「彼氏出来たんだー!」
「えー!どんな人ー?」
「商社マンでさー!いいでしょ?」
「将来安泰だねー!最高じゃーん!」
「でしょー?羨ましい?」
「羨ましいなー!私もそんな彼氏が欲しいなー!」
…。
好きになった人がたまたま商社マンだったならまだわかる。
世の中にはまず仕事から彼氏を探す女がいる。
将来お金に困りたくないから。
安定している職業が一番。
男の価値って仕事なの?
男の価値ってお金なの?
それだけじゃないような気もするけどな。
でも、仕事で男を選ぶ女にはわからないのだろう。
知ろうともしない。
選択肢に入らない。
過去の苦い経験がそうさせたのか。
自分で選択肢を狭めてるくせに「彼氏が出来ないー!」と嘆いていたりする。
絞り込みの項目が多過ぎて、選べる男も数少ない。
数少ない男を求めあって、取り合ってる。
商社マンは最高だ。
医者も弁護士も最高。
お金を稼げる男は最高だよ。
それは間違いない。
が、まだまだ男の魅力は沢山ある。
それを伝えたい。
と、言うより、知って欲しい。
恋の価値ってそんなに薄っぺらいか?
お金を稼ぐのは当然だ。
商社マンじゃなくても、弁護士や医者じゃなくても、私達はこれからもお金を稼いでいく。
大富豪の息子なら有り余ったお金があるかもしれないけど、この世のほとんどの男がそうじゃない。
どんな仕事だろうがこれからもお金を稼ぐ。
仕事をしていく。
当然だ。
だってお金が必要なんだから。
男の魅力は仕事だけではない。
お金だけではない。
他にもある。
仕事やお金が重要なのはわかっている。
そんな社会の中で、もがいて、馬鹿な男だと言われながら、馬鹿にされながら成長していく。
挫けて、反省して、努力して、次に繋げていく。
お金を稼がなきゃならないから。
稼ぎ続けなきゃならないから。
今お金が無くたって、今彼氏にする条件の仕事に就いていなくても、今後はわからない。
今後の自分への努力は、男の魅力の一つだと私は思うのです。
口だけで「いつか必ず…」とか言う男もいるけど、そうじゃなくて、真剣に今の自分と向き合って、成長しようと努力している男は魅力的に見えるはずなんです。
それだけ頑張っている男が恋を優先するとは思えないけど、成功者を陰で支えている存在は、成功してから聞く機会が多い。
売れない芸人が花開けば、「実は結婚していて…」とか。
売れないミュージシャンが花開けば、「結婚しました!」とか。
わかりやすいくらいに結果を出す前の男を支えているのは、女性だったりする。
恋は仕事やお金とは別のところにあるのかもしれない。
だとしたら、恋人の条件にもう一つ加えて欲しいのです。
「将来性」を。
男の魅力には「将来性」が含まれる。
その可能性を見出せる女性は凄い。
素直に思う。
つい最近、ノーベル賞を取った吉野彰さん。
の、奥さん。
ずっと応援してたんだって。
なんか、金銭面の成功だけじゃなくて、恋の形としても、成功例の一つのような気がしませんか?
恋と言うか、愛か。
言っちゃ悪いけど、もうおじいちゃん。
それでも信じ続けた妻の存在。
仕事もお金も恋も、大逆転勝利は気持ちがいいもんだな。
未完成品の魅力。
私は男です。
そして子供の頃はプラモデルやミニ四駆が大好きでした。
箱を開けて、バラバラの部品が入っているあの感じ。
「さぁて、作るか。」
あの挑戦する感じ。
細かい部品を説明書を見ながら組み立てていく。
完成の形は箱のパッケージに書かれている。
だから完成のイメージはすでに持っている。
でも箱の中身はバラバラの部品だけ。
これがたまらなく興奮するのです。
未完成品を完成へ導く工程があるからこそ、完成品を愛せるんです。
この感覚が女性にあるかわからないけど、未完成なものに対して、完成をイメージしながら作っていく楽しみってのは凄く価値がある感情なんです。
完成までの道のりが大変な程、完成品を大事にする。
愛着が湧いてくるのです。
この原理が恋にも当てはまるなら、恋だって、相手と一緒に完成を目指しながら進んでいく方が愛情は深くなると思うんです。
仕事やお金は一人でも作り上げていける。
でも恋は相手がいなけりゃ育めない。
二人じゃなきゃ出来ない。
仕事やお金に心配が無い人を選んでも、恋を育めなけりゃ破局は約束されたようなものだと私は思っている。
私が言いたいのは、仕事やお金で男の価値を決め、そればかりを恋人の条件にしていると、いざ恋を育めなくなってしまうような気がするって事。
その人の今の魅力が仕事だろうがお金だろうが構わないが、恋は両想いになってから一緒に作り上げていくものであって、稼ぎは本人の頑張り次第で変わる。
どんなに仕事が安定していて、不自由の無いお金が目の前にあっても、恋を育めない相手と一緒にいた所で、この先の二人の幸せはイメージ出来なくなる。
私は恋が育めない人と一緒にはいられない。
どんなに良い仕事をしていても、どんなにお金を持っていても、一緒に恋を育める人とお付き合いがしたいし、結婚したい。
仕事が安定していて、将来的にお金に困らない可能性を優先するだけで、本当に相手を心から信頼出来るだろうか。
私なら、仕事が安定しなくなっても、お金が無くなったとしても、一緒に頑張って恋を育みながら幸せへ向かっていける人を恋人にしたい。
「この人となら一生幸せに暮らしていける」って思える人に魅力を感じる。
未完成なものを一緒に作り上げていく楽しみを分かち合いたいのです。
それが恋だと思っている。
どんな仕事だって、例え今はお金が無くたって、幸せになれると信じられる。
男はそういう人を求めていたりする。
「この人の為なら仕事だって頑張る!お金持ちにだってなってやる!」って思える。
バカでしょ?
男は単純です。
好きな女の為なら何でも頑張れちゃうんです。
だったら仕事なんて何でも良いじゃないか。
どうせ男はバカなんだ。
あなたの為ならいくらでも頑張れる。
相当なバカなんだけど、これは男の魅力の一つです。
あなたへ感じる価値だけで、一生働きアリにだってなれるんだから。
今は貧乏な未完成品の男だって、あなた次第でいくらでもアリの王様になれるんです。
楽しい人生に必要なモノ。
良く考えてみてほしい。
男を仕事で判断して、それなりのお金があって、好きな物を買う。
とりあえずの好きな物は手に入る。
…。
で?
お金を使うのは楽しい。
確かにそうだ。
でも全て手に入ってしまえばもう、おしまい。
お金で買える楽しみは「買った時点で」満足に変わる。
で、また違う物を欲しがる。
その繰り返し。
みんなお金が無いから頑張る。
頑張ってお金を貯めて欲しいモノを手に入れようとする。
でも手に入ったら満足。
本当に楽しいのは欲しいモノがあって、それを手に入れる為に頑張っている「今」なんだと私は思っている。
これは「男を仕事で決めるな」って事じゃない。
あなたが満足する職業に就いている男性を見つけるのだって容易ではないって事。
実はすごく努力しなくちゃいけない。
相手に好きになってもらうのも大変だし、常に相手の顔色を伺いながら攻略していかなくちゃいけない。
で、うまくいって、実際に理想の相手を手にいれたとする。
…。
で?
満足しちゃったらもう楽しみは無くなる。
私はつくづく思います。
せっかく恋をするのなら、ゴールなんて設定しない方が良い。
男を仕事とお金で選んでしまうと、ゴールが設定されてしまうのです。
仕事とお金だけで「イイ男ゲットー!」と決めてしまう。
ゴールするまでの過程が最も楽しいんだけど、満足してしまう。
私は冒険家です。
稼げる仕事や安定する仕事に就く事も考える。
もちろん考える。
でもそれを手に入れてしまったら絶対に飽きるのです。
大好きな人とずっと一緒にゴールの無い底なしの幸せを求めたい。
恋にゴールなんていらないのです。
進化しかない。
成長しかいらない。
恋にゴールなんて作らない。
そんな恋は楽しくないと思っている。
これから先、いくつもの困難を一緒に乗り越えていける相手を探したい。
女性は「安定を求める」ってよく聞くけど、私は冒険したい。
いつでもチャレンジしたい。
一時的なゴールはあっても、それは一緒に恋を進めながら目指したいのです。
すでに成功している状態で恋をするよりも、恋をしながら一緒に成功を目指して、成長していきたいのです。
もし私が安定している仕事をしていて、それなりのお金を持っているのなら、どんな女性を求めるだろうか。
…。
もっと人生が楽しくなる人だろうな。
二人じゃないと手に入れられない楽しみを求めて生きていきたい。
仕事やお金で男を選ぶ女にそれがある?
生きていても楽しくなくちゃ意味がない。
仕事が安定していても、お金があっても、恋だって楽しくなくちゃ意味がない。
恋をしてる二人じゃなきゃ掴めないモノが無くちゃ面白くないじゃないか。
相手に求める理想はなんだって構わない。
そこにもう一つ足してほしい。
恋をして、一緒に目指す何かを。
これがあれば人生はもっと楽しいはず。
女性は男の人生に価値を与えられる存在なんです。
仕事もお金も安定しているのなら、更なる高みを一緒に目指せる人がいいでしょ。
それが出来るのが恋の価値。
人生を楽しくする要素の一つに恋の価値はきっと含まれている。
恋がうまくいくと人生は楽しい。
10代の頃から知ってる。
それを忘れて仕事とお金だけで男を選ぶのか?
楽しめない恋に価値なんかねーよ。
恋ってのは仕事やお金より価値のあるモノだ。
いや、仕事やお金を越えていける価値を持っている。
私達は圧倒的な差別の上に立っている。
人は「自分さえよけりゃそれでいい」とか「自分が損しなきゃそれでいい」とか「自分の家族が幸せならそれでいい」と思っている。
私は間違いなくそう思っている。
自分が飼っている犬を凄く大切に育てている最中に、吠えまくる野良犬が近くに来たら、迷わず飼い犬を守ろうとする。
同じ犬なのに。
同じ命なのに。
それを人は愛情と呼んだりする。
圧倒的な差別なのに、愛情になったりする。
お金はどうだろう。
仕事はどうだろう。
たまたま落ちていたのを拾った一万円札と、自分が一生懸命働いて手にした一万円札。
どっちが大切に使う?
何年も対策を考えて、努力して、勉強して、やっと入れた会社と、なんとなく受けて入れた会社。
どっちの方が大切にする?
どっちの方が頑張る?
同じお金なのに、同じ仕事なのに、想いや過程で扱いが変わる。
恋だって一緒。
なんとなく付き合った人。
好きになってほしくて一生懸命頑張って付き合った人。
付き合ってからだって一緒。
ただ一緒にいるだけの関係。
数々の困難を一緒に乗り切ってきた関係。
同じ「付き合う」なのに全然違うんです。
どうしてか違うんですよ。
男を仕事とお金だけで決めてしまうのってどうだろう。
人柄に惚れて、ダメな男だったけど一緒に頑張って、数年後に成功して、うまくいって、それなりの生活をやっとの想いで手に入れる。
仕事とお金で男を選んで手にいれた「最初から不自由の無い」暮らし。
幸せの感じ方は人それぞれ違って、比べる部分も人それぞれ違う。
お金持ちに憧れる人がいればお金が無くても「幸せならそれで良い」と思う人だっている。
むしろ「お金なんて最低限あればいい」っていう人もいる。
余ったお金は全て寄付する人もいれば対極的に豪遊する人もいる。
どうせ人間は差別ありきの世界で生きていく。
これからもずっと無くならない。
その上に立って生きていく。
あなたが求めている本当の幸せってなんだ?
もう一度考えてみてほしい。
誰かの「良い!」って判断に流されてどうする。
自分の幸せは自分で決めろ。
そしてそれを貫け。
何を選んでもあんたの「アンチ」は必ずいるんだから。
何をしたって「差別だ!」って言われるんだから。
誰かに見せつける為じゃなく、自分の為に生きた方がお得だ。
それが結果的に誰かの為になる事だってある。
本当に好きな人と一緒になろうよ。
ここからは私の偏見ですが、男を仕事やお金で選ぶよりも、「そんなの関係なしに心から好きな人」を選んだ方が良いと思うのです。
私の周りには既婚者ばかり。
年齢も年齢なので、結婚して、子供がいる家庭もたくさんある。
その家庭が全て順風満帆で愛に溢れているかと言われれば、そうじゃない。
このブログで紹介してきたいくつかの家族は夫婦の仲が冷めていたり、他人へ愛情を求めたり、友達と集まれば旦那や妻の悪口ばかりになったりしている。
これからどう変わっていくかは人それぞれだし、何に対して幸せを感じるかも個人差がある。
確かにそうなんだけど、私は「夫婦や家庭円満な事にネガティブは一つもない」と思っている。
恋する気持ちってのは「相手を独り占めしたいと思う衝動」なんだけど、仕事とお金だけで本当に心まで将来安泰と言い切れるだろうか。
もし仕事とお金で男を選んでいるのなら、それが崩れてしまった時に気持ちも冷めないか?
仕事もお金も関係なく、相手の事が「一番好きだ」と思えなきゃ冷めてしまう恋もあると思うのです。
もちろん仕事とお金で選んだ男性でも、お付き合いしたり、結婚した後にそれ以上の価値や魅力を感じる事もある。
逆に後になってから「仕事とお金の方が魅力的だ」と感じる瞬間だってある。
どれが正解かはわからない。
でも私は「本当に大好きな人」や「一生一緒にいたい」と思う人とお付き合いしたいし、結婚したいと思う。
仕事もお金も関係なく、「この人となら必ず幸せになれる」って自信を持って、前を向いて歩いていきたい。
結婚するまでにいくつかの恋をしたけど、別れた。
その理由は凄く単純で、「この人と一生一緒に幸せに向かって歩んでいく自信が無くなった」から。
そうやって、いくつかの恋をして、傷ついたり、傷つけたりして、本当に大切にしたい存在を見つけていくんだと思っている。
出会いの切っ掛けが仕事やお金だとしても、その後に「この人が心から大好きだ!」って思えるような恋をしてほしい。
だって、付き合ってから、結婚してから、「冷めてる」とか「別れたい」とか「悪口ばかり」になってしまったら、ちょっともったいない気がしませんか?
私は贅沢な奴だから、「相手の事も大好き」で「仕事もお金も安泰」で「一生一緒に歩んでいきたいと思える存在」の相手を選びたい。
探したい。
そこには絶対に自分の努力も必要で、日々お互いで支え合いながらも切磋琢磨し合える関係が必要だと思っている。
愛情もあって、尊敬もあって、ライバルとして、友人として、家族として、全てを満たしてくれる相手を求めたい。
仕事とお金で男を選んでも良いけど、その意識は絶対に忘れちゃいけないと思う。
だって、誰よりも幸せになりたいんだもん。
どうか感想をください。
はじめまして、夜遅くに失礼致します
去年の年始に、偶然このあれんじ様の記事を見つけ、今現在は時々読むという所に至ります。
一留している大学4年生の男です。
当時私は失恋をして、心がズタボロでした。
関東の実家から関西の大学へ戻る新幹線に乗っているときにあれんじ様の恋愛等の記事を見つけ、食い入るように約2-3時間ずっと読んでいました。
おかげさまで私の人生(生活態度)は180°替わりました。
あれんじ様の力強い言葉の数々により私は救われました。
勝手で恐縮ですが、あれんじ様にありがとうございますと感謝させてください、本当にありがとうございます。
そして、この記事の感想を書き連ねるととても長文になってしまいますので、割愛させていただきますね。
去年の1月、2月中はあれんじ様の記事を気になったものから手当たり次第読みあさりさせていただきました。
やはりですか、改めてあれんじ様のお言葉には、ネットの整えられた文字から飛び出るほどのアツさを感じます。
毎回記事を読むたびに心に突き刺さります。
これからもどうぞ、素敵なあれんじ様の言葉を読ませてください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
あれんじさまのこれからの日々が素敵でありますように、祈っています!
ふつつか者で申し訳ございません、読んでいただきありがとうございました。
私は今まで数十年生きていて、ここまで「言葉」に力があると思っておりませんでした。が、今、コメントを頂き、確信しました。これは確信です。言葉には力がある。圧倒的な力がある。これまでブログを書き続ける意味を見出せなくなり、不安になった事が何回もありました。何回も、何回も、何回も、何回もありました。なんなら今も、ちょっと不安です。でも「続けよう!」って思いました。背中を押してくれてありがとうございます。今なら光の速度で進めそうな気がします。ビュンビュンカタカタ頑張ります。
先日のコメントさせていただいたものです
お返事が来ていたことを最近気づきました
ありがとうございます
これからもずっと、
影で応援してます
もしかしたらこういった小さいけど絶妙な気遣いってのも、魅力のひとつなのかもしれないと思いました。私は応援されたらいくらでも頑張れる単純なタイプです。返信の返信になって申し訳ないですが、これからも続けていきます。