ごめんなさい。
今日は文句ばかりのブログです。
でも言わせてください。
世の中には「偉くもないのに偉そうにしている奴」がいます。
私はそういう人が好きではありません。
名前を出したりは絶対にしないけど、私の身の回りにはそういう人がいる。
偉くもないのに偉そうにする意味が分からないのです。
「何をそんなに偉そうに!」
って言いたくなる。
そう思っている時点で、もしかしたら私は「自分が偉い」と勘違いしているのかもしれないけど。
言い訳したい。
だって周りの雰囲気に合わせるでしょ。態度とか。
初対面だとそれなりにけん制し合うものでしょ。
そもそも偉そうにするっていうのは周りの空気感が読めないと言うか、学生の頃に偉そうにする先生がいたけどそれは「先生」って立場柄ギリギリ納得出来なくはないみたいな雰囲気漂っている場合に限ると思っている。
もし同級生が「あのいつも偉そうにしている先生」のように「威張り散らしてたら」誰だって文句は言いたくなる。
「なんでそんなに偉そうなん?」
ってなる。
ただ、私はそれを直接本人に言うわけでもない。
だって、もし、「偉そうにしちゃいけないの?」って言われたら返す言葉が見つからないから。
そうなんですよ。
意味はわからないけど別にそれが際立って「悪い」わけじゃないと思っちゃうのです。
でもね。
個人的にはめっちゃ嫌い。
個人的に嫌いなだけのうっぷん晴らし。
だからこそ、今日は偉そうな奴に対しての文句だらけになりそうな予感がするのです。
偉くもないのに偉そうにするメリットある?
偉くもないのに偉そうにしている奴のわからない部分。
その人が持つ性格なのかもしれないけどね。
偉くもないのに偉そうにしていて自分に返ってくるメリットってなんでしょう。
「話しかけられない」くらいじゃなかろうか。
それもメリットなのかはわからないけど。
デメリットの方が圧倒的に多いような気がする。
自分一人の時間を過ごしたいならまだわかる。
でも偉くもないのに偉そうにすることで自分の身に返ってくるデメリットは、
「なんだこいつって思われる。」
「なんなんだこいつはって思われる。」
「なんでこんなに偉そうなんだって思われる。」
「なんでここまで偉そうに出来るんだ?って思われる。」
「なにこいつ!」
完全に私が思ってること。
社会に出ると基本的に誰かと一緒に生きていくわけじゃないですか。
だから「偉くもないのに偉そうにする人を好む人」とじゃないとうまくいかないって思うんです。
そういう人が好きなら良いと思う。
でも私は嫌い。
だから私とはうまくやっていけない。
誰とでもうまくやっていくのは難しいと思うけど、ある程度「誰かと一緒に生きていく」ってのは学生の頃から擦り込まれてきた。
私の中ではもろに常識になっているのです。
「偉くもないのに偉そうにすると嫌われる」って。
それを真っ向から否定するかのような態度。
「それは一体誰得?」ってなる。
偉くなってから偉そうにしたらよくない?
どうして偉くもない「今」偉そうにするのか意味がわからないのです。
憧れの人でもいるんでしょうか?
それともテレビやドラマに出てる大好きな人が偉そうにしていたからでしょうか?
テレビに出ている人に憧れるのはわかるけど、テレビに出ているなら「演じてる可能性」をどうして見抜けないのかわからない。
テレビなんだから「面白く」するでしょうが。
作られてるキャラかもしれないでしょうが。
「普段の生活の中でもずっと偉そうにしている」と思っているんでしょうか。
実際に私生活を知っているならまだしも、直接話をしたこともない人を「テレビに出てる感じのまま」コピーすんなよ。
影響受け過ぎだろ。
テレビに「ゴリラ」が出てて、そのゴリラに憧れて「ジャングルで生活はしないけどゴリラの真似はする」のと同じだからね。
「テレビ」だけど場所は「ジャングル」なわけです。
「テレビ」だけど撮影場所は「スタジオ」とか「ドラマの現場」なんです。
「テレビ」で観たものを「自分が生きる社会」に持ち出すっていうのはすでに場違いであると感じろ。
それを感じた上で「どうやって今自分が生きている社会で活かすのが一番良いのか」よく考えろ。
「テレビの中で行われていることをやりたいなら」テレビに出れるくらい頑張れ。
「偉そうにしたいなら」実際に偉くなるまで頑張れ。
憧れを今演じてなんとかしようとするな。
夢にして頑張って達成してほしい。
これは応援っす。文句じゃない。
納得させてほしいんです。
私を。
敢えてなのか?
もしかしたら、敢えて、偉そうにしているのかもしれない。
「自分を奮い立たせる為」に。
それこそ偉くなる為に。
自分の未来為に敢えて偉そうにしているのかもしれない。
さすがにそれはないか。
これまで歩んで来た道が「偉くもないのに偉そうにしてなきゃ」生きていけない過酷な道だったのかもしれない。
だとしたら、やっぱり多くの人を納得させるだけの「偉さ」を手に入れてほしい。
頑張って、いつもいつも偉そうにして、「偉くもないのに頑張って偉そうにしてる奴ランキング」の1位でも目指せばよかろう。
もし、自分が努力して、失敗して、それでも頑張って、成功して、万が一偉くなろうものなら、「誰に対しても偉そうにしない」と思う。
てかそういう人になりたい。
これはね、「偉くもないのに偉そうにしている奴」を見て学んだこと。
ムカつくけど、すごく学んだ。
「こんな風に偉そうにしたら嫌われるんだ」って気付かせてくれた。
だからある意味感謝している。
「人の振り見て我が振り直せ」ってこういう事だと思った。
周囲の人から嫌われて初めてわかることがある。
いつもそう。
敢えて「偉くもないのに偉そうにする」のも、敢えて「偉いけど偉そうにしない」のも、もしかしたら一緒なのかもしれない。
誰かに何かを「教える」って意味ではね。
後は個人的に「どっちがいい?」って話。
自分が必要とされる場所を探すのは努力
「自分の中では良い!」って思った時でも、周囲の人からは「バッドだ!」って反対の意見を言われたりする。
それが悪いわけじゃないのもわかってる。
ただその中で学ぶべきことがあったりする。
誰もが「バッド!」って思うことでも自分が生きていく環境や社会の中では「良し」とされることがある。
多数決的な決められ方をされる場合。
その時に自分がどんな判断をするのかわからないけど、頑なに「バッド!バッド!」と言って反感を大きくする必要もない。
きっと世の中には色々な価値観があって、その価値観から社会が作られたりする。
ある場所では「良し」とすることでもある場所では「ダメ!」って感じで。
だから「偉くもないのに偉そうにする奴」が必要とされる社会だってきっとある。
私は嫌いだけどね。
そういう社会の中にはいられないと思う。
逃げるか、変えるかする。
どんな人だって必要とされる場所が必ずあると思うのです。
「その場所を探す」ってのはある意味人生のテーマだし、その場所に辿り着けるように頑張るのって立派な努力じゃないだろうか。
頑張らない奴も嫌い。
文句だけで「自分は悪くない」って塞ぎ込むのも嫌い。
逃げるか、変えるかしたい。
自分の力が思う存分発揮出来る場所を探し求めて「偉くなる」を選ぶ人もいれば「場所を変える」を選ぶ人もいる。
その場に留まるでも移動するでもそれなりの力がいると思う。
両方努力なのかもしれない。
って考えるとある意味尊敬する。
「偉くもないのに偉そうにする」のがまかり通るくらいに努力してるわけだし。
たぶんね。
まぁ。
私は嫌いだけど。
ただ、頑張ってる奴は最高に大好きです。
偉そうに言ってすみません。
どうか感想をください。