それでも私は公認訓練士になりたい

仕事

子供の頃にもらった15分刻みの砂時計。

青い色の砂が中に入っていた。

学習机の上に置いて、ただひたすら眺めるのが好きだった。

机の上に手を乗せて、その上に顎を乗せる。

全部下に落ちるのを見てる。

全部下に落ちると、

またひっくり返す。

15分は長い。

だからいろんなことを考えてみる。

自由帳に絵を描いたりした。

何か別の事をしていると砂時計の最後の砂が下に落ちる瞬間を見逃す。

あの瞬間が一番見たいのに別の事をしていると見られない。

また15分待たないといけない。

ずっと同じペースで落ちている砂が最後になると一気にズザザザと落ちる。

最後の瞬間が楽しくて興奮する。

 

待ちに待った瞬間っていうのはすごく楽しみで嬉しいものです。

 

終わってしまった悲しさもある。

 

それは待ってる本人にしかわからない瞬間。

公認訓練士になると決めた日。

警察犬や盲導犬を各分野で活躍出来るように訓練する仕事がある。

ドッグトレーナーとも呼ばれる職業。

私は今、その資格を取得する為に専門学校に通っている。

子供の頃から動物が大好きだった。

動物園で働くのではなく、訓練士になる道を選んだ。

これまでペット禁止のマンションに住んでいたから犬や猫、その他の動物を飼ったことがない。

それでも動物が好きで動物園に行ったり何かを飼っている友達の家に良く遊びに行った。

あるお家の犬が毎日毎日「お座り」の練習をしていた。

仲の良い友達で、私も毎日その練習を身近で見ていた。

毎日毎日、「お座り!」と連呼してはみるものの、なかなか覚えてくれない。

喜んでみたり、吠えてみたり、走り出したり、覆いかぶさって来たり。

 

「本当に覚えるの?」

 

と友達と半ば諦めムードだった。

 

「必ず出来るようになる。」

 

友達の母親がいつも隣で言っていた。

あんまりやらないものだから強制的に手で押さえたり、「もうご飯あげないからね!」と怒ったりした。

当の本人(犬)は知らん顔で好きな事をしている。

ゴールデンレトリバー。

大きな犬だけど子供の頃だったからコロンコロンしてたのを覚えている。

遊んでいる時はすごくかわいくて、でも言う事を聞かない時はすごくイライラしてめんどくさくなったりした。

それでも毎日のように遊びに行って、一緒に「お座り」の練習をした。

 

「お座り!」

 

ペタンと座った。

手に持っていた餌をあげた。

もう一度、

 

「お座り!」

 

ペタンと座った。

 

次はさすがにやらなかったけど2回連続で「お座り」に反応した。

すごく嬉しかった。

 

その日からずっと犬を飼いたかったし一緒に生活したいと思っていた。

 

大人になると公認訓練士という仕事がある事を学ぶ。

進路を決めるのにそう時間はかからなかった。

 

「私はこの仕事がしたい。」

 

決意した。

 

レオと出会うまで。

訓練士学校に入学。

これから一人前の訓練士になる為に勉強していく。

もちろん多くの犬と一緒に生活する。

そして訓練しながら共に成長していく。

入学の説明を聞きながら、これからのカリキュラムなどを理解する。

どうやって訓練士になるのか。

どういった心構えでいるべきなのか。

卒業後、仕事として訓練士を続ける意味と価値。

卒業生を交えて多くの情報を得た。

 

次の日。

改めてこれから訓練士になる為の心構えを聞く。

 

訓練士というのは、

「親になるわけでも家族になるわけでもない。」

 

でも愛情は必要。

微妙な境目に立たなくてはいけない存在。

どんなに仲良くなっても、自分だけの言う事を聞くようでは意味がない。

ペットではない。

賢い犬を育てるわけでもない。

愛情があって、どんな飼い主に引き取られても言う事を聞き、さらに状況により自ら判断が出来るように訓練していく。

私たちは訓練士である。

そこにやりがいを感じるかどうか。

 

入学して早々、すごく難しいと感じた。

 

ゴールデンレトリバー。

入学して数か月が経った。

犬に関する事。

訓練の順序。

その方法。

様々な事を勉強していく。

心構えを含めて、入学当初に聞いた「家族にも親にもなれない」難しさが少しわかった気がする。

 

そしてこれから実習が始まる。

実際に子犬から自分達が訓練をしていくことになる。

 

やってきた子はゴールデンレトリバーだった。

 

名前はレオ。

これから私を含めて数人で訓練していく。

私はこの子の家族になるわけでもなく、親になるわけでもなく、引き取りもしない。

ただ、訓練をして、様々な指示を聞き分けられるように、その場の状況に応じて判断出来るようにしていく。

 

それは、あの日のお座りが可愛く見える程気の遠くなるような訓練の始まりだった。

 

訓練。

言う事を聞かない。

毎日、レオと接する。

訓練をする。

甘える時は思いっきり甘えさせる。

甘えながらも必要な事は厳しく学ばせていく。

 

レオは全く言う事を聞かなかった。

 

あの時、友達の家で一緒にお座りを教えた子よりも遥かに聞き分けが悪い。

吠えるどころか噛みついたりする。

先生にレオの状況を伝え訓練の方法を修正していく。

 

それでも言う事を聞かなかった。

 

頭を抱える毎日。

どうすればちゃん伝えられるのか。

最善の方法を見つけなくてはいけない。

ある意味、言葉で伝えられない分、子育てよりも難しいんじゃないかと思った。

 

犬と心底

会話したいと思ったのは初めてだった。

 

言葉が通じればいいのに。

そしてレオの事がちょっと嫌いになった。

 

向いてない。

言う事を全く聞いてくれないからレオを嫌いになる。

他の訓練生はもっとうまくやっている。

でもレオが言う事を聞かないからうまくいかない。

何も出来ない。

 

「バカ犬が!」

 

と言いたくなる。

イライラする。

全部レオのせい。

その事をまた先生に相談した。

 

「あなたは訓練士には向いてない。」

 

と言われた。

意味がわからなかった。

レオが悪いのにどうして私が訓練士に向いていないのか。

全く意味がわからなかった。

なんだか涙が出てきて、その日はレオとは接することはなく家に帰った。

 

家で自分の人生史上最大の凹み方をした。

食事も喉を通らない。

そのまま風邪をひいてしまった。

最悪だ。

 

「あなたは訓練士には向いてない。」

 

すごく突き刺さった。

向いていると思ってた。

悲しくて、悔しくて、熱があっても涙が出た。

訓練士を目指すと決めた日から一度も迷ったことなんてない。

ずっと同じ志のまま突き進んできた。

それが、間違っていたような感じがした。

 

数日後、熱も下がり、学校へ行く。

 

まだ答えは出ていなかった。

でもなんとなく学校へは行こうと思った。

資格だけでも取りたいと思った。

気持ちは今もどんより。

それでも先生に先日の相談を謝罪し、「もう少し頑張りたい」と伝えた。

答えが出ないまま、レオに会いに行く。

 

数日会えなかったからだろうか。

 

レオは嬉しそうにしっぽを振りながら私の太ももに何度も何度も前足を乗せて、撫でて欲しそうに吠えている。

 

力いっぱい全身で嬉しさを表している。

 

「私に会いたかったんだね。」

 

そう言ったら涙が止まらなくなった。

 

訓練士は家族にはなれない、親にもなれない。

 

涙が止まらなかった。

 

間違いなく、私は訓練士に向いていない。

 

本気でそう思った。

 

レオが可愛くて仕方なかった。

 

当たり前。

 

「訓練士が動物好きなのは当たり前。好きじゃなきゃ訓練なんて出来ない。でも好きなだけじゃ訓練は進まない。」

 

私は好きなだけだったのかもしれない。

レオと一緒に、家族として過ごしていただけ。

好きなのは当たり前で、その先、レオの為にも訓練をしてあげなければいけない。

 

レオは命に係わる仕事をしていくのだろう。

 

愛情もあって、聞き分けも良くて、飼い主の危険を先に察知する能力が必要。

あの日を境に私の中で何かが変わったんだと思う。

レオはゆっくりだけど色んな事を覚えていった。

歩く速度、人の守り方、吠えてはいけない時。

時間をかけて少しずつ吸収していった。

 

「これは訓練。」

 

わかってはいたけど、好きな気持ちもどんどん大きくなっていった。

 

そして訓練学校の卒業が迫るある日。

 

「レオの飼い主が見つかった。」

 

と先生から連絡があった。

…。

 

レオとお別れの日。

私は飼い主になる方に挨拶をする。

そしたら先に話をしてくれた。

 

「本当に優しい子で、賢くて、ちゃんと仕事をする。この子と一緒に過ごしたいと思った。大切にしますから。安心してくださいね。」

 

わかってはいたけど。

私はレオの家族ではない。

わかってはいたけど飼い主でもない。

 

大きくなったレオは私よりもたくましくなってて、振り返ることなく飼い主に引かれて歩いて行った。

 

「寂しいのは私だけかよ!」

 

先生が抱きしめてくれた。

 

「あなたは優秀な訓練士です。向いてないけどね。」

 

大好きな子が立派になって自分の手から離れていくのが嬉しくもあり、悲しくて、寂しいなんて、当たり前だと思った。

 

私は訓練士には向いてないけど、この仕事を続けようと決めた。