売れているビジネス本を読んだらそれが大正解だと思って真似をしてみるけどうまくいかない。
そんな経験しかない。
考え方をビジネス本に寄せても結果が付いてこない。
求めている時に限ってビジネス本を読む。
そのタイミングが良過ぎて影響を受ける。
しかしまた戻る。
の繰り返し。
ビジネス本を悪く言いたいわけじゃなく、自分がはっきり自信を持って前に進めていない時にそっと支えてくれるような存在。
ベストセラーのビジネス本を見て「これだ!」と思っている内はまだ自信を持てていない証拠なのかもしれない。
自分の中でのビジネス本の立ち位置。
ビジネス本に対する自分の価値観をちょっと考えてみた。
新たな選択をする際の理由付けに。
得た知識をそのままフルに自分のわがままな選択に利用する。
「あの有名な本でこう言っていたから」と言い訳を先にしておく。
それで自分の選択を正しいものに強制的にさも当たり前のように伝える。
しかも自分でかなり強引な引っ張り方をしているのはわかっている。
わかっているからクセが悪い。
ビジネス本の内容を私利私欲の為に使おうとする愚かな自分。
もちろんその3か月後には通常通りの自分に戻っている。
「その際は迷惑をかけた」と今だに思う人もいる。
振り回されて合わせなくちゃいけないし本当に大変だったろうなと。
反省である。
今思い返してみるとビジネス本の内容は…。
今読むとまた違った感じ方をするのだと思う。
また強引に変な方向へ向かおうとしないか自分が心配である。
流されやすい人は注意が必要だ。
急にその本で伝えていることが神様みたいな存在になる。
「絶対に信じる!」みたいな変な空気感を漂わせてしまう。
はっきり言って読んでいる本人にしかその価値は伝わらないしいちいち言われる方はうざいのだ。
受け売り感が半端じゃない。
夢を実現する感覚。
ビジネス本にのめり込むとまるで自分の夢が実現するような感覚になる。
これが錯覚なのかなんのか。
リアルに自分の夢や目標が達成した様子を想像出来るような感じがするのだ。
もちろんこれまで夢が叶ったことなど一度もない。
でも本を読んでいる時は夢が叶うような感じがする。
そういう精神状態になる。
「これで○○が出来るぞ!」と本気で思う。
そういう効果がある。
精神論をすんなり受け入れられた時の自分の強さは半端じゃない。
なんでも乗り越えられるような気がする。
気持ちが楽になる。
このままの自分でも大丈夫なような気がする。
でもすぐにその気持ちは途切れる。
自分がダメなのに「この本はダメだった」と本のせいにして終了。
「この本の通りにしたなのにな。」と結果をすぐに求めているだけで努力しない。
その気持ちを持続させられない。
のにも関わらず本を読んでいる時は夢が叶うような感覚を持っている。
言葉なんて使いようだと思う。
結局自分が叶えないといけないのに。
道しるべに。
生きていると10代の頃から道に迷う。
恐らく勉強以外の何かを得ようとすると余計に迷う。
社会が自由を勝ち取る度に「なんでもしていい」状態になる程に10代は迷う。
勉強をしたくないという理由だけで他にもっとキラキラした世界を夢見る。
そんな時にビジネス本は力を与えてくれる。
勉強するべきことを道案内してくれるのだ。
自分にとってなにを勉強することが一番いいのか。
どんなものを目指すべきなのかを教えてくれたりする。
もちろんその道のプロフェッショナルになったことなど一度もない。
一度もないのだが迷うとビジネス本は絶大な効果を発揮する。
ベストセラーになっているとすればそれを完全なる正義だと決め、すり減る程に読む。
道に迷っている時ほど感銘を受ける。
そしてなにか新たな知識を手に入れたような感覚になる。
素手で人生を戦っていたが、武器を手にしたような感覚だ。
だがこれはなんの役にも立たないことに気が付くだろう。
武器ではなく本なのだ。
結局その本を読んで武器を手に入れるかどうかは自分の考え方や想像次第。
当時本を読んでるだけでなんとかなると思い込んだ自分をぶん殴りたい。
逆に迷う。
本を読んだだけで自分があたかも成功を手にしたような感覚になると、思い通りに進まない自分に人生にイライラする。
そしてさらに迷う。
「あれ?本を読んだのにな。」と思うのだ。
ダサい。ダサすぎる。
ビジネス本を読んだところで成功を手にするわけではないことに気が付かないのだ。
身近にいる人は気が付いていただろう。
「なんておめでたい奴だ。」と思っていたのだろう。
これまで愚かな選択をしてきたのかもしれない。
そう思うと情けない。
恥ずかしい。
もう同じような経験はしたくない。
結局ビジネス本を読むことで迷い込むビジネス本むさぼりゾーンに入ってしまうと読み漁るわりに「読んだことに満足」してしまう状態になる。
これが一番意味がない。
それならその調子に乗って大きな失敗で恥をかいた方がよっぽどいい。
恥は「二度と味わいたくない」という気持ちから次の原動力になる。
迷ってる場合ではないのだ。
でもビジネス本むさぼりゾーンに入っている時は気が付かない。
迷い続けるだけだ。
捉え方の学習に。
物事を常にポジティブに捉えるのと、ネガティブに捉えるのでは行動に対する効果も気持ちも全く別のものになる。
例えばキッチンで小麦粉を思いっきりこぼしてしまったとする。
その時のポジティブな考え方は「掃除するのにいい機会だ。」と考えること。
ネガティブな考え方は「マジチョーめんどせー。だりー。」と考えること。
ポジティブに考えた方が次の行動に移るスピードは間違いなく早い。
おまけに掃除も出来てしまう。
そしてそこにストレスを感じない。
「時間を無駄にした」という感覚よりも「有効に使うために」と考える。
「起きた物事への捉え方」を学ぶ。
これはすごく大切なことであった。
単純にどちらの方が他人から好まれるかどうか。
そういった捉え方が出来る方がユニークな発想が生まれたり、思わぬリーダーシップを発揮出来たりする。
だがそれだけで社会の中を生きていけるかと言ったら無理だ。
ポジティブとネガティブは奥が深い。
考え方をポジティブに変えたところで行動まで完了出来るようになる人はなかなかいないのだ。
無理やりポジティブに考えたところでただのストレス。
むしろただのキレイごとだ。
そんなに上手くいくわけがない。
捉え方としてそういった方法もあるというくらいなもの。
ベストセラーに載せられて。
つい手が伸びるのだ。
ベストセラーと言われると。
ベストセラーと言われるとなんだかすごく正しいことを言っているような感じがする。
ベストセラーと言われると多くの人が感銘を受けていると感じる。
ベストセラーと言われると売れているのだから間違いないと感じる。
そして買う。
読む。
ポジティブな考えを取り込む。
無理やり実行する。
ネガティブな事はネガティブに決まってる。
全てをポジティブに捉えるなんて出来やしない。
ベストセラーになるくらいの本の内容をすべての人がその通りに実行出来たら世の中がスーパーポジティブ。
ベストセラーになった本があったとしても世の中はそんなに変わらない。
幅が広すぎる。
ビジネス本の幅の広さには正直びっくりさせられる。
なぜならどちらも売れているのにも関わらず全く逆の事を言っている場合があるのだ。
ついこの間読んだ本を真っ向から否定されているような感じ。
それでも売れるのだから驚きだ。
そして全く逆の事を言われているのにそれに気が付かない人もいるだろう。
私がそれだ。
冷静に考えたら逆なのだが読んでいる時はそうは感じない。
自分がチグハグになっていく。
歯車は角が無くなりスカスカの状態で回っている。
幅が広過ぎるのだ。
そう感じるのは読んだことのある本と真逆な存在が現れた時。
そしてそれに気が付いた時に思うだろう。
幅が広い!と。
巧妙なタイトル設定。
タイトルが素晴らし過ぎるのだ。
このタイトルのおかげで人々は本を手に取る。
本能的に今の自分に必要だと感じるらしい。
いや。そう作られているのかもしれない。
自分の為にあるような本だと感じるのだ。
いかにも人が好みそうなタイトルを付けられるとついみてしまうじゃないか。
「○○を可能にする10の方法」
出来そうではないか。
でも様々な本で使われている手法で最近は業界でも毛嫌いしているように感じる。
違う路線のタイトルをつけていると逆に気になったりする。
「○○革命」
みたいに書かれていてもちょっと気になる。
よくもまあこんなに売れそうなタイトルを考えるものである。
出会うタイミングが命。
結局のところビジネス本は自分が考えていること、悩んでいること、抱えていること。
様々なものが重なってそこから脱却したいと願うタイミングで出会うとハマる。
ハマれば読む。
そして様々な情報や考え方を取り入れる。
そのタイミングを逃すと響かない。
全てはタイミングなのだ。
大学入試の過去問が必要だと感じるのは受験を考えている高校生の時期。
そこに集中する。
そういうタイミングだからだ。
よく考えてみると大学の過去問はビジネス本ではない。
とにかくタイミングだ。
取り入れても飲まれない。
タイミングが良過ぎて内容をすべて鵜呑みにするとえらいことになる。
得た価値観や考え方を強制的に行使しようものなら周囲の人に間違いなくウザがられるだろう。
それでも自分の考えていることを相手に説得しようとするのなら絶交だ。
うまく取り入れるべきである。
それと周囲にそれを強制しないことである。
ビジネス本で受け取った情報や考え方は全ての人を幸せに出来るようなものではない。
自分に必要な知識が他人も必要だと思うな。
そう思った私は間違いなく失敗したのだ。
大事な部分だけ切り取って自分の糧にすればいいだけの話。
相手にそれを求めている時点でちょっと違う。
だって相手はその本を読んでいないのだ。
それをいきなり機能の自分を裏返すようなことを言われてもハテナでいっぱいだ。
むしろちょっとやばい奴だと思われて終いだ。
とてつもない説得力。
合っているような気がする。
ビジネス本の内容は全てが合っているような気がするのだ。
だって自分が必要としているタイミングでタイトルもバシッと食らってから購入した本を読んだのだ。
もう「説得してくれ。」と言って買ったような本である。
その本に影響力が無いわけがない。
だからその内容を読んですごく為になったと感じるはずだ。
そしてどの本も素晴らしい。
本を出すという状況にいる人が書いたのだ、私からすればすでに特殊な存在の人間だと思ってしまう。
そういう人が書いた本を適切なタイミングで手に取った。
とてつもない説得力があるだろう。
当たり前だ。
欲しているのだから。
そして人になる。
様々なビジネス本を読む人。
一冊をずっと読んでいる人。
何も読まない人。
読んでも独自の考え方で読解する人。
それを評価する人。
○○な人。
となる。
本を読む事は良い事だとされている。
別に映画を見ることもアニメを見ることも雑誌を見ることも悪いことではない。
本を読むことも悪いことではない。
でも本を読む事は良い事だとされていると変に飲み込まれてしまったりするのも事実。
周囲の人がその飲み込まれてしまった価値観に巻き込まれるのは正直迷惑である。
でもその迷惑な期間を過ぎ、それも理解した上で○○な人になる。
結局どんなに売れているビジネス本を読んでも自分でしかないことに気が付く。
ベストセラーのビジネス本を読んで影響を受けた自分になる。
どんどんどんどん知識や考え方、価値観を鋭く、自分だけの感覚を養っていく。
それで充実した人生を送れているのなら頑固おやじになる。
なぜなら「それでよかった。」という経験を持っているから。
それ以外の方法なんて考えられないくらいに自分の価値観を鋭く持っている。
そうなると頑固おやじだと思われる。
逆に、誰かの意見や情報をうまく取り入れながら生きて来て、成功を手にしたと考えている人は頑固おやじだと思われない。
でも「それでよかった。」という経験を持っている。
両方とも「それでよかった。」という経験と確固たる自信を持っている。
結局同じビジネス本を読んでも人生の行き先は別になる。
頑固おやじになるのも正解。
周囲の意見を常に取り入れるのも正解。
それが自分流。
結局本を読んでもその使い方は自分流になる。
それなりの生活が送れている今が自分流に築き上げた成功そのものであって、「幸せだ。」と感じられる瞬間が多い方へ自分を導いてあげるべき。
ベストセラーのビジネス本を読んでも一日で自分が幸せになるわけが無い。
でも求めてしまう。
いつになったら最高に幸せを感じることが出来るのか今だに謎である。
どうか感想をください。