何かを目指して頑張っている時。
大体くじけそうになる。
大きな挑戦をすればするほど、くじけそうな瞬間がたくさん訪れたりする。
でっかい壁が目の前に現れる。
ただ、どんな挑戦をしていても壁は現れる。
だからこそ「挑戦」なわけで。
挑戦しなきゃ気が付かない事や知り得なかった事がたくさんある。
それはくじけそうになった時に、その後に「自分はどうしたのか」って経験から得られる。
続けるか。
諦めるか。
違う方法を考えるのか。
別にどっちでも構わないけど、自分自身が納得する決断をしたい。
そうじゃないと後悔だけが残ってしまう。
もちろん後悔が残ってたっていつでもリベンジ出来る。
くじけたって構わない。
別にくじけたっていいんですわ。
ただ、その時に「どうするか」の決断がとても大事。
くじけそうになった時。
それは勝負の時だと私は思っている。
大事なのは決断
くじけそうになった時、その気持ちを吹っ切れなければ「挑戦」そのものに区切りをつけることが出来ない。
続けるにしても諦めるにしても一度決断をして、「ゴール」としなければならない。
諦めるを選択すればその場所をゴールとは思えないかもしれないが、一度目の挑戦の「ゴール」とすれば次にまた挑戦出来る。
挑戦は何度でも出来る。
ずっとその場所で決断せず、ダラダラと続けてしまう時間が一番もったいない。
その場所に留まり続けることで得られるものは「挑戦」を続けて得られるものと比べると遥かに少ないんじゃないかと私は思っている。
それは「くじける」事が無くなるから。
くじけそうになった時、自分がどういった決断をするかで人は成長したり新たな挑戦権を得たりする。
その場に留まって挑戦もせず、ゆっくり衰退していくような状態ではいたくない。
これは私の性格の問題でもあるとは思うけど、出来るだけ早く決断したいのです。
続けるのでも、諦めるのでも、どちらでも構わないから今の気持ちに決着をつけたい。
恋愛で言うならフラれるなら早くフラれてもう一度好きって伝えるタイミングを伺うか、違う恋を求めるか、自分の中ではっきりさせておきたい。
動けない時間がもったいない。
考えられない時間がもったいないなって思うのです。
現状維持ほど嫌な時間は無い。
好きなのにお付き合い出来ない状態がずっと続くとなったら地獄だ。
そもそもダメなら一度フラれて、その後の事を改めて考えたい。
挑戦を続けたい。
その為の決断。
だからどっちでもいい。
とにかく決断。
続ける選択をしたのなら
大事なのは決断だとしても、続ける選択をしたのなら、これから先、さらにくじけそうになることがあるかもしれない。
でもそれにビビッてちゃしょうがない。
絶対に壁はある。
だって挑戦しているんだもん。
その壁をぶち壊すのか、うまく避けるのかはわからないけど、何かしらの壁は目の前に現れるんだと思う。
いつでも迎え撃つ覚悟はしなくても良いかもしれないけど、「対峙」する覚悟は必要なんじゃないだろうか。
そういう「壁が訪れるだろうな」って覚悟くらいはしておきたい。
じゃないとぶち壊すにも避けるにも「くじけそうになって」一旦手や足が止まるでしょ。
その時にまた決断すればいいんだと思う。
くじけそうにならない人生が楽しいと思う人もいるかもしれない。
なんでも上手にこなせてしまって壁の存在を感じたことが無い人だっているかもしれない。
羨ましいっす。
私はそういうタイプではない。
だから、いつでも目の前に壁が現れる覚悟だけはしておかなくちゃいけない。
「くじけそう」に対峙する覚悟。
器用でもないし、失敗しないと覚えないし、特別な才能もないし。
だから結局「くじけそうになる」瞬間がある。
だから「そんな瞬間が必ず来る」ってどっかで思ってないと気持ちごと持ってかれてしまうのです。
挑戦するのなら必ず壁は訪れる。
「対峙する」準備くらいはいつもしておこうと思うのです。
諦める選択をしたのなら
どっちもいいんですけどね、悪い事でもないし。
そもそも楽しくなくなったり、ワクワクしなくなったって場合もあるし。
挑戦って結局続けていくことで飽きたりもする。
だから「また違う挑戦をしたい!」って思うことだってあるんです。
諦めるっていうのは決して悪いことではない。
私はそう思っています。
これまで何回も何回も諦めてきたし。
それで「今幸せじゃないの?」って聞かれると「そうでもないよ?」って感じ。
それなりの挑戦をして、それなりに諦めたり続けたりして、今がある。
その今に対して不満を感じればまた挑戦するし、ダメだと思ったら諦める。
とにかくその決断を早めにしたいのです。
次の挑戦をしたり、休んだりしたいからです。
そういう意味でも諦める決断は悪くない。
悪いはずがない。
自分の人生だし。
次の挑戦が決まっていなくたって構わない。
きっとその内見つかるだろうし。
ちょっと休憩。
その充電が次の活力になったりする。
「挑戦をした」って経験は自分の中に残る。
もし今後、「もう一度同じ挑戦がしたい!」って思ったら、その挑戦にワクワクするなら、改めてやってみればいいんだと思う。
自分で選んだ道で自分が納得しないでどうする
挑戦なんて「誰かに命令されて」やっても苦痛なだけ。
それは挑戦なんかじゃない。
もしその状態で「挑戦だ!」って自分の中で無理やり納得するような理由を作っているのならもう一度考えてみてほしい。
それはたぶん挑戦ではない。
我慢だと思うのです。
我慢と忍耐は違う。
忍耐は、「自分が望んで挑戦している時」にしか使えない。
だからもし今「我慢しながら挑戦している」って思っているならそれは違うと思うんです。
自分が本気で望んでいる挑戦かどうか。
自分が納得出来ない挑戦をしているのならそれは我慢。
我慢はストレスも溜まるし経験としても得られるものは少ない。
一番大きな経験を得るには自分が本気で臨んだ挑戦で「くじけそうになる瞬間が来る時」だと私は思っている。
だから「くじけそうになった時が勝負の時」だと決めた。
「何か」に自分の意志で挑戦して、くじけそうになった時。
その時の決断が大切だし勝負の時。
続けるでも、諦めるでも、きっと自分の中に経験として何かが残る。
その残ったものが次の挑戦のカギになる。
くじけそうになった時こそ得られる何かが目の前にあるんじゃないだろうか。
どうか感想をください。