私は子供の頃、お母さんに「子供が生まれて良かったなって思う事ある?」と聞いたことがあります。
「一緒に成長出来た事かな。」
私がその言葉の本当の意味を知るのはまだ先の未来かもしれませんが、世の中には私を含め子育てで悩みを抱えている家庭が沢山あります。
その悩みを解決出来ないまま過ぎていく毎日です。
子育ての悩みは人の性格の数だけ存在します。
家庭の数だけ存在します。
私達夫婦は常に子供の悩みを抱えています。
怒鳴ったり、納得がいかなかったり、愛しかったり、悔しかったり、心配したり。
家庭があって、小さな子供がいて、ドタバタな毎日を過ごしていると、どうしても「一緒に成長出来る喜び」を感じられません。
それでもお母さんは子供が生まれて良かった事が「一緒に成長出来た事かな」と言いました。
お母さんにとって私は、親になっても子供です。
そして私の子供は孫になります。
お母さんにとっての私は、孫が生まれてもずっと子供です。
お母さんが言う「子供と共に成長する喜び」は今も続いている。
今回は、子育てに悩みを抱える多くの人に伝えたい。
子育ての悩みが生まれるのは。
私達夫婦が子育ての悩みを抱える時、それは自分達の経験や周りの環境や社会との繋がりと子供を比べた時です。
人は人、自分は自分、と口では言いながらも、様々な経験と環境から「普通は」と考え、それと違う我が子に疑問を覚えたりする。
「このままでは将来が…」と不安になる。
そういった「普通」を引っ張り出して来るには理由がありました。
夫婦で子育てに対してお互いの意見をぶつけ合ったり、共感し合いながら毎日を生きていく中で、子育てが初めてである私達夫婦には自信がありません。
自信が無いから、比べてしまうんです。
周りと比べて我が子はどうなのか、考え方が間違っているんだろうか、悩みます。
迷っているから、比べてしまうんです。
親に自信が無くて、迷っていれば、子供にも伝わっていると思います。
そういった解決しない悩みが重なって、また新たな悩みが出てきたりもします。
親子の間もギクシャクしたり、夫婦の間もギクシャクしたり。
何かを改善しようとすれば他の悩みが浮き彫りになる。
私達はある仮説を立てました。
それは、「親になってから子育ての悩みは尽きない」です。
決して悩みを解決する事を諦めたわけではありません。
悩みがあれば、子供も含めて話し合ったり、解決方法を探します。
これからもそれを続けていきます。
ただ、その悩みは尽きることなく生まれてくるんです。
「だったら悩みが尽きない事を認めてやろう!」と思いました。
それからは私達の子供が、ずーっと私達の子供であるように、悩みが尽きない事が当たり前だと思うようになりました。
「次は一体なんだい?」と新たな悩みを受け入れられるようになれば、少し、気持ちが楽なった気がしました。
理想の親と私。
私は子供にとって理想の親でありたいと思っています。
今でもその気持ちは変わっていません。
ですが実際は、子育てに自信が持てなくて、迷っていて、これから先の未来は不安ばかりです。
今現在理想の親でない事は明らかです。
本当は子供が生まれる前にちゃんと準備をして、理想の親になっていたかった。
自分なりにメンタルも含めて準備をしてきたつもりでした。
子供が生まれてからその準備は見事に崩壊しました。
泣き止まなくてあたふたしたり、買い物中に少し姿が見えなくなっただけで大きな不安に襲われたり、食事中に食べ物をひっくり返して怒鳴ったり。
いつも平常心でいられるように準備をしてきたつもりでしたが、翻弄されっぱなしです。
理想の親とは程遠かったんです。
想像以上の事が頻繁に起きるし、毎日一度はイライラするし、初めての体験ばかりで体も心も疲れます。
理想としていた親と、今の私との距離はどのくらいあるのだろう。
考えてみると果てしない距離。
だから私は仮説をたてました。
理想の親は果てしない冒険の先にある。
別に理想の親になる事を諦めたわけではありません。
でも、今の自分と理想の親との距離があり過ぎるから、夢として、目標として掲げる事にしました。
いつか辿り着けると信じて毎日毎日を頑張るしかない。
どう頑張っても今すぐに理想の親になれるわけではないんだから。
そう考えるようになってからは、焦らずに、一歩ずつ進んでいく自分を少しだけ認める事が出来るようになりました。
未だに自信は無いし、迷うけど、それを改善するには毎日を積み重ねて行くしかない。
毎日積み重ねていくしか夢や目標には辿り着けないんです。
そう思うようになってからは、考え方が少しシンプルになりました。
共に成長する喜び。
お母さんが言った子供が生まれて良かった事。
「一緒に成長出来た事かな。」
これは、きっと毎日の積み重ねから実感出来たひとつの答えなんじゃないかと思っています。
今となっては子供が親になって、孫が出来て…。
結婚したところでゴールかと思ったら次は孫の事で悩んだり、考えたり、イライラしたりする子供の姿を見る。
お母さんとしては既に経験済みの「子育て」かもしれないけど、自分の子供がいざ同じような立場になると、また違った悩みも出て来ると思います。
お母さんにとっては孫の存在が初めてで、それはそれでまた新しい事ばかり。
お婆ちゃんになると、知らない事がまだまだある事に気付かされたんだと思っています。
私のお母さんもまだまだ理想の親を目指している最中なのかもしれません。
だって、初めての孫なんだから。
そういった初めてを経験しながらも、共に成長する喜びを感じられるお母さんを尊敬する自分がいます。
私にとってもずっとお母さんだから面と向かって「尊敬してる」とは言えないけど、毎日のドタバタ劇を共に成長出来る喜びに変えられる凄さには尊敬しかありません。
私にはまだ毎日のドタバタ劇を「喜び」や「楽しみ」とは捉えられない。
だけど、これから先、そう思える事が出来たなら、理想の親に近付いたって事なのかもしれません。
正解探しは子供に託そうかな。
どんなに子育てに悩んでも、一時的にそれなりの答えを出してみても、今の私に正解はわかりません。
どこに正解を求めるかどうかにもよるけど、私が1番望んでいるのは我が子が幸せである事です。
それにはまず、自分がもっと幸せでなくてはいけないと思っています。
ところが現状は毎日がバタバタで、イライラしたり、不安になったり、心配になったり、迷ったりして、全く自信が持てません。
親として教えられる事もこれまで自分が経験してきた事に偏ってしまうんです。
子供が生まれてからは、子供の成長ばかりに気を取られるようになり、そこから生まれる悩みは増すばかりで、自分の幸せが一体何だったのかわからなくなってしまいました。
もしかしたら、私の幸せは子供の幸せとリンクしているかもしれない。
それを感じたのは、子供が幸せを感じていない時に私も幸せを感じないと思った時でした。
親として幸せな姿を見せて、ワクワクする未来を想像させてあげたいけど、私の幸せに子供の幸せが含まれる以上それが簡単には出来ないのです。
どうしても子供に自分の理想を押し付けてしまうし、無理に幸せを装ったりすれば、きっと子供も無理に楽しそうにしたり、多くの我慢をしてしまうかもしれない。
結果的に自分の幸せを遠ざけてしまうような気がするのです。
私にはそれでも理想を貫く自信がありません。
経験や知識もこの世の偉人達と比べれば微々たるものでしょう。
だから、ありのままでいるしか出来ないんです。
自分の理想通りに子供をコントロールしようとするから子供は嫌がる。
その姿に親の私はイライラする。
イライラしたくないのにどこまで許して良いのかの線引きも曖昧で、常に迷っている。
だから親としての前に、自分が子供と同じ1人の人間である事をうまく伝えないといけない。
理想の親になりたい夢や目標はあるけど、そういったものも家族には全てさらけ出さなきゃ息が詰まってしまいます。
出来ない事だってある。
わからない事だってある。
失敗だって沢山ある。
でも頑張るから応援して欲しい。
それもちゃんと伝える。
それが子育てをする中で良いのか悪いのかわかりませんが、自分が親として出来る全力を出したい。
その全力の中に親としての弱みや自分だけの強みも含まれている以上、私は1人の人間として、家族の前では全てをさらけ出したいと思っています。
親として、出来ない事や教えられない事があるのはつらいけど、そんな場面になったら子供と一緒に努力したり、勉強したいと思っています。
それが正解かどうかは、未来の子供達に判断してもらうしかありません。
だって、子育ては初めてなんだもん。
未熟な私には一緒に成長する道しか選べないのです。
親として願っていいかな?
私は親として、まだまだ知らない事が沢山あります。
自分の親に教わっても出来ない事があったり、教わっても疑問を持ったり、納得がいかない事があったりします。
近所の子育て世代の親達からも様々な事を教えてもらいます。
それぞれの家族にそれぞれの価値観があって、全てを鵜呑みにすると余計に悩みが増えたりします。
自由に育てたいとは思っているけど自由過ぎてもいけない。
シーソーみたいなバランスの中で子育てをしています。
自分の子育てに自信が持てる日が来るのかわかりませんが、子供に多くの事を望み過ぎてしまっていたのかもしれません。
だからこのブログを機に、少し自分を変えたい。
色々考え過ぎて、子育ての悩みが尽きないのでシンプルにしたい。
毎日を一緒に生きながら、互いの幸せを見つけていきましょう。
私は我が子と一緒に生きていきたい。
その為に出来る事を、毎日積み重ねていきます。
どうか感想をください。