当たり前過ぎて太陽のありがたみを忘れてしまいがちになる。
今、私はすごく恥ずかしいと思うことを書こうとしている。
もし、それを実行した場合を想像すると、少し鳥肌が立つ。
いつも何気なく支えてくれている感謝の気持ちを目いっぱい伝える。
当たり前過ぎて、気にしないような事でもちょっと考えてみると「ああ、凄いわ。」と思ったりすることがあって、それは普段口にはしないけど、本当は言わなくてはいけないことだったり、言うと恥ずかしいけどそれなりにスッキリするし、場面によってはすごく喜ばれるかもしれない。
ただ、忘れてはいけない気持ちだと思っている。
当たり前になっていることでも表に出して伝えないといけない。
それが感謝の気持ち。
普段の生活の中でも恋愛でも、なんでも。
感謝の気持ちが伝わるなら、精いっぱい。
当たり前になっているものだからつい忘れがちで、いざ伝えようとすると恥ずかしい。
それは私が男だからなのかもしれない。
そういう性格だからかもしれない。
それは太陽に感謝するようなもの。
あって当たり前だと思っている。
でも無くなるとものすごく困る。
困るどころか自分が自分ではなくなってしまう可能性もある。
自分にとって太陽みたいに当たり前な存在だけど、最上級の感謝を伝えなくてはいけない人がいる。
恥ずかしいけど、伝えなくちゃ。
本当はもっともっと感謝するべき存在がそこにいる。
大好きな人へ。
私だけかもしれないが、一番最初に思い浮かぶ「太陽みたいな人」と言われると問答無用に大好きな人になる。
その人のおかげで普段から頑張れていることがたくさんある。
学生の頃なんて片思いだったけど、その人の存在だけでやる気がみなぎったりした。
部活も頑張れた。
妙に頑張る気になれた。
感謝の気持ちを伝えるとなると告白みたいになってしまうのでもちろん遠目からの感謝。
「好き」っていう気持ちはやっぱり原動力になる。
その原動力を持って様々な困難も最上級にカッコつけながら乗り越えてきた。
その片思いは実らなかったとしても、何年か経って感謝の気持ちが大きくなったりする。
あの時の片思いよありがとう。
おかげで数々の青春が作られたのだと思っている。
直接伝えることはなかったけど。
誰かを好きになるっていうのは太陽みたいな存在を作ること。
その代償として、曇ればどんよりするし、雨が降れば泣きたくなる日もある。
でも晴れている日のパワーでそれ以外の日が嘘だったかのように元気になったりもする。
あまりにも晴れた次の日はそのパワーが充電されていて、何日もパワフルに過ごせたりする。
喜怒哀楽の中で多くの感情を学ばせてくれた「恋」。
大好きだった相手だけじゃなくて、
その気持ちにも感謝をしたい。
あの時の恋がなかったら、今の恋もないし、これほどの喜びも悔しさもドキドキも知らなかったのだと思う。
とてつもなく嫉妬する気持ちもあって…。
よく考えたら、良い思い出ばかりでもなさそう。
苦い思い出ばかりのような気がしてきた。
とりあえず過去の恋愛や好きになった人に感謝をしておこう。
そのおかげで今があるのは確かだから。
支えてくれている人へ。
何気なく。
さりげなく。
私の毎日を支えてくれている人達がいる。
いつもいてくれるのが当たり前だと思っている。
支えてくれるのが当たり前だと思っている。
家族や周囲の友人。
この人達への感謝が一番忘れがちになってしまう。
一緒にいるのが当たり前になるとそれを伝えるのもなんだか恥ずかしくなる。
いつも返事をする時は、
「ああ。」
とか、
「おお。」
とか、
そんなものばかり。
それがいきなり、
「いつもありがとう!」
なんてなかなか言い出せない。
でも、
「伝えなくちゃいけない!」
とか
「むしろ伝えるのが当たり前だ!」
と、
どこかでいつも思っている。
私の知り合いには「いつも支えてくれている人への感謝」が習慣化している人がいる。
初めてその習慣を聞いた時には、
「あんまり当たり前に伝え過ぎて、逆に特別感が無くなるんじゃないか」
と思ったのを覚えている。
でもどうやら違うらしい。
感謝の言葉を伝えるのが習慣だから、
「それがなかった時」の気付きが圧倒的に早いらしい。
習慣化しているものが無くなる違和感をいち早く察知する。
そうすると何気なく毎日を支えている家族もすぐに対策出来る。
「なにかあった?」
が良い方ではなく、
悪い方を察知する方に使われている。
「大切な家族の幸せを維持する為に、常に感謝の気持ちを伝える習慣。」
我が家ではすでに「今更感」があるが、そういうのも悪くない。
むしろ関心した。
ところが、「感謝の気持ちを伝える」が「特別なイベント感」を持つ我が家。
こうなると習慣化までには時間がかかる。
それに、それほど不幸でもない気がしている。
むしろ感謝の気持ちを伝える方が
「なに?なんかあった?」
と内容も聞かずに疑われるかもしれない。
だから「サプライズ的な位置」に感謝があったりする。
そのサプライズを発動するタイミングに決まりはない。
だからこそ迷うし、恥ずかしい。
「感謝の気持ちを伝えない」が習慣化していると、「感謝の気持ちを伝える」がすごく特別な意味を持つようになる。
それはそれで我が家らしいとは思っている。
伝え方にもよるが、もっぱら喜ばれるだろうと高を括っている。
毎日の「ありがとう」を一気に伝える感じ。
日頃積み重ねた感謝の気持ちをそのタイミングでしっかり伝える。
それもまた、「家族や友人関係の幸せを維持する方法」だと私は思っている。
ただ、どんな形であっても感謝の気持ちは伝えないといけない。
恥ずかしくても、伝えないと。
その力を惜しんではいけないんだと思う。
習慣化していようが、していまいが。
全力の感謝は絶対に特別でありたい。
どんな状況にいたとしても「特別最大級の感謝」を使う時がなくちゃいけない。
そのタイミングがいつなのかわからない。
でも、そろそろそんな時なんじゃないだろうか。
毎日積み重ねてくれている「感謝」をそろそろ伝えなきゃ。
余さず使おう。
超最大級の感謝を伝えるタイミングなんて、人生で数えるほどしかないと思っている。
だからその時が来たら、これまで毎日支えてくれた感謝を何倍にもして伝えたいと考えている。
中途半端な恥ずかしい感じの「感謝」ではきっと自分自身も納得がいかない結果になりそう。
「まだ、もっと、伝えたかったのに。」
そう思うことが無いように、全力で伝えたいと思っている。
何かをプレゼントするのか、サプライズを企画するのか。
手紙を書くのか。
私は全てにおいて、そういう取り組みが苦手。
すごく苦手で、恥ずかしくて、出来るならやりたくない。
家族みんなが私をそういう性格だと思っているに違いない。
でも正直に言うと。
「だからこそ」伝わる想いがあるんじゃないだろうかと考えている。
当たり前過ぎて毎日の感謝を忘れている。
だからこそ「感謝される方」も「そんな事はあり得ない」と思っていたりする。
舞台は整った。
サプライズや思いもよらない展開を作るチャンスでもある。
自分の中で積み重ねてきた小さな感謝を目いっぱいお伝えする時。
積み重ねた感謝の気持ちを残してはいけない。
余す事なく感謝の気持ちを伝えたい。
それが出来たらすごく特別な日になる。
相手にとっても、自分にとっても、本当に素敵な瞬間になる。
今、私はすごく恥ずかしいことを言っている。
圧倒的にそういうタイプではないから。
むしろ真逆のタイプ。
「そんな事を伝えるまでもなく日々の生活の中から感謝しているのを感じ取ってくれ。」
と思っているタイプ。
でも言わなきゃ伝わらないことがたくさんある。
口に出さなきゃ伝わらないことがたくさんある。
「伝える」を放棄した覚えはない。
大切な人に感謝の気持ちを伝える。
恥ずかしいけど、精いっぱい頑張ってみようと思っている。
「いつもありがとう。」
そう言われたら、
こんな性格な私だから、
照れながら喜ぶと思う。
どうか感想をください。