パン屋さんになりたい。
そんな夢を持って調理専門学校へ進学。
将来は自分のパン屋さんを持ちたい。
学校へ行きながらパン屋さんでアルバイト。
バイト先の大将はいつも無口。
レーズンパンが自慢のお店。
着ている服はいつも小麦粉をシャワーで浴びたよう。
学校が終わってからバイトに行く。
アルバイトは将来の為というよりも「仕事をしなくては!」という使命感でいっぱいだった。
今、19歳。
パン屋さんを開きたい。
きっかけ。
身近にはいつもパンがあった。
朝は必ずパン。
パン派の家族。
両親が共働きだったっていうのもあると思う。
晩御飯がフランスパンとチーズだけの日もあった。
でも、
私はパンが好きだった。
子供の頃はそのフランスパンをトースターでちょっと焼いて食べるのが本当に大好きだった。
中学生になり、周りの子たちが「晩御飯がプランスパンとチーズだけ」を真っ向から否定する。
「フランス人かよw」
「ないないw」
「うちはちょっと変なのか?」と思った。
晩御飯にフランスパンとチーズだけっていうのは他の家庭では無かったから。
家に帰ってきた母親に「パンとチーズじゃおかしい!」って言った。
母親は「ごめん。」と言った。
手抜きだったらしい。
あんなにおいしいと思っていた「パンとチーズ」の組み合わせは手抜きだった。
クラスで言われた「ないないw」はそういう意味での「ないない。」だった。
家庭の味が「パンとチーズ」は「変なんだ」と思った。
それから晩御飯に「パンとチーズ」が出て来る事は無くなった。
高校生になり、お弁当を持っていくようになる。
ところがうちの母親は基本的に忙しい。
お弁当を作ることもあればコンビニで買ったおにぎりが机の上に置いてあることもあった。
ほとんどが買ったもの。
高校生になると毎日親が作るお弁当をわざわざ嫌がったりする時期が来る。
「自分で買うからいいよ。」
と言って適当にお金だけ貰う。
お弁当を作ってくれることは本当にありがたいと思っている。
直接伝える事は無かったけどもう少し大人になったら言えるようになると思う。
その後、クラスの中で学校の食堂で売っているコロッケパンがなぜか流行った。
みんなが口を揃えて「美味しい!」と言う。
少しばかりのお金を親からもらっていた私もそのコロッケパンを買って食べる。
確かにおいしい。
パンがほんのり甘く仕上がっていて、生地ももっちりしている。
コロッケもその食堂で作るから揚げたてでサクサクしている。
でも、
小さい頃に晩御飯で出てきたフランスパンの方が断然美味しかった。
パンは買うもの。
手抜き。
晩御飯には食べない。
そう思っていた。
でも、自分が小さい頃に食べていたフランスパンはすごくおいしかった。
このコロッケパンよりも遥かにおいしかった。
仕事を終えて帰ってきた母親に聞く。
「小さい頃に食べていたフランスパンはどこのお店のパンなの?」
「え?ああ。休みの日に作って冷凍しておいてたやつ?仕事が今より忙しかったから手抜きする為に…。」
それは…。
手抜きじゃなかった。
母親は休みの日にフランスパンを作って、冷凍して、すぐに出せるように工夫していた。
「また食べたいな。」
あの時の微妙な母親の笑顔を思い出すと今でも照れくさい。
嬉しかったんだと思う。
パン屋さんかぁ。
大学にはいかない。
高校3年生になると、クラスメイトは大学への進学や専門学校への進学、就職、その他の進路を決め始める。
大学への進学を希望する生徒がほとんど。
後は専門学校。
なぜかクラスに一人は必ず「美容師」になりたい生徒がいる。
あれがなぜだか未だにわからない。
なぜなら、
私はパン屋さんになりたいから。
大学にはいかない。
就職もしない。
高校生ってのは結構傲慢なのです。
わがままだし。
だから、
調理師学校へ行くことを決めた。
母親は大反対だった。
あの頃のフランスパンが大好きだった。
それを伝えても母親は反対する。
母親は言う。
「私は大学に行って、本当に楽しかった。今でも行ってよかったと思ってるし、パンの作り方も大学に行きながら覚えたのよ?当時好きになった人の為に美味しいものを作ってあげたかったから。お父さんなんだけどねw」
なるほど。
私がパン好きなのは遺伝のようなものでした。
私も大学生の父のように母が作ったパンが大好きだ。
一度はその味を否定した。
「家庭的ではない」というクラスメイトからの空気感で流された。
でも高校に行って、コロッケパンを食べてわかった。
母が作るパンは美味しい。
「とても家庭的である。」
別に「パンは家庭的だ!」っていう価値観を広めたいわけではない。
でもなぜか自分に使命感が湧く。
だから折れない。
私は調理師学校へ行きたい。
パン屋さんを開くことが夢になった。
「しょうがないわね。頑張りなさい。」
時間はかかったが母は渋々納得してくれた。
生まれて初めて。
両親と口論になるくらい進路について話し合ってきた。
自分の口からも恥ずかしい程に、
夢とか、パンとか、自分になら出来るとか、
たくさん言った。
そこまで自分を追い込んでしまうと決断するまでの時間は意外にも短かった。
私は家を出て、調理師学校に行く。
自分の夢だから自分の足で、自分の手で、自分の稼ぎでやってみたい。
そこまで言った。
言ってしまったのだからやるしかない。
やるしかないのだ。
そこからは「生まれて初めて」の連続であった。
夏休みや春休みのアルバイトで貯めたお金を使って、ワンルームの家を借りる。
「さすがにオンボロだと心配」と両親も力を貸してくれた。
ありがたい。
実は私も心配でした。
学校の費用については当分様子見ではあったが、パン屋さんでのアルバイトが軌道に乗ればその協力も断ろうと思っている。
強がりかもしれない。
でも「初めて」を何度も経験しないと「パン屋さんになれない」のは明白であった。
強がりでもなんでもいい。
一生懸命考えて、口論して、自分で決めたこと。
友達はみんな大学へ進学した。
それでも自分は「パン屋さんになりたい」と言えた。
初めて自分の夢の為に選択出来た。
18歳。まだ子供。
でも決断しなくてはいけないと思った。
それだけ母親が作るパンが美味しかったのだと思う。
だから家を出る時に、
「お母さんのパンが美味し過ぎたからだよ!」
と言った。
すごく心配そうにしながら、「ごめん。」と言いながら、涙ぐみながら、
最後には、
「頑張ってね!」
と送り出してくれた。
やるしかないだろ。
小麦の粉が舞う。
家を出てから1年が経った。
今は仕送りもほどほどに、ほとんどアルバイトの稼ぎだけで学校にも通えている。
「パン屋さんになる!」っていう夢は今も健在。
日に日に夢が大きくなっている。
ただ、アルバイト先のパン屋の大将がちょっと。
私にだけ妙に強めに接するのです。
面接の時に、「将来はパン屋さんになりたいって思っています!」とは言った。
言ったけど、それで私だけに妙に厳しいのですか。
何なら学校が休みの日は朝一番の仕込みからスタートする。
大将と大将の妻と私だけ。
ここは、たぶん、大将と大将の妻だけでやる工程だと思う。
それをわざわざバイト代を出してもらっているにも関わらず、経験させてくれているんだと思う。
厳しめだけど。
仕込みが終わり、開店から閉店まで。
朝4時スタート。
休憩はあるにしろ、疲れるさ。
そして、仕込みから開店、並んでいるパンの状況から閉店まで。
全てを把握するように言ってくる。
厳しめに。
だけど、
レーズンパンが絶品。
厳しめに評価しても、申し訳ないけど、母のフランスパンより美味しい。
それ以外は無口なおじさん。
修行ってこんな感じなんだろうと思う。
ある日。大将が、小麦の袋を持ち上げながら、
「なぁ。なんか焼いてみるか?」
と話しかけてきた。
その時、大将の妻は満面の笑みを浮かべていた。
もちろん私は「はい!」と言って、
フランスパンを焼かせてもらった。
2人とも本当に美味しいって言ってくれた。
だから小さくガッツポーズをした。
今日も小麦の粉は勢いよく舞っている。
どうか感想をください。