世の中は「裏」で溢れているけど自分を見失っちゃいけない

小言

先の事を考えて、「○○もありえる。」「○○になることもあるかもしれない。」とグルグル物思いにふけていると、裏の裏まで読んでいるつもりが表に戻っている。

でも考えている時はそれに気が付かないものです。

まるでめちゃくちゃ先の事を考えているようでも、以外にいつも通りにやっているだけって感じに落ち着きます。

私の脳みそでは、裏の裏の裏の裏の裏を考えることが出来ないみたいです。

先の事を考えようと思っても、結局「いつも通り頑張ろう!」ってことになります。

たぶん、辛いことがあったり、それなりの困難が目の前にあると、それをクリアしようとして、色んな事を考えるんだと思うんです。

私がそういう性格なんだと思います。

そこで職場の先輩に言われます。

「裏の裏は表だから!考え過ぎずにやれ!」

辿り着くのは結局「今目の前の事を頑張る」です。

本当は目の前にある困難に対して「近道」を探したり、「回り道」を探したり、困難を乗り越えるっていうよりも「困難ではない」って思いたいんじゃないでしょうか。

楽をしたいんだと思うんです。

簡単に乗り越えたいって思っているんです。

でも、結局目の前にある困難に立ち向かう。

一時的に悪あがきをするのです。

だから少し先のことを考える。

裏の裏の裏まで読みたくなる。

…。

それって時間の無駄なの?

迷い過ぎ?

流され過ぎ?

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「裏の裏は表だから!考え過ぎずにやれ!」と言われた。

一枚のコインには裏と表があります。

紙にも裏と表があります。

裏も表も同じ場合もあります。

でも裏を確認しないと裏と表が同じことにも気が付かない。

2回ひっくり返すと表に戻るって話。

だとしたら表だけを見ていればいいんじゃないかなってことだと思うんですが、そもそも裏が無いと表ってわからない。

それなのに「裏の裏は表だから!考え過ぎずにやれ!」って仕事で言われたのです。

「裏を見ないと表ってわからんだろ」って思った。

「慎重過ぎだ」とか「考え過ぎだ」とか言われても、そもそも表かどうかわからないのによく「表だ」と決められるな。

あなたが信じている「表」は本当は「裏」かもしれないのに。

その確認が「慎重過ぎ」や「考え過ぎ」になるのかね。

いや。

ならんだろ。

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それが「本当に表か」確かめたい。

どうせ裏の裏を読んでも表になるならそもそも裏の裏を読まなくてもいいんじゃないかって思うかもしれない。

「だったら初めから表だけでいいじゃん!」って。

本当にそうだろうか。

私は考えました。

「そもそも表だけを考えて日々生きていく方が楽じゃん」と。

ただ、その場合だと裏を見る機会がありません。

一度裏を見てから、「やっぱり表っすわ!」って判断する方が納得がいくのです。

自分の中で。

初めから「表!」って決めちゃうと裏を見なくなるような気がするんです。

一応裏も見て、それから表を選んだ方が良いような気もするのです。

もし自分が表だと思って頑張っていたことが実は裏かもしれない。

飲食店のメニューの裏側にもっと美味しい料理が載っているかもしれない。

それって気が付いた時結構ショックなんです。

「え?え?」ってドッキリを仕掛けられたような感覚になる。

でもすでに裏を見ていたり、表を見ていたりすると、どっちが裏か表かわかるようになる。

ちゃんと確かめておいた方が良い。

じゃないと騙されそう。

簡単にドッキリに引っ掛かる奴になってしまいそうなのです。

テレビ的にはドッキリに引っ掛かりやすい人の方が必要とされるかもしれないけど、社会の中では表も裏も知っている状態でいる方が頼りになる。

ずる賢くなるってことではないけど、裏も表も両方見ている方が良いと思うんです。

その後で「表だな!」って判断するのか「これは裏だな!」って判断をする。

「裏の裏は表」ってのは無駄な時間を過ごしているわけじゃない。

「ただの表」よりも、自分が納得出来る「確かな表」に辿り着こうとあがいているのです。

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世の中は裏で溢れてるけど騙されてはいけない。

裏社会。裏アカウント。裏金。裏技。裏稼業。

なんか…。

ひねくれてるようなイメージ。

でもそれを世の中に広めたいと思っている人もいる。

それこそ裏の繋がりでもあるんでしょうかね。

「裏」ってなんか曲がったことをしているようなイメージを持っています。

「そんな世界があるのか!」と知って、それが役に立つとすれば、表がバカバカしくなる瞬間ってありませんか?

いつも好きで注文していたピザが2000円でも、それを家で作ると実は200円で出来る。

みたいな。

私はあります。

何かを一生懸命やっている時、なんか急にバカバカしくなることがあるんです。

だって裏の情報が表に出て来てしまっているから。

ってことは、もはや表になったのかもしれない。

私は気が付いてしまった。

裏社会も裏アカウントも裏金も裏技も裏稼業も、「私に知られてしまったら」もう表。

「バカバカしい!」って思わせられた。

ドッキリに引っ掛かったのだと。

本当の裏なんて見えるはずがない。

だって表しか見えないようになっているのに、裏が表に出てきているってことは「その裏」はすでに表です。

裏ってのは自分が裏にいなきゃ見えないものです。

裏社会。裏アカウント。裏金。裏技。裏稼業。

私が知っているそれらは全て表です。

紛らわしい言い方をされるから騙されそうになるわ。

全部表。

一時的にでも自分が一生懸命やっていることに対してバカバカしいなんて思ったのが悔しい。

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「裏」は興味を引く言葉です。

私が住む世界が表だとするなら、「裏はどうなってるの?」って興味が湧くじゃないですか。

それが普通なんです。

子供の頃からずっと「裏側」と呼ばれるものに興味を持ったりしました。

でも本当は全部表で、誰かが表に作った裏だったりします。

「裏アカウント」なんて表か裏か決めてるのは「本人」で、言ってしまえば全部普通の「アカウント」だからね。

誰かが知ってる時点でもう表だろって思ってしまう。

よく考えたら全部そう。

「裏」って名前を付けるから気になってしまうんです。

「本当はどうなの?」って知りたくなっちゃうんです。

興味を引く言葉なんです。

正直に言うと、知ってるか知らないかだけの話なんです。

自分が知っていることは全部表なんです。

知ってしまった時点でもう表。

次の興味はどの裏へ?

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裏側に騙されて自分を見失ってはいけない。

裏があるから面白い。

表があるから裏もある。

その逆も。

私達はこれまでも、これからも、表と裏を知りながら自分達で判断して、決断して進んできました。

インターネットが登場して、「裏」がさらに魅力的に見えたり、ハチャメチャに見えたり、怖く感じることもあります。

知らなくてはいけないことが多くなりました。

知っておくことで防げるものが多くなりました。

これから幸せになる為には多くの事を知らなくちゃいけないんだと思いました。

そうじゃないと騙されてしまうような気がするんです。

なんだかあれもこれも正解みたいな感じになってしまっているような。

だから自分を見失ってしまうんです。

色々あり過ぎて、どれもこれも流されてしまいそうになるんです。

私には家族があります。

守らなくちゃいけないものがあります。

自分も含め、「裏側」を知ることで守れるものが増えるなら、少しでも知ろうとしなくちゃいけないような気がします。

インターネットが普及して、情報が増え過ぎて、どれが表なのか裏なのか、本当なのか嘘なのか良くわからない。

でも知ることを諦めちゃいけないんだなって思っています。

知った上で自分で決断出来るようにならなくちゃいけない。

だって、すごくシンプルに、騙されたくないじゃん。