何があっても歩みは止めない。
人はどんなに辛いことがあっても、どんなに後悔をしても、
どんなに「あの頃に戻りたい」と思っても、
時間を戻すことは出来ない。
前にしか進めない。
タイムマシーンがあったとしても、自分の寿命を戻すことは出来ない。
自分の時間は常に前に歩みを進めている。
いつでも前に進もうとしている。
だから今、どんなに辛い毎日でも、決断をしながら前に向かって進むしかない。
むしろ勝手に進んでいく。
考えている時間。
それは止まっているわけではない。
これから先の事を考えて、少しでも前に進もうとしてる証拠。
悩んでいる時間。
それも止まっているわけではない。
「今」を乗り越えて前に進もうとしている。
止まっているように感じる全ての事が実は前に進もうとしている。
時間は自分勝手に前に進もうとしている。
自分の意志とは反対に自動的に進もうとしている時間に合わせるのが嫌になって、
「どうでもいいや。」
とか、
「なんとかなるさ。」
とか思うんじゃなく、
自分の人生なんだから自分の時間くらい自分で進めたい。
時には諦める事も必要で、戦う事も必要で、考える事も必要で、
すごく大変な毎日を生きていく。
予想外の展開や、
それ以上の悲劇に見舞われながらも、
自分の足で歩んでいかなくてはいけない。
誰かに「バカ野郎」と言われても、誰かに「すげえなお前!」と褒められても、
どっちみち自分の人生を歩んでいかなくてはいけない。
どれを選んでも、辛い道になるのならそれはそれで構わない。
私は自分の道を歩むことを諦めない。
キレイごとで何が悪い。
自分の人生を自分の選択で決めるのは当然。
私の人生は私の物。
私の人生の時間も私の物。
貸せないし預けられないなら、
使いこなしてやろうと思っている。
辛くて結構、かかってこい。
他人の評価なんて日々変わる。
誰かの目を気にして、誰かに何かを言われる恐怖を感じて、
誰かに圧力をかけられているような状態が続くと、
自分の意志や希望がものすごく小さいものだと感じるかもしれない。
自分が間違っていると感じる時もある。
今選択しようとしていることが間違っていると決まるのは未来。
どちらを選んだとしても今すぐに結果がわかるわけではない。
誰かに迷惑をかけてしまう選択は正しいとは思わないが、
誰かの評価の為にする選択が本当に正しいのだろうか。
今日がどんなに良い日で、誰かに最高の評価をもらえたとしても、
それが毎日続くなんて在り得ない。
世の中の評価はこれまで何度も変わってきたし、
これからも日々変わっていく。
それに全てを合わせる人生もあるかもしれないが、
自分には合わない。
むしろ自分のやりたいことや目指しているものを止めて、
誰かに合わせる事を優先するなんてストレス。
日々変わっていく価値観の中で、流行りを求めていく人生も面白いのかもしれないけど、
その価値観が全ての人に当てはまるわけがない。
イレギュラーは常にあって、
今がどんなに充実していても、
人生は必ずうねりを作る。
良い時があれば悪い時もある。
ずっと絶好調ではいられない。
今日一日の中でも上がる時があれば下がる時もある。
それがもし、
誰かの評価を気にしていることが原因だとしたら勿体ない。
人の評価にだって「うねり」はあって、
その時に「良し」とした何かが次の日には変わることだってある。
そのうねりが自分のうねりと同化しているのは好きではない。
自分の意志や決断が弱くなる。
世の中で流行っている物全てが正解だと感じてしまう。
私が見つけたいのは「流行る理由」であって、
「流行っているから」を理由にしたくはない。
良いものは良い。
って自分で判断したい。
いつの時代も評価され続けるのは結果を出し続ける人。
成果を挙げ続ける人。
結局自分の利益を自分の意志で選び続けられる人。
誰かの評価が欲しければ、自分の成果を挙げなければならない。
それが他人の評価に繋がるのなら、
自分を磨く毎日を過ごさなくてはいけない。
誰かの評価に流されるのではなくて、
自分の人生を最優先しなくてはいけない。
結果は後から付いてくるはず。
自分の価値が上がるのは結果を出した時。
それに周囲が気が付いた時にはすでに自分自身で結果を出しているのだと思う。
順序を間違えると結果が出ていないのに「どうして評価が低いんだ」と感じてしまう。
結果が出ていない状態で評価が出来るわけがない。
評価は最後。
まずは結果を求めてまっしぐらにならなきゃ。
見せるしかない。
どんなに思い通りの方向へ物事を進めていたとしても、真逆の心理は働くもの。
もしこうなったら…。
良い事ばかりではない。
きっと悪い事も起こるはずだ。
起こる。
絶対に起こる。
この世に生きているのは自分だけではない。
だから今日も様々なところで色んなネガティブが起きている。
その影響を受けないわけがない。
私は常に誰かと共に生きている。
だから必ずなんらかの影響を受ける。
自分が意図しないネガティブがやってくる。
乗り越えれば乗り越えるだけ新たなネガティブがやってくる。
それでも進んで行かなくてはいけない。
どんなに考えても世界が望む方向なんてわからない。
どんなに考えても他人が望む全てなんてわからない。
未来なんてもっともっとわからない。
わからない事に想いを馳せている場合ではない。
自分の事を考えれば良い。
そして誰もが納得する結果をもたらせばいい。
その後に誰かの事を大切に想えばいい。
自分の事を大切に出来ないのに誰かの事を大切に出来るのだろうか。
まずは自分。
誰よりも自分が幸せにならなくてはいけない。
誰よりも幸せになる事で誰かの事を救えるかもしれない。
結果を出し続ける事で誰かの支えになれるかもしれない。
誰かの憧れになれるかもしれない。
最初から誰かの事を考えていても結果が出ないなら、
誰よりもまずは自分の事を考えていかなくちゃいけない。
どんなに逆境でも、自分で選択して、決断して、努力して、進んでいく。
その先にどんなものが待っているかわからないけど、
ずっと同じ景色を見ているよりも、少しずつ変わっていく景色を見ている方が楽しいと思う。
少しでも進む。
まずは自分が進む。
どんなに逆境であっても進む。
その姿を見て、元気が出る人がいるかもしれない。
誰かの支えになれるかもしれない。
応援してくれるかもしれない。
だから毎日毎日、少しでも進む。
そういった姿を、
まずは自分が見せていかなくちゃいけない。
本気にならなきゃ。
私に特別な才能はない。
だから毎日頑張るしかない。
毎日目標に向かってわかりやすい努力を積み重ねていくしかない。
きっと才能があれば、
それに自分が気が付いていれば、
楽しく努力を続けられるかもしれない。
でも自分にはどんな才能があるのかわからない。
だからどんなに苦しくても、辛くても、少しでも努力して、前に進むしかない。
無いものねだりをしてもしょうがない。
これまで色々な事にチャレンジしてきた。
子供の頃から運動神経は決して悪い方ではなかったから、スポーツを一生懸命頑張った。
子供の頃の夢はサッカー選手。
大人になるにつれて、それが叶わない夢と悟る。
単純に努力が足りなかっただけなのかもしれない。
それに加え、才能も無かったと思っている。
人は少なからずなにかしらの才能はあって、
子供の頃に一番分かり易かったのが運動神経。
だから少し得意なスポーツがあると、単純にそのプロを目指すことになったりする。
それを後悔しているわけではないけど、
大人になっていくと、上には上がいることに気が付く。
自分との差はどんどん開いていく。
勉強もそう、運動もそう。
子供の頃はそんなに差が無かったように思える事が、大人になると大きな差になっていたりする。
子供の頃は何をしていてもなんとなくこなせていた事も、大人になるとそれが見事に出来なくなる。
「本気にならなきゃ」埋められない差が生まれる。
早く本気になればなる程、目標へ向かうスピードは上がる。
今自分が本気になれるようなものが無くても、
大人になると目の前で作られていく生活を維持しなくてはいけない。
本気になれる何かを探す旅はもう終わり。
「自分が生活をする」に本気になろう。
才能が無くても、
才能があっても、
財力が無くても、
財力があっても、
自分の人生に本気を出さなくちゃいけない。
自分の人生に本気を出すのに才能はいらない。
才能なんて必要ない。
これから先、「誰よりも幸せだ」と思える瞬間の為に、
自分の人生に本気になる。
そういう毎日を積み重ねていく。
私に残された道はこれだけ。
むしろ初めからこれだけだったのかもしれない。
天職なんていらない。
才能なんていらない。
私は自分の人生に本気で立ち向かうと決めた。
もう、決めた。
どうか感想をください。