育児中のパパが思うこと。反省すること。誓うこと。

生活

育児パパが考える事をまとめておきたい。

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パパだって育児中に感じる事はある。

眠たい時に起きて起きたい時にも起きてる。

夜中に何度も起こされたり、日々の生活の中で寝不足になることがある。

そうなるとさすがに昼でも眠くなるのだ。

せっかくの休日は眠くなったら寝れる環境はあるのだが、そんな時に限って子供は元気。

いつも昼寝をするタイミングで一緒に寝ようと思ってはいるがそんな日に限って元気。

それでも何とか一緒に寝ようと試みる。

もうすぐ寝そうだ。

と安心したら起きる。

そして騒ぐ。

そんな時だけは「眠たい時に寝かせてくれ」と思ってしまう。

眠たい癖にこっちが眠たいのがわかっているかのように起きて騒ぐ。

オムツを替えなきゃと思った時に限ってしてない。

オムツの子供が二人いるとたまにどっちのオムツを替えたのか忘れてしまう。

「オムツ替えてない!」と気が付いて急いで脱がせるとしてない。

でも破ってしまったオムツ。

「しょうがない替えるか。」と思って替えた5分後にうんちする。

さっきのタイミングでしとけや。

別に文句を言うレベルではないし日常茶飯事だがいつも思う。

タイミングが合わないのだ。

張り切って作ったものの方が食べない。

今日はせっかくの休日だからいつもとちょっと違った美味しいものでも食べさせてあげようと思って凝った料理を作ることにした。

何度味見をしてもおいしい。

完璧だ。

いざ出してみたら食べない。

少し食べようとするが味見する程度でそこからは食べない。

ずっと食べない。

そして「もういい!」と言い出す。

なんかむかつく。

別に作ってほしいと言われて作ったわけではないが食べてもらえないことがむかつくのだ。

でも仕方ない。

残ったご飯を代わりに食べて「納豆ご飯」を代わりに出す。

あっという間に食べ終わる。

どんな手料理も納豆ご飯に勝てないのか。

バナナにもブドウにも勝てない。

「お手伝いをしたい!」と準備をしたらテレビを見てる。

洗濯物を畳んでいると「お手伝い!」と言ってハンカチを畳み出した。

すぐに一枚のハンカチを畳み終わると「もっと!」と言うのでTシャツを渡したら「違う!」となる。

ハンカチを探しに席を立って戻ったらテレビを見ていた。

どうしてそうなるのかわからないがどうやら今やりたいこと意外にやりたくないのだろう。

「ハンカチ」と言ったら「やだ!」と返ってきた。

どういうことかわからないがこちらの運動量だけが増えた。

うんちの後のうんち。

トイトレの最中に限ってうんちをしに行った後にうんちをする。

カーテンの裏に隠れてうんちをする習性がある我が子。

気が付いた時にはすでにカーテンの裏にいた。

ばっちりうんちはしていたが、まだ出ると予想。

そのままトイレに連れていく。

トイトレ中というのもあって少し出た。

程よく褒めて新しいオムツをする。

そのままカーテンの裏に走っていった。

溜息しか出なかった。

風呂に入らない。

お風呂に入ろうとすると服を脱ぐまでに時間がかかる。

一枚脱ぐ度に逃げる。

それを裸になるまで繰り返す。

下の子も同時にお風呂に入る時はさらにバタバタする。

どう考えても人の手が足りないのだ。

それに加え上の子は服を脱がないのだからカミナリを落とすことになる。

カミナリを落としたところで泣きわめき、下の子も共鳴するように泣くことになる。

一人殻に閉じこもりたくなる。

風呂から出ない。

やっとの思いで風呂に入れたものの次は出ない。

どんなに誘っても出ないのだ。

医者にあまり長湯をするなと言われているので強制的に出すが泣く。

共鳴する。

風呂を一瞬で終わらせる何か画期的なアイデアが欲しいとこんなに思ったことがない。

風呂の時間が恐怖過ぎる。

絵本ラッシュ。

私が男だから基本的に子供と遊ぶ時間というのが苦手である。

何をしていいのかわからずに時間が過ぎていくのだ。

だからいつもそれなら「絵本を読もう!」と誘う。

読む読む!とがっついてくる。

そしてラッシュ。

絵本読んで読んでラッシュだ。

一回で満足することなどほとんどない。

むしろ一度もない。

時には何冊も次々に持ってくる。

ラッシュラッシュラッシュ。

お父さんは眠くなる。

なかなか寝付かない。

「そろそろ寝よう!」と伝えれば「寝る!」とは言うもののそこからの時間が長い。

なかなか寝付かない。

ゴロゴロしたり正座してみたり乗っかってきてみたり。

ぬいぐるみが無い!と叫んだり。

とにかくなかなか寝ない。

寝付かせるのが得意ではないのかもしれないが全ての要望に応えれば寝るどころではなくなる。

それにおとうさんが眠い。

早く寝てくれ。

100パーセントかかと落とし。

なかなか寝付かない時の最後の仕上げはかかと落としだ。

娘のかかとが腹や脚。

時に顔にまでその攻撃範囲は広い。

もちろんそうなればカミナリが落とされるわけだが何度怒ってもこればかりは繰り返す。

ただゴロゴロしているのなら別にいいのだがこのかかと落としが本当に怖い。

眠気も一気に冷めるくらい痛い。

どんなに眠くても顔と腹だけはしっかり腕でかばう。

寝付くまではその体制を崩すことはない。

朝が早過ぎる。

前日の寝る時間にもよるが下の子と共鳴するように起きるので早い時は信じられないくらいに早い。

そしてそんな日は寝不足が決定しているので昼寝をするまで絶好調に愚図る。

眠いなら寝ればいいのにと思うがうまく寝れないからか途方もない愚図りに付き合わされることになる。

「一人で寝てくれるようになれば楽なのに」という期間がどれだけ経ったのか。

一人で寝れるようになってもきっとまた他の問題が出てくるんだと思う。

でも今は今で手一杯。

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パパだってマイナスな事を考えるだけではない。

どんな子供であってほしいか考えたりする。

これから生きていく中でどんな子供であってほしいのか。

そしてそれを実現する為にどんなものが必要なのか。

保育園だったり幼稚園だったり住んでいる場所だったり。

そう簡単に決められるような状況ではないのに決めなくてはいけないような。

そんな感じがしてしまう。

でもやっぱりメインはどんな子供であってほしいかという願いとそれを叶える為に自分に出来ること。

何も考えていないように見えるかもしれないが、それは毎日の生活がバタバタしているから。

それなりに考えてはいるつもりなのだ。

たまにめんどくさくなる。

こればかりは大変申し訳ないのだがたまにめんどくさくなる。

育児も家事も仕事も。

なんでもめんどくさくなるのだ。

確かにマイナスな部分な気がするかもしれない。

でもめんどくさくなって色々と放置した時、実は回復したりしている。

めんどくさくなるのと同時に自分がやりたいことをするからだ。

めんどくさくなった時はパパの充電が無くなった時。

再び充電されれば頑張るから少し時間が欲しい。

誰にも邪魔されない時間が少しだけ欲しいのだ。

それは贅沢なのだろうか。

父親の背中は偉大でありたい。

今すぐにそうなるわけではない事は明らかだ。

でもどこかで理想の父親になりたいという気持ちがすごく強くなってきた。

子供が生まれたばかりの時はすべてがわからないままなんとなく過ごす日々だったけど最近になってやっぱり年頃になったら嫌われたりするのは嫌だと感じるようになった。

年頃になればまず嫌われるだろう。

娘だし。

でもその時に偉大な父でいることでそれを防げはしまいかと考えてしまうのだ。

その時期まで残された時間は短い。

父親として何がどこまで出来るのか。

偉大な父でいられるように一日一日を積み重ねていくのみ。

実は自由になった。

過程を持ったり、子供がいると自由が無くなると聞いていた。

実際にそうだとも思った。

でも家族として日々を過ごしているとあることに気が付くようになる。

最大の目標が定まったのだ。

それは「家族が幸せであること」だ。

それが最大の目標になると独身の時よりも自由である。

どうして自由なのか。

あれこれ目標が無いから。

最大の目標があればそれに向かって細かい目標を立てるだけで済むのだ。

家族が幸せであることは自分も幸せであることである。

だから自由なのだ。

それ以外に目標が無いのだからやることは絞られる。

やる事が絞られれば後はやるだけ。

幸せに向かって一直線。

そう考えると家族を持ち、子供がいる方が自由だと感じる。

家族や子供のおかげなのだ。

自分以外の幸せを願うことなどこれまでなかった。

少し冷たい表現かもしれないが、これまで自分以外の幸せを願うことなどなかった。

それが今は自分の幸せが家族の幸せになっている。

自分だけが幸せでも家族が幸せで泣ければ意味がないと考えるようになった。

他のものがどうでもいいわけではない。

自分の幸せも叶えたい。

でもそれが家族の幸せなのであればそれ以外はどうでもいいと考えてしまうのだ。

こんな事を子供に教えるわけにもいかないが近い未来で同じような感覚になるようなことがあればきっと理解してくれるんだと思っている。

わちゃわちゃしている時は「早く静まれ」とずっと思っている。

その日の寝顔を見るとマイナスな面がフラットになる。

どんなにむかついて、どんなにバタバタで、どんなにわがままな一日でもその日の寝顔を見るとなんだか許せてしまう。

次の日もやっぱり同じ。

バタバタわがままむかつく。

でも寝顔を見るとなんだかこっちの心が癒される。

どうやら子供にはそういう不思議な力があるようだ。

今日一日の疲れをうまく癒してくれるように出来ているらしい。

「うちに来てくれてありがとう」と素直に思える瞬間。

寝顔は天使とはよく言ったものだ。

悔しいが全くその通りだと思う。

未来を想像する。

恐らくこれからたくさんの困難が待ち構えているのだと思う。

自分がこれまで経験した一番つらい事を想像してみる。

そうすると心が重たくなる。

もしかしたらこの子はそれ以上の困難を乗り越えなければならないかもしれない。

そう考えるとどんなアドバイスをしてあげればいいのかわからない。

自分が経験した以上の困難を目の当たりにした時にどんな選択をするのだろうと考える。

めちゃ怖い。

自分が乗り越えてきた全てを教えることは出来てもそれ以上の困難が押し寄せた時に自分では歯が立たないと思うのだ。

でも必ずそういう日が来ると感じている。

感じているからこそそういった時にどうするべきなのかの準備は必要。

その準備は一緒に考えること。

一緒に乗り越えること。

それ以外に方法はない。

それを乗り越えれば家族全員が幸せでいられるなら乗り越える決断をするのだと思う。

乗り越えられなくても幸せになる選択を選べるのならしっぽを巻いて逃げるのだと思う。

どちらでも構わない。

でもその時が来た時の準備は必要だと感じる。

離乳食の準備も着替えの準備もオムツの準備も必要だ。

でも心の準備も必要。

そんな時が来たらちゃんと向き合ってどんな選択をしていくのか一緒に悩みたいと思っている。

力になれない時もある。

父親だから。

そういう理由だけで力になれない時がある。

母乳は出ない。

母親にはなれない。

どうしても母親にはなれないのだ。

母親の代わりが全て務まるわけではない。

そんな時すごく申し訳ない気持ちになる。

母親に求めることは父親ではどうすることも出来ない部分もあるのだ。

出来るなら全てを叶えてあげたいのだがどうしてもそれが出来ない場合。

すごく申し訳ない気持ちになる。

何とか頑張ってはみるもののどうしても無理なのだ。

考えても行動しても発言してもやっぱり難しい。

この気持ちがわかってくれる時がいつか来るのだろうか。

いつか来たらいいなとは思うけどなかなか親の気持ち全てを理解するのは難しいだろう。

今だに自分の親の気持ちもその全てがわかるわけではない。

自分でもそうなのだ。

それを子供に期待している時点でちょっと見当違いか。

でもそれを考えると自分の親から受けた愛情のことについてちょっと思う。

あの時はどんな気持ちだったのだろう。

きっと判断が難しかったのではなかっただろうか。

自分が経験したことのない困難を目の前にした時に的確なアドバイスを親からもらえていたのだろうか。

結局乗り越えるのか、引きずっていくのかは子供である私が決めたことである。

だからきっと的確なアドバイスなどいらないのだろう。

自分で考え、自分で立ち向かっていくのだろう。

そう思うと親に出来ることなど少ないのだ。

むしろ力になれる部分などほとんどないのだ。

どうせその時の社会の中で生きていくのだから。

それなら出来ることは一つだ。

ずっと父親でいること。