先入観を超えると世界はもっと広くなる

生活

暗いと怖い。

「お化けが出るよ。」

我が子が言うのです。

「あの人は恐そう。」

「あの人は優しそう。」

自分でも言うのです。

これって先入観。

これまでの経験上「そんな気がする」ってこと。

目の前にある物に対して想像する。

これから起こり得ることを想像する。

悪いことじゃない。

様々な経験をしている人ってそれが見事に当たったりする。

多くの事を経験したからこそ得られる勘みたいなものです。

先入観。

ただ、我が子だったり、私だったり、大した経験をしたことが無いにも関わらず、短い物差しで測って「こうだな!」って決めつけてしまう場面もある。

それが正しいかどうかなんて線引きは未来にならないとわからないんだけど、短い物差しだと測り切れない部分が出てくるのです。

例えば、私がアメリカ大統領の性格や考えてることを想像する。

無理無理無理。

測れるわけがない。

きっと自分の物差しでは測れないのです。

それに対してテレビに出ている姿だけを見て判断する。

「なんて浅はかだ」って思うわけです。

その立場を経験したことなんて無い。

だからわからないはずなんです。

それでも「あいつは○○だな!」なんて決めつけたりする。

これも先入観。

テレビやこれまでの発言だけを受けて出した自分の答え。

その人の本質っていうのはきっと直接触れないとわからない。

なんでもそう。

人だけじゃない。

物だってそう。

「今の自分に明らかに必要がない情報は含まない」けど、それ以外のものに対して先入観で物事を決めつけてしまう。

「先入観がある」ってのは悪いことじゃない。

絶対に役に立つ。

それに自分なりの判断の基準にもなる。

ただ、それを超えないといけない瞬間もあるんです。

全部先入観に任せて突っぱねてたら「新しい何か」に出会えなくなっちゃうような気がするのです。

そして自分の中にある先入観は最終的には自分で壊さなくちゃいけないんです。

めんどくさいでしょ。

先入観を超える。

これが意図的に出来ると世界はもっと広く感じるんだと思う。

さて、どうしたものか。

前置き長かったね。

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「先入観を超えるかもしれない」っていう先入観を持つ。

先入観ってのは基本的に自分の経験に基づいている。

だから「これまでの経験上○○だ!」って思うわけです。

その先入観があまりにも強いとどうなるかって言うと、「受け入れなくなる」のです。

例えばまだ「スマホを使えない」って思っている人がいるとする。

「難しそうだから」とか「私には必要ない」とか「電話だけで十分」とか。

色んな意見があるんだと思う。

それが悪いわけじゃないです。

だって実際に使ってみても「必要ない!」って思うかもしれない。

ただ、使ってみたら「この機能は使えそうだ!」とか「逆にガラケーよりも直感的に使える!」とか思うかもしれない。

もしそうだとしたら、なんかちょっともったいない。

先入観を持っていても良い、疑っていても良い。

ただ、「簡単にスマホに触れる機会があったなら」少し手に取ってみても良いと思いません?

無理をしてその為だけに時間を作る必要はないと思うけど、そういう機会があったら「せっかくだからな。」って言って触れてみる。

もしかしたら「今までの先入観を超える」かもしれない。

「べんりぃい!」って感じるかもしれない。

先入観を持っているのは何も悪くない。

「先入観を超えるかもしれない」っていう先入観も同時に持っているべきなんじゃないかなって思うわけです。

その方がなんかお得な感じがするし。

楽しい瞬間も新しい発見もあると思うんです。

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経験が多い方が先入観は冴える。

先入観ってこれまでの経験から自分が思う事なわけです。

だからこれまで様々な経験をしている人の方が先入観は冴えている。

冴えわたってるね。

たくさんの人と出会って、たくさんの人と話をして、たくさんの人と直接触れ合った人の方が「この人は○○だ!」って思える範囲が広い。

多くの人の価値観に触れた事がある人の方が圧倒的に先入観が冴えてるんです。

だから想像出来る未来も広くて深い。

「やってみよう!」って思う切っ掛けを拾い集める力が強いんです。

私は海外旅行に行ったことがありません。

だからもし「インドに行く!」ってなった時にめっちゃ不安。

何を持っていけばいいのか、どんな心得を持って臨めばいいのか。

とにかく不安。

そして足取りも重い。

「出来る!」ってなかなか思えないんです。

でもすでに経験している人からすれば「これとこれとこれがあれば十分だ!」って言ってすぐに出発してしまう。

その差。

好奇心の赴くままなにもかもやってしまうのはアホかもしれないけど、「経験する」ってことにあまりにも臆病になると、様々なチャンスや発見をわざわざ見過ごしてしまう可能性がある。

だから自分が興味を持ったものに対しては自分から進んで経験を得ようとしていいんじゃないかと思う。

危険なチャレンジをするっていうのはちょっと違うけどね。

危険か危険じゃないかの線引きは自分でするとして、興味があるならチャレンジするっていうのは新しい発見や新しい経験得られるんじゃないかって思うんです。

そしてその「初めての経験」から得た新しい先入観はそれを経験する前の先入観よりも絶対に冴えている。

と私は思ってます。

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経験すれば先入観は何度も更新される。

先入観から「経験しない!」とか「これは絶対に○○だ!」って決めつけ続けると、自分が持つ先入観は更新されない。

自分の将来に役立つ可能性を秘めている発見すらも取りこぼしてしまう。

でも、何かの拍子に、「せっかくだから経験してみようかな。」って思った時。

新しい経験と共に先入観も更新される。

更新された先入観は更に新しい経験に興味を持たせてくれたり、足取りを軽くしてくれたりする。

「どうせ○○だから。」とか「私なんて○○だし。」とか。

その気持ちも大切だけど、大事にしなきゃいけない部分だけど、たまには新しい経験に足を踏み込んでみてもいいんじゃないだろうか。

新しい経験をする時って、なぜか自分の前にコロンって転がってくるようなイメージがあるんです。

自らそれを欲しているわけじゃないけど、なんかタイミングよく足元に転がって来たりする。

それを拾ってあげるかどうかって話なんだと思うけど、蹴とばしてばかりいると何も変わらない。

だから、たまーに。

今日だけは「ちょっと拾ってみよっかな。」くらいの気持ちで経験してみてもいいんじゃないだろうか。

自分を守るのも大切。

自分の気持ちに正直でいるのもすごく大切。

ただ、守るだけだと衰退していくんですわ。

まだまだ挑戦出来る「何か」が世界には溢れている。

それを目の前に転がってきた小さな挑戦が教えてくれるかもしれない。

せっかくなんだからたまには拾ってみるのも良いと思う。

そこから得た経験が、きっと自分の先入観を更新してくれる。

「シャキーン!」っていきなり変わったりする。

その後の人生がどうなるかなんてわからないけど、やらなきゃわからないまま。

知らなくても良い事もいっぱいあるだろうけど、知っててよかった事もいっぱいある。

知ってるから「いらねぇ!」って言うのと知らないのに「いらねぇ!」って言うのではちょっと意味合いが違っているような気がするのです。

どっちが良いかはわからないけど、どっちも良いって思うならたまには新しい経験を拾ってみるもの悪くない気がする。

「世界は狭い!」って思う人も「世界は広い!」って思う人もいる。

それも先入観っしょ。

それを確かめてみる「楽しみ」ってのもあるんじゃないかと思うんです。

どっちでも構わないけど「楽しい」方が良いに決まってる。