「気楽に行こうぜ!」で頑固な頭のマッサージをする。

生活

何かを考え過ぎてはいかんのか。

思い詰めてはいかんのか。

どうしてそんなに励ましてくるんだよ。

考えたいから考えてるだけで考え過ぎてるっていう実感は全くないのだよ。

それを無理やり励まされるような形で反強制的に終了させられる。

「気楽に行こうぜ!」

って。

そんなの誰にでも言えるからもっと違う方法で気楽にさせてくれ。

飯をおごってくれ。

それだけでいくらか気楽になれるわ。

というよりも考え過ぎるっていうのは何かいけないことなんだろうか。

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考え込んでいる姿を見て心配されているような気がする。

心配させてしまうような仕草をしているんだと思う。

だからそれに気を使ってくれているんだろう。

なんだか申し訳ない気持ちになるわ。

でもさ。

考えないと解決しない事ってあるわけじゃないですか。

そしたら一人でいればって思うかもしれない。

確かにそうだよ。

その通りだよ。

でもね。

相手から相談されてそれについて悩んでたのにどうして逆に励まされているのか!

「気楽にいこうぜ!」

じゃねーよ。

深刻に相談したいっていうからこうして時間を作ったんだから逆に一緒に考えようや。

というか「気楽に行こうぜ!」って言えるくらいのことを深刻そうに相談してくるなや。

考え込んでるこっちが恥ずかしくなるわ!

考え過ぎて一瞬

「温泉行こうぜ!」

って聞こえたわ。

そうだな!って思ったわ。

あれ?

なんか笑ってるよ。

すまんすまんって顔してるよ。

なんだこいつ。

どうして相談してきたんだよ。

なるほどね。

わかった。

考え過ぎてる姿を見て逆に申し訳ないって思ったな。

ズバリそうだな。

考え込ませて悪いと思って、意味不明な「気楽に行こうぜ!」を出したわけだな。

心配をしていたわけじゃないな。

申し訳ないと思ったわけだな。

お前。めっちゃ優しいな。

というか相談されたことに対して考え過ぎて悪かったな。

お互いの悪かったっていうなんかむず痒い感じだけ残すなよ。

それなら飯でもおごってくれ。

それだけで許そう。

お主の愚行を。

同じ時間を共有し続けるとなんか気楽になる。

愚行の連続を繰り返すこいつと友達になったのは友達の友達だったから。

それだけ。

でも気が付いたら仲良くなって、同じような趣味を持つようになって、こうして相談し合うようになった。

そういう友達もいるんだなって思う。

友達との出会いっていうのは最初はマジでぎこちない。

どうしたものかマジでぎこちない。

男だからそう感じるのかもしれないけどなかなか自分が持ってるバランスを崩す事が出来ない。

そのバランスっていうのは仕事だったり、友達の関係もそう。

大人になるとそれがもっと増してくるような気がする。

疑うというか。

なかなか仲良くなれない感じがするわけです。

昔から知ってる方がなんか安心する。

結局そのくらい仲良くならないと相談を持ち掛けるような仲にはならないのです。

ああ。

男とはなぜにこんなに警戒をしているのか。

でも自分はその警戒がひと際強い気がする。

でも相談を持ち掛けるくらい仲がいい友達の友達となるとちょっと違う。

っていうのはあるけどやっぱり警戒はするもの。

ただ、たまに、ほんとたまに、ほんと偶然に、奇跡的にスッと入っている人物もいる。

それが愚行の連続を繰り返すこいつだ。

いざ考えてみると友達って呼べる人との出会いってどんなんだったかなって考えてみるわけ。

そしたら結局辿り着くのは一緒にいる時間が長い方がやっぱり仲がいいと感じる。

きっかけは様々だけどどうやら長時間一緒にいるっていうのは自分にとっては警戒を解く鍵らしい。

いきなり慣れ慣れしくしてくる人がいると逆に仲良くなれないって思ってしまう。

学生の時なんかずっと一緒にいるから当時の友達っていうのはやっぱり掛けがえのないものだったのかも。と思う。

大人になるとそういう時間もあまり作れなくなるからね。

仕事をしていると職場がある。

その職場で同じ時間を共有しているからやっぱり仲良くなるし警戒は薄れるもの。

そして自分の主張も自然に繰り出せる。

正直に言うと結構気楽なものだな。

と。

「気楽にいこうぜ!」

ってなかなか言えないわ。

初対面では言えないわ。

って考えるとこいつが行ったのは愚行ではない。

友情?

友情かな。

友達への情。

ああ。

これは友情かもしれない。

真面目な顔して

「気楽に行こうぜ!」

って言える相手って友達かもしれない。

なんだこの基準。

でもなんかそれはそれで良し。

相談を持ち掛けた方が逆に心配になるっていう状態っておかしいなって思ったけどなんか友情としてはそれはそれでありなんじゃないかなかと。

むしろそれが友情なんじゃないかと。

自分から相談しておいて

「気楽に行こうぜ!」

じゃねーよ!

って思ったけど

以外とお互いの事をちゃんと理解し合ってるからこそだなと。

結局気楽な関係でいられる方がいいなってことにしたわけですな。

相手が本当に考えていることまではわからない。

どんなに長くいてもですよ。

本当に思っていることや考えている事を口に出さなければさすがにわからない。

さすがにわからない。

家族でもわからない事があるのに友達なんてマジでわからない。

どんなにこっちが思いこんで考えたところでもたまに思い違いをしている時がある。

深層心理っていうのは探れば探る程迷宮入りする。

友達と言えど他人なんだから仕方がないとは思うけど解決したくて直接質問してみる。

でもその答えが本心ではない可能性だってある。

ちょっと疑い過ぎかもしれない。

結局疑い過ぎてた。

って思う。

でも本当のところはわからない。

隠されてたら仕方がない。

だって教えてもらえないんだもん。

本当の事を聞き出すのってめっちゃ難しい事なのかもしれない。

相手の事をなんとも思っていなくても本当の事を言えなかったりする。

逆に大切な存在とわかっているからこそ言えない事があったりもする。

もうそうなっちゃうと結局自分にしかわからない事ばかりになっちゃう。

なっちゃうがなっちゃうんですよ。

本当の事を言ってるとか言ってないとかを考えるともうそういう専門家にお願いするしかないわ。

だとしたらですよ。

やっぱり

「気楽にいこうぜ!」

の方が良いような気がするわけです。

お互いにとって。

本当の事を言っているのかどうかっていうのを探っても出てこないんだから。

「本当か?」

って聞いても

「本当だ!」

って返ってくるんですから。

お互いそう思ってなくてもそうやって口に出してたらもう解決しないっす。

だからもういい。

だったら気楽にいこう!

別に諦めたわけじゃないけど今スッキリ出来ない事を悩んでるのはちょっと違うような気もするわけで。

だとしたらですよ。

気楽にいこうぜの方が良い気がするんです。

友情なんて晴れの日もあれば曇りの日もある。嵐が来ることもある。

どんな日でもそれがすぐに解決出来るわけでもない。

そりゃ解決出来る時もあれば、解決出来たように感じる時もある。

だって本当に相手が考えている事はわからないんですもん。

目に見えないし。

そんなのを追って答えを出しても結局は違うかもしれない。

相手のことだから。

出した答えが間違っているのにも気が付かないっていうただの「おめでたい奴」だ。

本当の事を口に出しているなら?

でもそれが本当なのかどうかはマジでわからない。

本気でわからないんだもん。

どんなに頑張って考えてもわからないんだもん。

疑ってるわけじゃないです。

信じていないわけでもないんです。

でも絶対にわからない部分なんじゃないかなって思ったわけです。

そうなんですよ。

こんな事言っててもキリがないんです。

キリがないししょうもない時間を費やす事になりそうなんです。

だからこそ

「気楽にいこうぜ!」

なのかもしれない。

気楽にいくことが逃げてると勘違いされそう。

まるで考える事を辞めたみたいに感じてしまいますね。

全否定したい。

逃げてねー!

むしろ考えている時でも、悩んでる時でも気楽に行ける選択を持ってる方が強えー!

自分の考えを自分で曲げられる方が強いに決まってる!

むしろそれが柔軟な考えを持ってるってことさ!

気になる事を気楽に変更するだよ?

もう多重人格を操作してるような感じ。

逃げてると思われたら言ってやれ!

「気楽にいこうぜ!」

って。

それが柔軟であるっていうことだ!

そこでもし

「逃げてねーよ!」

って言い張ってみろ!

逆に燃えるぞ。

燃料を追加するようなものだぞ。

本当の事を言っているのかは絶対にわからないのに燃料だけを追加するようなものだぞ。

むしろ逃げてないのに「逃げてる」ってすでに思われているぞ。

もう疑われてるぞ。

そんな状態で有意義な話し合いが出来るのか。

いんや。出来ないね。

疑われている状態で何を話してもそれが本当かどうかなんて信じちゃくれないだろう。

だとしたらまず一回、

気楽にいきましょうよ。

解決するのはその後でもいいじゃないですか。

後回しにするだけです。

解決しないわけでも逃げてるわけでもない。

今解決出来そうにない問題に対して解決しようとすると絶対にぶつかるでしょう。

ぶつかったら余計に解決するまで時間がかかるかもしれないじゃないですか。

ぶつかり方が違うと思うんです。

疑っている状態でぶつかっても解決しないよって話なんですよ。

ぶつかって解決するのって時に必要じゃないですか。

でもぶつかり方を間違えると怒りとか余計なネガティブを連れてきてしまうと思いませんか?

「そういえばあの時も!」

とか。

今問題になっている事とは関係が無い過去の話を持ち出されることだってあるでしょ。

あれってなんか相手を黙らせようとかねじ伏せようとしてる感じがしません?

もうそうなったらぶつかるっていうよりもねじ伏せ大会です。

解決したいのにねじ伏せてどうする。

お互いが納得出来た状態が解決なんじゃないのかい。

どっちかが勝つバトルをしているわけじゃないはず。

それなのに燃料を注ぐことで気が付きゃバトル。

知らぬ間にバトル。

そうならないように気楽にいくんでしょう。

だから後回しにする意味でも気楽さは必要だと思う。

人をねじ伏せる前に自分をねじ伏せろ。

気楽さで自分の頭の中をマッサージしよう。

相手をねじ伏せたところで良いものは生まれない。

かと言ってねじ伏せ合ってもしょうがない。

そこで気楽さが必要なんじゃないだろうか。

気楽さがあれば自分が今ねじ伏せようとしている部分をねじ伏せる事が出来るじゃないか。

友達との関係だけじゃなくて仕事でもきっと活躍してくれるんじゃないかと思う。

相手の言っていることの良い部分だけを吸収出来るかもしれない。

頑固な頭を柔らかく。

全てを否定したくなっているその頑固な頭をマッサージしましょう。

気楽さでね。

自分に対しての気楽さも大事。

むしろそれがメイン。

自分を甘やかしているわけじゃない。

今の自分に必要なものを吸収する為に頭を柔らかくするんです。

それが気楽さなんです。

もはや気楽の意味がわかりません。

でも

「気楽にいこうぜ!」

っていう言葉がそうしてくれるような気がするんです。

気楽って何?

って言われたらもうこう答えるしかない。

「気楽にいこうぜ!ってこと」

そうやって自分の頭をマッサージ。

頑固な頭をリフレッシュ!

頭の中に余裕が出来ればきっと今向かい合っている問題をちゃんと真正面から捉えることが出来そうではありませんか。

そうなれば本当の意味で解決に向かうはずなんです。

ねじ伏せようとしてめんどくさくする事はない。

いんや。自分の頭の中をねじ伏せられない状態で相手をねじ伏せようとするなんて無理さ。

気楽にいこうぜ!っていう言葉の本当の意味はこれ!

頑固な頭のマッサージ!

相手に自分が言うことを信じてほしいからこそ気楽にいこうぜ!

相手の事を考えてあげたいからこそ気楽にいこうぜ!

自分の事を大切にしたいからこそ気楽にいこうぜ!

気楽にいって真面目にいこうぜ!

お互いが満足のいく結果をもたらす為にも気楽にいこうぜ!

問題を解決をするのはその後でもいいじゃないか。

喧嘩をしたいわけでも勝ちたいわけでもない。

良い話し合いをするためなんです。

有意義な話し合いをするためなんです。

相手をねじ伏せても何も変わらない。

自分の為になんです。

良いものを吸収するために必要なんです。

頑固な頭のマッサージが必要。

そういう時には一度

「気楽にいこうぜ!」

ってすればいい。

自分にだけでもいい。

自分に「気楽にいこうぜ」って言ってあげてください。

うちはお金持ちではありません。

毎日のように不安があります。

だから家族でその事に対してもめます。

バトルを繰り返してきました。

今でもバトルになります。

そんな時言います。

「気楽にいこうぜ。」

そして言い返されます。

「気楽にいけるか!」

どうやら使い方にはコツがあるようです。

生活
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心優しきあなたにお願いがあります。

お見苦しい点が多々ある私なりの文章をここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。改めまして、執筆者のdaimaruです。

この度、DONGURILOGという日記サービスを共同運営させて頂く事になりました。

シンプルに伝えると、「みんなで日記を書くスペース」になります。

かれこれ数年このブログを続けて思った「ひとりで更新し続ける難しさ」を解消しつつ、多くの価値観を共有しながら楽しめる場所です。

まだ始まったばかりのチャレンジではありますが、多くの方に使って頂きたいと思っています。

ここまで私が書く、しがない文章を読んで頂き、目もお疲れかと存じますが、どうか、最後に、私の渾身のワガママを聞いて頂けないでしょうか?

無理なお願いをしているのかもしれません。

でも、「日記を書く」には多くのポジティブな効果があります。今日一日を振り返るだけで多くの気付きがあります。

じらしてすみません。

一緒に日記を書いて頂けないでしょうか?

私は多くの人と日記として記録を残す毎日を過ごしたいと思っています。

そしてそれがきっかけで多くの人が救われる瞬間があるんじゃないかと思っています。

私が求めているのは募金や署名ではありません。

シンプルにあなたが持つ価値観や考え方です。

本来「日記を書く」は一人で行う趣味的な存在なのかもしれませんが、それを多くの人と同じスペースで書く楽しさを大声で主張したい。

「うおー!」です。

是非一緒に、DONGURILOGで、日記を書きましょう!

自分の為になり、誰かの為にもなる。

そんな最高のスペース作りにご協力ください!宜しくお願いします!

あれんじ

どうか感想をください。

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