探偵の仕事は主に浮気調査。
世の中には探偵という職業がある。
だけどそのほとんどが、
名探偵コナンのように殺人現場に遭遇して名推理をするような仕事ではなく、浮気調査。
「浮気をしているかどうか調べてほしい。」
そういう依頼者が大勢いる。
手付金がどんなに高額でも依頼する。
需要があるのです。
証拠を見つける。
浮気現場を写真に収める。
芸能人ではなく、その依頼のほとんどが一般人である。
探偵に対する免疫なんて一般人にはほとんどないと言っていい。
浮気の疑いがかかった時点でほとんどが黒。
それに、免役が無いから一般の人を対象にした浮気調査はちょろい。
実際に探偵をしている人がそう言うのだから間違いない。
証拠が見つからない場合は白。
浮気調査は白でも黒でも仕事として成立する。
だけど、
「結局白だったパターンは少ない。」
探偵に依頼しようと思ったくらいなのだからそのほとんどが黒である。
その後の対象者に何が起こったとしても関係なし。
探偵は淡泊な仕事です。
浮気調査という市場があるのだからやる。
そういう仕事なんです。
浮気調査の仕事。
今日も浮気調査。
「探偵になる!」と決めていざ事務所を構える。
それからホームページを作り、インターネット上で広告を出す。
ネットサーフィンをしていると見かけることがあると思う。
探偵の広告。浮気調査の広告。
まさにそれ。
広告を出す際に、地域を絞ったり、年齢を絞ったりも出来る。
狙った層に対して広告を出せる。
つまり今、「浮気調査を依頼したい人」に対してピンポイントで宣伝が出来る。
そして今日も電話が鳴る。
「浮気調査をお願いしたいんですけど。」
あまりにも浮気調査の依頼が多いのでアルバイトを雇った。
数日間、対象の人物が家に帰るまでを観察する。
その間に決定的な瞬間があるならその証拠を写真に収めてもらう。
求人も普通に出した。
別に隠すことなく、「浮気調査のお手伝い」として。
表の仕事として、当たり前に求人がかかっている。
浮気調査を仕事としてやりたい人、浮気調査をして欲しい人、浮気の疑いをかけられている人。
なるべくしてこうなったのか。
変わるべきなのか、変えるべきなのか。
探偵という仕事に対して、誰が、どんなに多くの意義を唱えても、
今日も浮気調査を求める電話が鳴る。
堂々とし過ぎ。
浮気調査を毎日のようにしていると疑問に思うことがある。
バレてはいけない事をどうして白昼堂々とやるのだろうか。
もちろん浮気調査という「仕事」をしているというのもある。
あるが、
インターネットを使ったり、テレビを使ったり、ラジオを使ったり、街の看板を使ったりして、こんなに大々的に広告を打ち出している。
「浮気調査の広告を。」
そもそもそれだけの広告を出せるのは、需要があるからで、あって反響があるから。
浮気調査を求めている人が大勢いるから。
「浮気調査やりまっせー!」
と、こんなに大袈裟に宣伝されている今。
浮気をする「リスク」の方が大きいと感じるのです。
世の中に張り巡らされている宣伝が目に入らないくらい熱中してしまっているのか、お互いが人生で最高の魅力を感じているのか、自分は浮気の疑いは無いと思っているのか、調査までは依頼しないだろうと思っているのか。
探偵という仕事は証拠を掴む、その現場を押さえる仕事である。
探偵は、証拠が挙がらない難しい仕事にやりがいを感じる。
バレないと高を括るのは結構だが、
浮気は疑いをかけられた時点でバレていると思った方が良い。
なにより堂々とし過ぎである。
そんなに堂々とされては探偵側は「容易い」。
簡単に証拠を押さえられるからアルバイトでも出来てしまう。
名探偵なんていらない。
ちょろい。
浮気をするなら探偵にもバレないように、しっぽを掴ませないようにやってもらいたい。
探偵側にやりがいを与えてほしいものである。
簡単に証拠を押さえられるから需要と供給が高まって、広告も大々的になっている。
世の中に探偵事務所がコンビニのように溢れかえる日が来てしまう。
探偵なんてのは少数派が選ぶ仕事のままでいる方が世の中が幸せで溢れている証拠だと思っている。
裏側。
探偵はイメージ的に「裏稼業」である。
もちろん浮気調査も裏稼業。
そのイメージはつい最近まで「変わらず」だった。
知る人ぞ知る探偵事務所。
浮気調査が予想より遥かに「お金を稼げる対象」になるとその流れが変わる。
依頼者の取り合いが始まるのだ。
それが大々的な広告を打ち出す理由でもある。
儲からなきゃ広告なんて出さない。
裏稼業がこんなに表に出て来てしまっている。
最近では顔写真付きの証明書を持った探偵がいる。
対象者に対してひっそりと近づく仕事をしているのにも関わらず、顔写真付きの証明書。
職業は探偵と書いてある。
笑うしかない。
とうとう探偵が信頼性を求められ始めたのだ。
表どころの話ではない。
最先端を走る仕事になってしまった。
その発端が浮気調査である事は間違いない。
堂々と、表立って浮気をし過ぎなのだ。
浮気調査がいとも簡単に依頼出来る時代になってしまった。
浮気も、浮気調査も、両方とも堂々とやるのだから目立たないわけがない。
複雑。
ここまで大きく広告を出している今も浮気調査の電話が鳴る。
そもそも裏稼業だったせいか、「なかなか依頼まで辿り着けなかった人」が敷居が低くなったおかげでどしどし電話をかけてくれる。
仕事としてはありがたいのだが、
同じ人から何度も依頼を受けることもある。
その度に「黒」。
それなのにまた浮気をするらしい。
我々は調査はしても、その後はノータッチ。
そういう契約で浮気調査を開始する。
実際に証拠を押さえて、渡して、その後のことは関わらない。
何度浮気調査を依頼されても我々は全力で仕事をする。
なんとしても証拠を押さえようとするだろう。
同じ依頼者から何度も浮気調査の依頼を受け、その度に証拠を押さえれば、
「ありがとう。」
と言ってくれる。
感謝の言葉を頂ける。
正直、複雑だ。
その手前で何とかする術はないのだろうか。
調査依頼以外はノータッチという契約。
複雑な気持ちになるのです。
断ろう。
旦那の浮気調査。
同じ依頼者から計5回。
その全てで証拠を押さえた。
探偵として、仕事として、浮気調査以外のことは一切しない約束。
だから、もしプライベートの相談を受けたとしても答えられない。
「うちの旦那。やっぱりおかしいですよね?」
答えられないのです。
それがどんなに「おかしい」と思っても。
我々の仕事は浮気調査だけ。
その証拠を押さえるだけなんです。
「またですか?」とも言えない。
証拠を提示するのみ。
もし、次回、また同じ依頼者から浮気調査をお願いされたら。
その時は断ろうと思っている。
断られた依頼者が、もしかしたら他の事務所にお願いするかもしれない。
それでも私は断ろうと思っている。
ごちゃごちゃ考えた結果、そうするべきだと思っている。
何回も依頼するのは旦那さんを「それでも愛している」証拠なんじゃないかと。
戯言です。
我々は淡泊に仕事をこなすだけ。
浮気調査をする側が「愛」を口にするとすごく罪深い感じがしてしまう。
淡泊に、断るだけ。
愛や恋の迷宮。
こんな事を言ってはいけないのかもしれないが、
我々にとって「浮気が無くなる」は、仕事が減ることを意味する。
今、探偵の仕事は浮気調査の依頼がほとんど。
大きな柱が無くなるようなもの。
世の中的にはめでたいのかもしれない。
浮気調査をメインにする事務所が多くなった。
だからこそ、不思議な依頼を受けることがある。
浮気調査をする事務所の調査。
ちゃんと浮気調査をしているかどうかを調べたいのです。
しているのなら良し。
していないのならその証拠を押さえる。
我々としては「その証拠は押さえられない」ことを祈りたい。
浮気調査をしない証拠などあってはいけない。
ただの詐欺だ。
同業者としてぶん殴りたい。
愛や恋で迷宮入りしている状態が続くと、何を疑って、何を信じればいいのかわからなくなるのだろうか。
浮気調査は簡単。
やる奴もあまりに堂々としているものだから証拠も速攻で押さえられることがほとんど。
ただ、愛や恋の迷宮に入り込んだ時が複雑。
その証拠がなんの意味も持たなくなる事がある。
理由は、「それでも愛している」から。
浮気の現場を何度押さえようが「愛している」から信じたいのです。
浮気の証拠を押さえたとしても、その証拠の「使い方」は確かにそれぞれ。
依頼者にとって「良いものなのか」それとも「悪いものなのか」はわからない。
浮気を調査する。
依頼されればすぐに取り掛かります。
それが仕事です。
徹底的にやって証拠を押さえてみせます。
でも、いつもどこかで思っています。
「シロ」であって欲しい。
こういう時、現実はほとんどの場合、「クロ」である。
「グレー」はない。
仕事をしていないのと同じ。
それが我々の仕事なのです。
淡泊でなければやっていけない。
どうか感想をください。