自分を変えたいと思った事が何度もある。
そのほとんどが「思い知った時」で、自分の力が及ばない領域に足を踏み入れた時。
そして、自分が「気が付いた」時。
自分よりも「優れた」存在が現れた時。
大きな失敗をしてしまった時。
別の誰かの存在で恋に破れた時。
自信を持って挑んだ挑戦に敗北を期した時。
ふと、気が付いた時。
自分が変われば現状も変えられると考える。
その時に変わりたいと思う。
どうやったら変われるのか。
一生懸命考える。
色々な事にチャレンジしてみる。
自分よりも優れている誰かを真似てみたり。
テレビ、ラジオ、本、インターネットから情報を集めたり。
友人に相談してみたり。
独断で決めたり。
これまで「そこにいた」自分を無理やり捻じ曲げてみる。
急に変化すると周囲の反応も大きくなる。
拒絶する人もいれば新たに人間関係が作られることもある。
「自分を変えよう!」と考え、実行する時。
大きなエネルギーが必要になる。
自分も知らない「自分」を発掘していくようなもので、何も見つからなければ結局いつもの自分に逆戻りしたりする。
「あの時の自分、どうかしてたな…。」
と思い出してちょっと恥ずかしくなったりする。
そんな自分革命の挑戦と失敗を経て、今の自分は周囲にどう映っているのか。
なにが変わったのか明確にわかるだろうか。
なんかぼんやり変わったような気もする。
これは「変わった」っていうことなのでしょうか。
自分を「変えたい」「変わりたい」を実現しよう。
急には変わらない。
「自分を変えよう!」と思い立って、多くのエネルギーを使うと、周囲が拒絶反応を起こしたりする。
「なんか変。」
「急に変わった。」
まるで消費税が上がったかのような拒絶反応が現れたりする。
その時の反応によっては「違う!」と自分で感じ取って、元に戻す。
それでも強引に変えていくことで、「この先自分にとって徳を生む」と考えれば続ける。
誰かの反応によって「自己判断」していく。
強引に続けることで周囲もその事にこだわらなくなり、「変わった。」という印象も無くなる。
それが「普通」になる。
そして「自分らしさ」になる。
私たちは社会の中で生きているからどうしても「人間関係」を無視することが出来ない。
消費税も徐々に上がっているのにも関わらず、どこか「当たり前」になっていたりする。
初めは圧倒的な拒絶があったにせよ、それを強引に実行し、馴染んで、気にならなくなるまで続ける。
当たり前になれば「次の消費税アップ」も強引に行えたりする。
そもそも「徐々に」上げていく方針だったのかもしれない。
財政にも大きな徳を生む。
だから強引に続ける。
最終的に「良い結果」をもたらすとわかっているから。
思い切って変更する。
前もって「変えるよー!」と助走をつけて、変える時は一気に変える。
人が「変わりたい」「変わらなきゃ」と感じて、それを実行する時も同じ。
圧倒的な拒絶反応が起きることがある。
それは「大きく」変える時。
今の自分を短期間でコロっと大きく変えようものならその拒絶反応は大きい。
「人間関係」はとても大切で、自分の存在価値を表すものだったりする。
それを少し壊したとしても変えたい。
そう考えていざ実行に移したのなら時間がかかるのも覚悟しないといけない。
時に冷たい反応をされたり、拒絶によって態度が急変する可能性もある。
たぶん、傷つく。
心を痛めてしまっても変えなくてはいけない理由があるなら実行するべき。
そしてその傷が癒せるだけの徳がこの先にあるのかどうか。
変えたとしても馴染むのに時間がかかる。
私は、
それでも人は「変われる」し「変わりたい」と願うんじゃないかと思っている。
バランスを調整する。
あまりにも度が過ぎる変え方をすると大きな反発によって二進も三進もいかなくなる時がある。
「空気を読む」ほど感覚的なものではないが、
誰がどう見ても「強引過ぎる」のはいただけない。
消費税をいきなり50%以上にする。
そんなことしたら暴動が起きる。
国民は助走期間中であってもパニックになる。
大反対の末に「取りやめにせざるを得ない」状況になる。
例え取りやめたとしても、
変えようとした人に対しての「不信感」は残る。
誰もが応援していた人だとしても、消費税を50%以上上げようとしたことで一気に支持率が低下する。
一度低下した支持率を再び戻すのにも時間がかかるし、大きなエネルギーを要する。
だからこそ徐々に変える。
反発が最小限に抑えられるようにする。
だけど最終目標は50%。
結局は大きく変えるし大きく変えたいと思っている。
でもバランスを取りながら変えて行く。
その方が「やり易い」と判断されたのだろう。
ただ、
自分を変えるっていうのは、消費税のようにどこかで「会議」をして多くの人の知恵を合わせたようなものではない。
むしろ独断で決行する傲慢な変え方になってしまうことの方が多い。
誰かに相談しても反対される可能性もある。
だからいきなり自分の態度や言動、行動を大きく変えたりする。
そうすれば周囲の反応は冷ややかなものになる。
自分を変えたいなら自分でバランスを取るようにしなくてはいけない。
人は変えられるし、変われると思う。
時間もかかるし、反発もある。
一生、一人で生きていくにはそれなりの覚悟がいる。
今後、誰かと支え合って生きていく方法を選ぶかもしれない。
バランスが取れない変化は横転か転覆の恐れあり。
ただ、人は必ず変われると思っている。
どうせ変わる。
理想とする自分に変われたら。
と想像してみる。
まるで別人のような人生を歩めるような気がする。
ハッピーなことしかない。
そんな気がする。
どうせ人は「自分がハッピーだ!」と感じる方へ歩いていくもの。
そう感じた方へ力を注いで邁進していくのだと思う。
その道中で「やっぱりバッドだ!」と感じれば方向転換する。
「こっちの方がハッピーだ!」と更に足を進める。
「ハッピーだ!」と感じる方へ行くには「自分を変える」しかない。
と感じれば変える。
一時的であっても変えようとする。
もう本能的なものだと思う。
「この方がいい!」って直感的に、考えて行動して経験していく。
そして徐々に変わっていく。
多くの事を経験して、成功したり、失敗したりしながらも「自分らしい」を道しるべに進む。
その自分らしさこそ「変わる」理由だったりする。
自分が今より「自分らしく」なる為に変わる。
辛い事があって塞ぎ込んだりもする。
塞ぎ込むのがそんなに悪いことだとは思わない。
「自分らしく」いる為に塞ぎ込むことだってある。
良い知らせを受けて調子に乗る。
それで誰かを傷つけたりしてしまうこともある。
「自分らしく」いる為に誰かを傷つけてしまったりすることもある。
それが「悪いことだ」とか「これじゃダメだ!」って自分が感じた時に「変わる」のかもしれない。
その時に後悔したり、悩んだりしながら徐々に変わっていく。
そして「何か」に気が付いたのだと思う。
どうせ徐々に変わっていく。
「変えたい!」と焦る気持ちがあるかもしれない。
「今すぐに!」と無理やり変えようとするかもしれない。
失敗と成功を繰り返しながら変わっていく。
結局、自分が望む方向へ大なり小なりの波を超えながら変わっていくんじゃないだろうか。
本気の証明。
「自分を変えたい」と願って、それを実行する時は「自分の人生に本気になった時」だと思っている。
面白半分で自分を変えたいと思う人なんていない。
これまで何かを変えたいと思ったことはないけど、
自分はこのままでいいと思っていたけど、
誰かが変わっていく姿を見て「違う」と感じていたけど、
変わろうと思って失敗して、恥ずかしい経験をしたことがあるけど、
もし、今、「変わりたい!」と思っているなら。
その時こそ自分の人生に対して本気になっている証拠だと思う。
そもそも本気にならなきゃ、何も変わらないんじゃないだろうか。
どうか感想をください。