喧嘩を繰り返してしまう原因は無意識チョイスと習慣にある

生活

心の内まですべてわかってしまうようなテレパシーがあれば相手の腹黒さも手に取るようにわかるのに。

本当のところはわからない。

本当に心の中でどんな事を考えているかわからない。

だからある程度断定して理解してあげる事しか出来ない。

必ず裏表はあってどんなに表であってもそれが本当かどうかは本人しかわからない。

裏表があると感じるとどうしても口論になる。

口論になってもまだ本音は言わない。

そんな感じがする。

そんな感じがするからもっと口論になる。

口喧嘩になる。

そうなるとだんだん本音が伝わってくるような感じがする。

本音を言う。

キレる。

バトル。

めんどくせー。

初めから冷静な内に本音で話せればいいのに。

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喧嘩にならないと本音が出てこないのはどうしてなのか。

もちろん人によるけどね。

自分の場合はこういう時が多いのです。

そもそも本音が何なのか自分でもわかっていない。

たまに思うのです。

本音がなんなのか聞かれると自分でもそれがわからない時もある。

だから口論を始める。

口論をしている時も考えている。

そして喧嘩になる。

そうなると、

 

「めんどくせー!ふざけんな!うぜー!」

 

となる。

結局本音はこれ。

色々と想いを巡らせてここに辿り着く。

 

基本的に思い通りにならないことに対して腹を立てていることがほどんど。

 

それで「めんどくさい」とか「ふざけんな」とかになる。

自分の思い通り進むシナリオを相手に伝えてやればいいだけなんだけど、

 

「自分勝手だよなー。」

 

って思うとなかなか伝えられないままモヤっとしてきて、

 

「何とか自分の思い通りに事を運びたい。」

 

って考えてはいるけど違う理由とかを並べて言葉で誘導する。

でも失敗する。

口論になる。

口論になると質問される。

想定外の質問が来ると怒る。

喧嘩になる。

結局めんどくさくしてるのは自分だ。

自分勝手に思い通りに進まないことに文句を言っているのは自分。

素直に「こうしたいんだけどな」って伝えることが出来ないのです。

これを思いやりと取るか、芯が無いと取るか。

どこかで自分勝手だなって考えるとそれは言えなくなる。

 

例えば家で漫画を読んでいるとする。

家族の誰かに「洗濯を手伝ってほしい」と言われる。

漫画を読んでいることはまだバレていない。

そこで、

 

「今調べものしてるから無理ー。」

 

とか言う。

そうすると、

 

「なんのー?」

 

と返ってくる。

そこからはもう逆に漫画どころではない。

集中して読む事も出来ないし、なんの調べものか考えなくてはいけなくなる。

でも漫画を読んでいるから家事を手伝わないっていうのはちょっと「同じ家族としてどうなの?」と考え違う理由で逃れようとする。

問題は一発目の「調べものしてる」っていう適当な事にある。

そこだけ。

でも漫画が読みたかったわけです。

それを言ったら批判されるに決まってる。

だから嘘をついた。

そしたら追及されて結局めんどくさくなる。

漫画は例えばの話ですけどね。

一発目の返事で批判されると思うと言えないのです。

でも聞かれるとだんだんイライラしてきて口論になる。

だって考えてないことまで聞かれるから。

だから結局本音がどこかに行ってしまって言い訳を考える。

結局本音を自分でも忘れる。

思い出すと自分でもびっくりする。

ただ漫画が読みたいだけっていう…。

めんどくさくしてるのは自分の一発目の言い訳。

間違いなくそこ。

申し訳ない気持ちがあるとつい。

言い訳してしまうのです。

だから結果的にめんどくさくなってしまうのです。

問題はチョイスです。

そうなのですよ。

このチョイスを間違えてしまうことでめんどくさくなる。

洗濯は手伝えばすぐに終わるのです。

あの時、

 

この洗濯手伝ったらちょっと漫画を読む時間をくれ。

 

と洗濯と漫画を引き換えにすればよかった。

それが漫画先行型の言い訳をしたことで自分への罪悪感もあり、結局嘘をつく形になった。

チョイス。失敗。

その後に「実は漫画を読みたかっただけ。」とも言えずに口論。

めんどくさい結果になったわけ。

この辺のチョイスをしっかり狙って行ってれば問題は起きない。

円満解決出来たところを。

なんてミスチョイスをしたものだ。

昔からそう。

昔からそうなんです。

自分は、そういうところがある。

でもずっとこのまま放置してきた。

この機会に自分の「こんなところあるな。」と向き合ってみる。

基本的に「こんなところあるな。」っていう部分が悪いっていうことではなくて、

 

良いチョイスをすることで活かせるのではないかっていう考えね。

 

否定しちゃうと「自分はなんでこんなにダメなんだろう」って思っちゃう。

それは辛い。

自分は否定したくない。

プライドです。

だからどんなチョイスをしていくことで「こんなところあるな。」を活かせるのかどうかを考える。

普通に否定してそれを改めようにも癖みたいなものもあるしまた自然に顔を出すでしょ。

だから否定しない。

むしろ活かす。

せっかく今まで自分なりに一生懸命生きてきたのだから「こんなところある。」っていうのが必要な場面もたくさんあったわけで。

そうやって培ったものを土台として考えてやりましょう。

自分をいたわってやりましょうよ。

自分がやりたい事が先行してしまうけどそれが本当に今めちゃめちゃ必要かと言われるとそうではない時。

後から自分のやりたい事が出来るようにちゃんと説明して伝えておくといいのです。

と自分に言い聞かす。

ちゃんと向き合えたはず。

次また口論になったり結局喧嘩してしまうならまた考えよう。

喧嘩は嫌い。

したくない。

いい気分じゃない。

でもそれが自分が切っ掛けだとしたら改められる部分もあるのだろう。

チョイス。

これが間違いなく肝心なのです。

自分のやりたい事をすべて諦めるわけじゃなくて、うまくバランスを保てるチョイス。

実は人は常にチョイスしている。

常に選んでいる。

朝起きるかどうか。

「起きる!」

仕事に行くかどうか。

「行く!」

やりたくない仕事をやるかどうか。

「やる!」

ランチで何を食べるか。

「カレー!」

実は常に自分の都合の良い方へチョイスしている。

誰かの為に選ぶこともある。

後々その方が自分の為になるかもしれないし、本能的なものかもしれない。

本能的に選ぶ場合は選択している感覚なんてない。

だから1秒1秒選択をしている。

本当は。

今こうしてパソコンに向き合っている自分。

文字を打つのか打たないのか。

「打つー!」

って感じです。

本能的なチョイス。

性格みたいなものなのでしょうかね。

だからほとんどの場合、選んでる感覚なんてないわけです。

ってことは考える事すらしない。

習慣みたいなものなんですかね。

当たり前に選んでる。

自分といくら向き合っても改善しない部分ってこの無意識の中で選んでいる習慣なんじゃないかって思うわけです。

その無意識でチョイスしている習慣。

例えばですよ。

ダイエットを意識しないと太ってしまう人がいるとするじゃないですか。

たぶん食べ過ぎてしまうチョイスをしてしまうんだと思う。

何も考えないと食べ過ぎてしまうっていうパターンなら間違いなく無意識で食べ過ぎる方をチョイスしている証拠なんじゃないかと。

自分の問題はなにかっていうと、

 

嘘をついてでも無意識に自分がやりたい事を優先しようとする習慣。

 

これが問題なわけです。

本で読んだことがある「良い習慣」について。

仕事が出来る人っていうのは夕飯を食べた後でも仕事をする習慣がある。

健康な人は朝早く起きて散歩をする習慣がある。

無意識でそうする事が「当たり前」になっているらしい。

無意識っていうくらいだから苦でもなく楽でもなく、「普通」なわけです。

毎日1キロ走るっていうのが習慣だとするとそれを「挑戦している」っていう感覚でもなく、めっちゃ普通にやるわけですよ。

習慣っていうのは「普通」にそれをやること。

無意識でチョイスしている部分。

ここの改善で人生の方向は間違いなく変わるんじゃないかと。

はい。

もちろん今はまだ思っているだけっす。