挑戦は「なんとなく」じゃ始まらない

メンタル

人前で何かを話すのは基本的に緊張する。

手のひらに字を書こうが、深呼吸しようが、緊張する。

誰かの前に立つっていうのは半強制的に注目されるような場面なわけで、

その経験は自分にとって大きい。

でも人前で堂々と話が出来る人はなかなかいない。

 

あんまり見たことが無い。

 

基本的にみんな緊張しているのがわかる。

緊張しているのがわかるとこっちもなんだかドキドキしてくる。

ドキドキしてくると話が入ってこない。

 

緊張していても、聞いている側には伝わらないようにしないと話の内容が入ってこない。

 

聞いている人の顔をみたり、雰囲気を感じて話を切り替えていく余裕も必要だし、

リアクションを見ながら話し始めるタイミングを見計らうのも大切。

 

でも本人は緊張しているのだからイメージトレーニング通りに事を運びたい。

 

緊張する。

予定通りに進まない雰囲気を醸し出されたところで対応出来るわけがない。

 

だって緊張しているのだから。

 

私はその時の自分のパフォーマンスこそが実力だと思っている。

一番分かり易い場数を踏むっていうことだと思っている。

 

伝えなくてはいけない事を口から発するだけ。

から、

雰囲気を感じながらより伝わるように話し方を変えていく。

から、

さらに伝わるように逆に質問を投げかけたりしたり。

 

その場に応じて聞いている側が、より話が入っていきやすいようにする。

 

人前に立って話をすることだけじゃない。

緊張が教えてくれる実力を見逃してはいけない。

 

「緊張してうまく出来なかった。」

 

っていうのは普通のこと。

それを経て、どう感じて、これからどうしたいのか。

 

緊張が教えてくれるのはいつも自分が立つ正確な位置だったりする。

 

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私はいつでも挑戦者でいたい。

緊張から解き放たれたら挑戦は終わる。

何か新しいことに挑戦しようとすると、その一歩目は緊張する。

緊張があるからこそ挑戦している気持ちになれたりする。

 

そしてその緊張状態からは自分がそもそも持っている実力が発揮される。

 

過剰に自信を持っていると、想像以下の結果になることもあるし、

自信が無いと思っていたのに、想像以上の結果をもたらすこともある。

 

それが緊張のせいで、と感じる人もいれば、

緊張のおかげで、と感じる人もいる。

 

どちらが良いっていうわけではないけど、

過剰な自信は緊張という目の前の現実に打ち砕かれたり、

緊張が本来持っている力を全て発揮するきっかけになったりする。

 

どちらにしても今持っている自分の力や自分の位置をはっきり映し出す。

 

初めてじゃなくたって緊張することもある。

どんなに同じことをしていても、

それを行う相手や場所によって緊張感が変わったりする。

 

大舞台の方が多くの人に注目されるからより緊張する。

想像以上の相手を目の前にして緊張する。

 

それも普通の事だと思っている。

 

いつもより大舞台であれば緊張する。

いつもと違う相手を目の前にすれば緊張する。

 

挑戦していれば、必ず緊張する瞬間は訪れるのだと思う。

 

だけど、同じ舞台で、同じ相手と何度も何度も挑戦していると、

緊張が薄れていく。

 

ある程度の回数をこなしていくと、慣れていく。

心も体も、

場所と相手に慣れていく。

 

先が想像出来るようになる。

 

想像出来るようになると緊張しなくなる。

そしてある程度のトラブルにも対応出来るようになる。

 

何度も同じ挑戦をしていると、必ず慣れてくる。

「ベテラン」と言われるようになる。

「ふてぶてしい」と言われることもある。

 

その時、私は挑戦者ではなくなっている。

 

むしろ居心地すら良くなっていたりする。

緊張感よりも「こなしている感」が上回る。

 

あの時の緊張が嘘のように落ち着いている。

 

それは成長。

場数を踏んだから。

強くなれたのだと思っている。

 

だけど挑戦を続けなければ甘えてしまいそうな気もする。

 

何人かの野球選手が将来的に大リーグに行くのはどうしてだろう。

色々考えてみたけど、

年俸も変わるし、経験も増えるし、

結果的に自分が幸せになる為の選択をしているんだと思う。

 

だとしたら、

 

自分の未来の幸せを考えた時に、

挑戦は続けた方が良いのではないかと思う。

 

緊張感が無くなり、成長が止まったと思った時。

 

私は新たな挑戦を考えたい。

もちろん自分の幸せの為。

家族の幸せの為。

 

緊張から解き放たれた時が、まさに決断の瞬間なのかもしれない。

 

付け加えるのも挑戦。

挑戦と言われると、

一度リセットして、新しいステージで頑張るようなイメージをする。

 

ゼロからのスタートのように思えたりする。

 

新しいスタートっていうイメージも合っているんだろうけど、

今あるものに何かを付け加えるのも挑戦になる。

 

例えば、緊張しなくなった大舞台で、今日、何か新しいスキルを発表する。

普段通りに何かをするのに加えて、新しい何かを取り入れる。

 

それはそれで緊張すると思う。

 

変化を加える。

自分自身の成長の為、レベルアップの為に何かを変化させる。

それも挑戦。

 

自分が今いる位置からさらに飛躍する為の挑戦。

 

それに伴って苦悩する場面もあるし、

失敗する可能性も上がる。

 

でもやっぱり挑戦するべきだと思って、変化を付け加える。

 

リスクを背負ってでも挑戦する価値を見出す。

その方が幸せになれると信じているから。

人は段階を踏んで成長していくのだと思う。

緊張感も段階を知らせてくれる良いきっかけで、

緊張が無くなった時に、

新しい挑戦がしたくなったりする。

何かを付け加えたくなったりする。

 

変化したいし進化したいと考える。

 

それが挑戦。

自分の今後の事を考えて、挑戦する、挑戦しない、「どちらが幸せになれるか」だけじゃなくて、

考え方だったり、プライドだったり、大好きな想いだったり、変わりたい想いだったり、

 

全部含めて、

挑戦する方を選ぶ。

 

みんながみんなそう思うわけじゃないのはわかっているけど、

私は挑戦している自分の方が傍から見ていても面白い。

 

だから挑戦していたいのだと思う。

 

どんなに慣れても、そこにアクセントを付ける。

変化を加える。

または新しいステージに挑戦する。

自分が知らないステージに足を踏み入れてみたいと思う。

 

それは、極端に言って、

インドア派が思い切ってアウトドア派になるっていうことじゃない。

 

それは無理。

そもそも私はそういう性格じゃない。

 

つまり、

インドア派としてさらに楽しい何かを探したりする。

アウトドア派としてインドア派も「楽しい」と思えるような仕掛けを考える。

みたいな事を挑戦として考えている。

 

それぞれの挑戦。

世の中には多くの人がいる。

だから多くの価値観がある。

 

私はそれを根本的に変えてしまうのが挑戦だとは思っていない。

 

音楽が嫌いなのに無理矢理音楽を聴く事を挑戦とは思わない。

サッカーが好きで、まだサッカーをしていたいのに、野球をする事を挑戦とは思わない。

海外旅行が好きじゃないのに、「一度行ってみた方が良い」と言われ、嫌々海外旅行に行くのが挑戦だとは思わない。

 

無理矢理自分を捻じ曲げる必要がどこにあるのかわからない。

 

「自分を無理やりにでも捻じ曲げたい!」って心から思ってそうするのならわかる。

それは挑戦だと思う。

新しいステージへの一歩だと思う。

自分もワクワクするし、緊張もする。

それを乗り越えた時の自分の姿を想像すると楽しい。

 

ただ、やりたくもない事を無理矢理やるのはただの我慢。

もはや拷問。

 

それを終えた後に「それなりに経験になった。」と自分に言い聞かせたい気持ちはわかる。

「経験した」っていう満足感は誰かに言えたり自分の自信として取り入れられるのだと思う。

 

でもそれは自分が心底臨んだ挑戦から得る経験値よりも遥かに低いんじゃないだろうか。

 

結果的に「挑戦」と考えられる。

じゃダメ。

結果的に「経験」と考える事にした。

じゃ面白くない。

それは単なる経験。

 

しょっぱなから自分の未来の為に選択して、圧倒的な経験値を得られると思って一歩を踏み出す。

 

私は、一歩目から全力が出せる条件が整っている状態で初めて「挑戦」と言えるんだと思っている。

 

挑戦に「なんとなく」はあり得ない。

 

私はずっと「挑戦」をしたいと思っている。