自分が納得するまでやらなきゃモヤモヤが残るに決まっている。
これまで多くのことにチャレンジしてきたが、どれも中途半端なところで諦めていたような気がする。
時間が経って、中途半端に止めてしまったことにもう一度チャレンジしたくなる。
あの時、「出来なかった」が今は出来るようになっているかもしれない。
その理由が体の成長なのか情報量なのかはわからない。
どこかで残していた「モヤモヤ」を回収したくなる。
小さい頃に諦めたことも、つい最近諦めたことも、
いつかどこかで再チャレンジするタイミングを迎える。
目の前にある全ての困難を常に乗り越えられるわけではない。
たまに無視して通り過ぎたり、「今じゃない」と判断したり、
目の前に現れた強敵に、今の自分の力が通用するのかを考える。
その時力が及ばなかった悔しい想い。
「次は必ず。」と誓った苦い思い出。
私には超えられなかった困難がたくさんある。
忘れてしまったものだってある。
必要なかったものだってある。
ただ、
今なら「乗り越えられる!」っていうのもある。
私はいつまでも挑戦者。
チャレンジし続ける意味。
経験値。
ゲームの世界では数字で表されることが多い。
それは自分の強さ。
パラメーター表示されている自分の強さを見て、目の前にある困難に打ち勝てるかどうかを考える。
自分の力を考えながら攻略する。
冒険の世界。
ただ、人間が持つ様々な能力は数字でパラメーター表示することが出来ない。
性格も一人一人違って、目の前にある困難への想いも様々。
自分の力を数字として見れない。
だからわかりづらい。
あまりにわかりづらいものだから自分の力量を見誤ったり、相手の力を見誤ったりする。
だけど目の前の困難を乗り切る、または打ち勝つ為に経験を積む。
テストで高得点を取る為にする勉強が一番わかりやすい。
テストに出てくる問題が困難で、それをクリアする為に該当の箇所を勉強する。
または暗記する。
その勉強は経験値となって、自分のレベルを数字で見る事は出来ないが、テストで高得点を取れれば成果を確認出来る。
「テストで高得点を取ろう!」
と思って、実際に高得点が取れれば嬉しい。
高得点を取る為には勉強をしなくてはいけない。
問題を解くために頭に叩き込まないといけない。
それに耐えて、努力して、高得点が取れると嬉しい。
また、その際の勉強で得た経験はテスト以外の部分でも力を発揮してくれる。
テストで高得点を取る為に勉強したことが、自分のレベルを上げてくれる。
応用が利くようになる。
「あの時勉強しておいてよかった。」
と思うような瞬間がきっと来る。
勉強だけではなくて、様々な経験やその時にした努力が自分のレベルを上げてくれる。
いざとなった時にその力が役に立つことが必ずある。
あの時は出来なかったことが、今は出来るようになっているかもしれない。
今日の努力が必ず実を結ぶ時が来る。
その時に成長の喜びを感じられる。
それはテストで高得点を取る以上に嬉しかったりする。
リアルな経験値は数字では見えない。
今回勉強をしたこと、感じたことがどのくらいの経験値だったのかはわからない。
でも近い将来必ずその力を発揮することがある。
それが努力の結果であって、成長の証だと私は思っている。
目では見えない経験値が今日も何かしらの努力によって得られる。
そうじゃなきゃ困難に立ち向かう意味なんてない。
本質や喜びはテストの点数だけではない。
その時の努力と経験値にこそ意味があるのだと信じている。
強敵。
ゲームをやっていると「総プレイ時間」の表示がある。
例えばそのゲームを全てクリアしたとする。
すると作られた冒険を完結させる為にかかった時間が表示されている。
「総プレイ時間」に表示されている経過時間はプレイする人によって違ったりする。
どういったルートで進んだのか。
どこでレベルを上げたのか。
どうやって敵を倒してきたのか。
プレイする人によって、ゲームの進め方は違う。
ただ、より短い時間で全てをクリアする人もいる。
ゲームには一度の戦いで多くの経験値を得る方法がある。
常に覆らないのは強い相手と戦う事。
より強い相手と戦う方が得られる経験値も多い。
大きな困難を乗り越える方が得られる経験値は多い。
ただ、今はまだどうしても倒せない相手がいる。
ゲーム序盤でラスト間際の相手を倒すことは出来ない。
倒さなければ経験値は得られない。
だから全滅を繰り返すことになる。
それでは意味が無い。
自分が打ち勝てるギリギリのラインの強敵を打ち倒す。
打ち倒した時点で経験値として加算される。
到底立ち向かえない相手と常に戦う時間は無駄とも言える。
挑戦は常に、自分の実力から考えて、ギリギリで勝てるか、何度か挑戦すればその攻略の糸口が掴めそうな場合。
自分の力量を知っておかなければならない。
自分の力量を見極め、それに伴った挑戦を繰り返していくことこそ、最短で強くなる方法だと私は考えている。
今日も乗り越えられるか乗り越えられないかのギリギリラインで頑張ってみる。
最も大きな経験値を得られればレベルが上がる速度は早くなる。
それはゲームだけじゃない。
スライムとばかり戦っていてはレベルが上がる速度はどんどん落ちていく。
強敵を倒してこそ多くの経験を得られる。
ステップアップしていかなくてはいけない。
私の人生にはそれなりの強敵が常に必要なんだと思っている。
人生に全クリ無し。
人生は果ての無い冒険のようなもの。
それを知って絶望するのではなく、常に強敵がいる喜びを得る。
倒しがいのある相手ばかり。
上には上がいて、ギリギリのラインで困難を乗り越えていけばいく程自分は強くなる。
常に強い相手がいてくれるのは「自分の人生に飽きが来ない証拠」でもある。
自分のレベルを上げたり、ステージをクリアする度にアップデートされる世界。
現在一番上に位置する世界はどのようなものなのか私にはわからない。
そのレベルまで到達出来るのかもわからない。
わからないことだらけ。
それなのに、
今日一日の中でも困難がある。
それなりの経験値を得ていく。
そして少しずつ強くなっていく。
自分の努力次第で強くなるスピードも、乗り越えた時の経験値も変わる。
人生は果てのない冒険。
時にはゆっくり進むのもいいし、早歩きで見た事も無い世界を目指すのも自由。
こんなにオープンワールドなゲームはない。
ゲームに例える程単純には出来ていないが、せっかく自由自在に自分の意志で冒険出来るのなら楽しみたい。
私にとって果てしない人生を最大限に楽しむ努力とは挑戦そのもの。
困難を乗り越える喜びそのもの。
全クリの制度が無くて本当によかったと思っている。
常に上には上がいて本当によかったと思っている。
強くなった自分を披露する場があって、成長を確かめる挑戦があって、
今以上に壮大な困難があって、努力の方向は無限にあって、
正直めんどくさい。
めんどくさいけど、
それを超えていける喜びも用意されている。
「クリアが無い」っていうのは「楽しいことなんだ」と思えるくらいのレベルになるのはいつだろう。
そう思えた時、また違った人生の考え方が生まれるのだと思う。
目の前にある困難にワクワクするのはいつだろう。
そう思えた時、自分のレベルは相当高くなっていると想像している。
まずは「自分の人生が楽しくなるくらいの経験」を積んでいきたい。
今は辛いことばかり、勉強することばかり、失敗することばかり。
自分が多くの経験値を得て、レベルアップして、冒険する楽しさだったり、挑戦する楽しさを覚えられれば、それはどんな魔法よりも強いんじゃないかと思っている。
人生に全クリの概念はいらない。
今日はどれだけの経験値を得られるだろうか。
どうか感想をください。