父親が大腸がん(ステージⅢ)だと知ったその日からの葛藤

生活

母親からの電話で父親が大腸がんである事を告げられた。

検査を繰り返している内にステージⅢである事がわかった。

凄くショックだった。

「ああ。親父は死ぬのかな。」

って漠然と思った。

年齢と共になんらかの病気になる可能性が高くなるのは理解している。

つもりだった。

だけど、実際に自分の親がガンになった知らせを聞いた時、「嘘であってほしい」と思った。

と言うか、願った。

「ドッキリだったら良かったのに…」って。

何度か検査をしてもやっぱり大腸がんで、ステージⅢである事に変更はなし。

「すぐにでも手術をするべき」って判断も変わらなかった。

私は医療ではないから、ガンについて詳しい知識があるわけじゃない。

でも「転移の恐怖」についてはわかっている。

その可能性を持っているのがステージⅢであり、だからこそすぐにでも手術をするべきだと言われていた。

私が怖かったのは、手術したところで違う場所に転移している可能性がある事。

このままずっと闘病生活になるんじゃないかと思ってしまった事。

そのまま死を迎える可能性も受け入れなくちゃいけない事。

母親から父親が大腸がんである事実を告げられた時、数々の「最悪」を想像した。

「まだ死なないでくれ」って本気で願った。

あまりにも突然だったからちょっとパニックになった。

でも、たぶん、こういった報告はいつも突然なんだろう。

ここに残すのは、父親が大腸がん(ステージⅢ)だと診断されてからの私の日々と、その葛藤です。

スポンサーリンク

家族が受け入れるまで。

実家を出て、これから仕事もバリバリやっていこうと考えていた時期に、いきなり飛び込んできた父親のガン。

頭の中で「親はいづれ死ぬ」ってわかってはいるんだけど、病気ってのはいつも突然で、整理が追いつかなくなる。

母親は電話がきた時点ですでに動揺してたし、その後すぐに図書館に行ってガン予防に有効な何かを調べまくっていたらしい。

すでにガンになっているのに調べまくるのは「動揺からだろうな」と思っていた。

私は息子として「何か出来る事はないか」って考えたけど、5分後には「何もない」に落ち着く。

私は医者ではない。

いくらかインターネットで調べてはみたけど、ガンには絶対的な治療法なんて無い。

わかっているはずなのに動揺すると改めて調べたりする。

でもやっぱり完璧な治療法は見つからない。

「なんで、もっと早く検査で見つけられなかったのか」とか「これからもっと親孝行したかったのに」とか。

「父親が死ぬかもしれない」って事実を、忘れ物をしたかのように急に実感し始める。

どれもこれも後悔なんだけど、言いたくなる。

家族で集まって、わちゃわちゃとそんな話をして、しばらくすると、「これからどうするべきか」を考えるようになる。

一通り後悔を口に出し合って、落ち着いて、ようやく父親のガンについて受け入れる体制が整う。

後悔なんてのは絶対に先に経験出来ないのだ。

そんな事わかってるのにどこかで「私達は大丈夫だろう」って思って生きてきた。

事実を受け入れるには多少時間がかかるのかもしれない。

人によって受け入れる時間も違うんだと思う。

私は、後悔はたくさんあったけど、受け入れるまでにはそこまで時間はかからなかった。

ステージⅢと聞いて、動揺はしたけど、後悔はしたけど、不安にはなったけど、なんとか、受け入れられた。

それまでは、当たり前の生活が急変するような感覚に襲われた。

家族みんながそうだった。

でも受け入れなきゃ前に進めない。

「親はいづれ死ぬ」ってのは当たり前だ。

当分先の事だろうと思い込んでたけど、突然目の前にやってきた。

で、それを受け入れるしかなかった。

受け入れるしかないから受け入れた。

そんな感じ。

私は父親のガンを目の前にした時、めちゃくちゃ無力である自分に気が付いた。

一番不安なのは本人。

何度か検査をして、手術の日程も決まり、手術の説明も受けた。

腹を20センチ切って大腸のガン細胞がある部分だけを取ってから、再びくっつける。

ホースのダメな部分を切り離して繋ぎ合わせるような手術。

母親が「本当に不安だ」と言っていた。

その隣で父親は笑いながら「取らなきゃ治らねーからな!」と言っていた。

明らかに「簡単ではない手術」だったから不安になるのはわかる。

が、たぶん、この時一番不安だったのは本人なんじゃないかと思う。

でも母親が不安そうにしているのを見て、「大丈夫だ!」と元気づけたのは、手術する本人だった。

明るく振る舞ってはいたけど、「本当に不安なのは本人だろうな」と。

こんな時、医者でもない私が出来るのは「口を出す」以外にはなかった。

だから、「もういつ死んでも大丈夫だからな!」と言った。

不安を抱えている本人にどれくらい伝わったのかわからないけど、私なりの「もし死んでも一人でやっていけるから心配すんなよ」っていう部分と、本人には「まだ子供だから心配で死ねねーよ!」と思って欲しい気持ちからだった。

つまり、「頑張れよ!」って事です。

私は息子で、次男で、わりと自由奔放に生きてきて、妻子共に元気だが、「めっちゃ親孝行したぜ!」の自覚は無い。

だからまだ生きていて欲しい。

手術の内容を聞いて不安だった。

「まだ死なないでくれ」って本気で思った。

が、口から出たのは「いつ死んでも大丈夫だからな!」だった。

励ますのが良いのか、一緒に不安になるのが良いのか、よくわからなかった。

ただ、「これ以上不安を与えたくない」って思った。

そしたら自然に口から出てきたセリフがそれだった。

今でもあの時なんて言ってあげるのが正解だったのかわからない。

息子らしい一言なら何でも良かったのかもしれない。

家族の前で素直になれない私が「頑張れよ!」って素直に言えるはずがない。

だから遠まわしに「死ぬなよ」って言う結果になったのだろう。

本人がそれを理解しているのかわからないけど、理解していたら逆に恥ずかしかったりする。

家族って、大切だけど、なんかちょっとめんどくさい時もある。

良し悪しは別にして、父親がガンにならなきゃ気が付かなかった価値観もあったりするのです。

手術と入院。

検査後、「すぐに手術が必要」と言われ、あっという間に入院も決まった。

不安を感じる間も無く、ドタバタと手術までの日が過ぎていく。

あっという間に手術も終わり、ガンは無事に取り終えた。

本人ではないから、どのくらいの覚悟が必要だったかわからないけど、心配しているだけの私にとって、普段の生活との両立も必要になるからか、気が付いたら手術は成功し、数日後、お見舞いに行ったら本人はベッドで横になって落ち着いた表情になっていた。

思い返すと「あっという間に過ぎていったな」って感じ。

術後は手術した部分が癒着するのを防ぐ為にすぐに院内を歩かされたらしい。

20センチを超える傷口が痛そうだったが、構わずリハビリ続行。

スパルタだ。

元気な顔を見てひとまず安心したが、これからは傷口の回復と違う場所に転移していないかの検査や抗がん剤治療が始まる。

ガンのステージによっては取るだけで済むようだけど、私の父親はリンパ節への転移があった為にこれから5年間の抗がん剤治療が始まる。

手術後の5年間に他に転移が認められなければ、そこで初めて完治となる。

ガンの治療は転移がある時点で5年以上が確定する。

その5年間の中で転移が見つかれば再び手術になったり、場合によっては追加で抗がん剤治療となる。

今やガンは二人に一人がなる病気とされているけど、「自分がガンになる」っていう意識はほとんどなくて、きっと父親も「まさか自分が」って感覚があったんだと思う。

思い出してみると、祖父はすでに治療が出来ない程の転移があった為、手術が出来ずに亡くなった。

父親は「まだ治療が出来る範囲で、たまたま検査をしたついでに」見つける事が出来た。

数年遅れりゃ治療が出来ないレベルになっていたかもしれない。

親族がガンになり、まだ助かる時期にそれを発見出来る可能性についてグルグルと考えていた。

たとえ毎年人間ドックに通っていても、体を隅々まで調べるわけではない。

今回父親の大腸がんが発見出来たのは偶然だった。

たまたま少しだけ便に血液が混ざっていて、だからと言って医者に「大腸を別に検査しますか?」と催促されたわけじゃない。

血便は「大腸がんの可能性がある」と知り、自発的に追加で検査をして見つける事が出来た。

「人間ドックに行っていれば大丈夫」って思っていると、見落としもある。

だから、私達は常に「ガンの可能性」を考えながら生きていくべきなんだと思った。

二人に一人の確立。

ガンになる確率50%。

定期的な検査に加え、気になる部分は細かく調べた方がガンを早期発見出来る可能性は高くなる。

祖父は見つけるのが遅くなって、助からなかった。

父親は何とか手術まで辿り着いた。

多少遅かったから、これから5年間の抗がん剤治療が待っている。

改めて、ガンは早期発見が重要だと知った。

50%の可能性があるのに、よく考えたら「自分は大丈夫」なわけがない。

「早く見つけるしかない」って思っている方が良いような気がする。

傷と抗がん剤。

術後から4年が経ち、痛々しかったお腹の傷も塞がり、抗がん剤治療が続く中、幸い転移は見つからず、術後の治療としては順調だった。

もうすぐ5年。

家族みんながそのまま抗がん剤治療も終えるだろうと思っていた。

が、そんなに甘くなかった。

5年を迎える少し前、また大腸にガンが見つかったのです。

私達家族も「まさか」と思った。

でも本人が一番「まさか」と思ったはず。

もうすぐ丸5年だったのに、やっと終わると思っていたのに、大腸に新たなガンが見つかった。

まず検査をする必要がある為、細胞だけを取る。

結果は悪性。

ガンだった。

ポリープのように見えたそのガンは、下に根を張るタイプで、結果的にもう一度手術が必要になった。

発見が早かったから今回はお腹の傷は少なくて済むらしいが、それでも10センチの傷が増える。

大腸はもう一度切断し、くっつける。

入院もリハビリも付いてくる。

抗がん剤治療については実際に手術が終わってガンのステージを見極めてからのようだった。

このブログを書いている今、父親は2度目の手術の前である。

私は以前と同じように「もういつ死んでも大丈夫だからな!」と言うが、正直、ガンの闘病生活が異様な程長いように感じる。

リンパ節への転移が見つかり、5年以上の治療が必要になった。

その5年間の中でもう一度ガンが見つかった。

なんか、すげー悔しかった。

父親の生活習慣は、あの日のガンから明らかに変わった。

両親共に健康に気を使うようになったし、本人も5年間は健康に過ごすと誓っていた。

やっと終わると思っていたのに。

そりゃ本人も悔しいだろう。

更なる転移の可能性については手術をしなければわからない。

抗がん剤治療を続ける5年間の中で、もし、今回の新たなガンが見つからなければ、もっと深刻なガンへ成長していたかもしれない。

考え方によっては最後の1年の中で見つかって良かったのかもしれない。

お腹の傷は増えるけど、ガンに勝てば勲章になる。

勲章にしてくれ。

頼むから。

ガンって本当にムカつく。

息子の私に出来る事。

父親がガンになって、息子である私に出来る事を色々考えたけど、結局わからなかった。

我が家には息子がいる。

父親にとっては孫。

もし、私がガンになったと仮定して、自分の息子に何かしてほしい事があるか考えた。

…。

別に何もない。

ガンだとわかって会いに来て、わざわざ励まされたりすると逆に申し訳ない気持ちになるかもしれない。

私はどちらかと言うと、プライドが高い方で、息子に励まされるよりも常に励ます立場でいたい。

むしろいつも通り、元気に、立派に生きている姿を見せてくれる方が安心する。

そう考えると、父親がガンになったからと言って、私に出来る事は無いのかもしれない。

いつも通りの息子である事で逆に安心させられるのかもしれない。

私の父親はいづれ死ぬ。

私もいづれ死ぬ。

いつ命に関わる病気になるかわからない。

今の自分って本当に幸せだろうか。

私は今、死にたくない。

死ねるほど満足していない。

まだまだやりたい事もあるし欲しいモノだってある。

夢や目標もある。

それを叶えるまでは死にたくない。

父親がガンになって、死について少しだけ深く考えるようになった。

いつも「頑張るしかねぇな」ってところに着地するんだけど、ネガティブな感情ではない。

むしろ死ぬまでにどこまで目標を達成出来るか。

自分と勝負しているような感覚になっている。

自分の人生がいつ、どうなるかなんてのはわからない。

後悔しない一生にしたい。

後悔しない一生にする為に出来るのは後悔しない毎日を過ごす事。

それを続ける事。

あの日、父親に言った「いつ死んでも大丈夫だよ」って言葉は嘘だ。

だって、今父親に死なれたら絶対に後悔する。

まだまだやってあげたい事がたくさんある。

それが済んでから死んでくれ。

ワガママな息子ですまん。

あのセリフは嘘だ。

孫の成長も含めて、あなたに見せたいものがまだたくさんある。

だからしつこいくらい一緒に頑張ろう。

生活
シェアする
daimaruをフォローする
心優しきあなたにお願いがあります。

改めまして、執筆者のdaimaruです。

かれこれ数年このブログを続けて来て、思った事があります。

「ひとりで更新し続けるのって寂しいやん」

って事で読んで頂けた方々の感想やら文句やらもブログとして掲載していきたいと考えております。

この下にコメント欄を作ってありますので是非、何か、頂けたら幸いです。

あと、お手数ですが誤字脱字やらも見つけたら報告ついでに一言もらえると私は全力で直します。

数年更新し続けると読み直すのがさすがにおっくうなのです。

どうか、ご協力ください。お願いします。

あれんじ

どうか感想をください。