説明する気にもなれない。
「危ないから」だけ。
それを理解出来ないっていうのが良くわからない。
むしろ理解出来過ぎて困るレベル。
大人になればちゃんとエアガンを本気で楽しめる場所だってある。
インターネットがあるんだから調べたまえよ。
子供がどうしても「銃戦をしたい!」って主張するのなら叶えられる範囲で叶えてあげればいい。
その欲求って「本が読みたい!」ってのと同等なのかもしれない。
わからないなら教えてあげればいい。
「本当に楽しいエアガンの遊び方」を知らないだけか、それを知ろうとしないだけかもしれない。
もしくはめんどくさいと感じているか。
大人も子供も、エアガンは危なくない場所で、危なくない格好で、危なくない遊び方をするべき。
だからこそ「楽しい!」ってことなんじゃないだろうか。
言わなくてもわかってるとは思うけど、エアガンは弾を込めてトリガーを引くと銃口から凄い速度でBB弾が発射されるのだよ。
どうやって扱うかは想像すればわかるでしょうが。
どうか感想をください。