小さな「こだわり」が大きな幸せを運んでる

生活

こだわりを持つと愛情が湧いてくる。

例えばプラモデルを作るとして、

細部までこだわり、色の質感までこだわり、完成後に納得がいかなければ修正を繰り返す。

こだわる。

愛情が湧く。

 

こだわりを持って臨めるモノに愛情を注ぐ。

 

結果的に大きな愛情が湧く。

 

子供の頃、砂場で泥団子を作って、表面をツルツルにした。

それなりの時間をかけて仕上がりにこだわった。

それをみんなに見せたら面白がって壊された。

腹が立って喧嘩した。

 

泥団子に愛情が湧いていたから。

 

一生懸命作って完成させたものを壊されると腹が立つ。

他人にとっては興味が無い、単なる「泥団子」だとしても、

 

自分はこだわりを持って作っていたから。

 

怒ったのはきっと「こだわり」の部分ではなくて、「愛情」を持っていたから。

断定だけど、自分の中ではそう思っている。

 

もし、あの時の泥団子が、

壊されるんじゃなくて、「すげー!」とか言われて、褒められでもしたら、

たぶん、

自分の中では「完璧な泥団子」になっていたんだと思う。

 

誰かの興味を引けて、誰かに評価をしてもらえるような「こだわり」になっていたんじゃないかと思う。

そしたら、きっと「泥団子を作る」が自分の「プライド」になったり、自分のスキルになったり、

 

価値が高いものになっていたのかもしれない。

 

ところが壊された。

でも一生懸命愛情を注いで作ったものだから喧嘩になった。

 

子供の頃から実は知っていたのかもしれない。

 

自分だけの価値の始まりは「こだわり」だってこと。

 

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今も「こだわり」を持つ理由

本能的に知っている。

実は、子供の頃から本能的にわかっていることがある。

 

努力を重ねると自分の力になる。

 

努力を積み重ねれば、何事も「上手」にこなせるようになっていく。

泥団子もプラモデルも勉強もスポーツも、

こだわりを持って続ければ上達していく。

そこに、もし「こだわり」が無ければ、上達する速度が落ちる。

やりたくもない努力になる。

 

あの頃、テストの点数にもっとこだわりを持っていれば、今頃医者になれたかも。

 

才能とかセンスを思い知る前。

凄く大事なこと。

それがこだわりを持つこと。

こだわりを持って物事に臨むこと。

 

子供の頃は本能的にそれをやっていた。

大人になった今はどうだろう。

どんなことにこだわりを持っているだろう。

 

社会の中にうまく溶け込めてはいるけど、なんだか「物足りない」と感じてしまう時がある。

 

かと言って何かを新しく始めるわけでもない。

なぜなら、

「やらなくてはいけないこと」でいっぱいだから。

 

その「やらなくてはいけないこと」の中でこだわりを見つけられたら、

それなりの幸せを感じるかもしれない。

でも、その中でこだわりを見つけることが出来ない。

だから「物足りない」のだと思う。

 

大人になると、色々とやらなくちゃいけないことでいっぱいになる。

それなりの言い訳も持っている。

そんな中、「こだわり」を持てるものを探すのは大変。

子供ってやらなきゃいけないことが少なかったりする。

だから本能に従って「物足りない」を埋めていくのかもしれない。

なんでも夢中になってしまう感じ。

 

私の場合に限るかもしれないが、

大人になっても消えない。

「こだわり」を持てる何かをまだ探してしまう。

夢中になれるなにか。

未だにあの頃の「物足りない」を埋められないまま。

 

本能的にそうなんだから困ったものだ。

 

職人芸。

「こだわり」と言えば、職人芸。

偏見かもしれないがそんなイメージ。

 

こだわりの職人技。

 

そんな感じ。

この間、テレビで古い包丁をまるで新品のように復活させる職人を見た。

刃がこぼれているような古い包丁を新品以上に切れるようにする。

輝きを取り戻す。

 

刃を研ぐ。

柄を付け替える。

誰の手にも馴染むような形にする。

細部にこだわる。

完成のフォルム、刃の角度。

 

どこかで私は「新しいのを買ったら?」と思ってしまった。

子供の頃、壊された「泥団子」のような事を考えていた。

 

古い包丁には家族の思い出が詰まっているようだった。

「自分の母の、さらにその母の代から使っていた包丁」

だから替えたくない。

使っていたい。

でも切れない。

それでも使いたい。

 

こだわる。

 

そこに刃を研ぐことにこだわりを持つ職人が現れる。

 

包丁へのこだわり。

 

考えることは違えど、

こだわりの行きつく先は同じ。

それが愛情なのか幸せなのかは当人しかわからないけど。

 

包丁をこだわって研ぐ。

新品同様にする。

それをすごく喜んでくれる人がいる。

それが欲しい人がいる。

お互いにこだわる。

愛情を持っている。

だからこそ納得がいく答えが出せるのかもしれない。

 

生まれ変わった代々受け継がれる包丁を手にして、トマトを切る。

 

あまりの切れ味に泣いて喜んでいた。

 

こだわりを持たなければ埋められない何かがある。

こだわりが生んだ「物足りなさ」はこだわりで埋めるしかないのかもしれない。

 

小さなこだわりから。

初めはいつも小さなこだわり。

プラモデルを作る。

初めはミスが無いようにちゃんと作るっていうこだわり。

それを自然にクリア出来るようになって、

次はインクがはみ出さないようにちゃんと塗る。

それを自然にクリア出来るようになって、

次は色の質感にこだわる。

細部にこだわる。

 

初めは小さな「こだわり」だけど、どんどんこだわる部分が増えていく。

 

こだわる部分が増えていって、それが誰かに評価されたら、プライドになったりする。

自分のスキルとして認められたようなもの。

鼻が高い。

それがさらに誰かの「欲しい」に変わる。

評価されるだけではなく、それを欲している人が現れる。

お金を対価として支払う人も出て来る。

そうなればプロ。

職人と呼ばれる分野の人になれるんじゃないかと思う。

 

全ては小さなこだわりから。

そこからさらに追い求めて、自分の中の「物足りなさ」を埋めながら、満足のいく結果を残していく。

努力と似てる。

 

でも努力とはちょっと違う。

 

誰かに「努力の結果だな!」なんて言われたら、

きっと「そうだよね。」と言ってしまうかもしれない。

 

でも結果を出した本人の中では少し違うような気がする。

 

「こだわる」から派生した多くの取り組みが大きな成果を連れてきたような感じ。

 

努力と言われればその通りかもしれない。

でも努力って「辛い」イメージ。

 

こだわりはちょっと違う。

自分の中の「物足りなさ」を埋めていく内にそれに至る。

自分で求めている方向へ自然に向かって行くような感じ。

それこそ本能的に「努力」を含んだ不思議な力に誘われているような感覚かもしれない。

 

こだわりを持つことで全ての人が大業を成せるとは思わない。

 

でも大業を成した本人も「小さなこだわり」からスタートしたのは間違いない。

そのこだわりと共に自分が成長して、結果的に大業を成す。

かもしれない。

 

それがわかっているなら誰でもこだわりを持つと思う。

 

それが出来ない大人の社会に苛立つことがある。

 

何にこだわりを持つか。

大業を成せなくても、こだわりは「人の魅力」になり得る。

世の中は一つのこだわりを持つには「興味を引くもの」が多過ぎる。

だから決められない。

 

逆に言えば、選択肢が無限にある。

 

何を選んでもそれなりにこだわりを持てるのならいいが、そう簡単なものではない。

無限にあるからこそ「物足りなさ」を埋めるだけの「こだわり」が見つからなかったりする。

 

見つけようと思うと見つからない。

見つからないわりには無限にある。

 

きっと「こだわり」を意識しないで生きていて、気が付いたら「こだわり」になっているものがほとんどのような気がする。

 

もし自然にこだわるようになったものがあるのなら、それを大切にしてみようと思う。

それで大業を成せるかどうかなんてわからないし知らない。

 

でもこだわる感覚みたいなものを持って、努力を知って、努力の成果を知って、本能的に自分が幸せになれるのなら、やっぱり大切にしたい。

 

プライドが高かろうが、こだわりが強かろうが、夢を諦めようが、どんなに忙しかろうが、

 

「自分が幸せになる」ことに「こだわり」を持たなければそもそもスタートを切れない。

 

どんな大業を成す「こだわり」も初めは小さい。

「自分が幸せになるこだわり」も同じだとすれば、

 

もし、同じ「こだわり」のカテゴリーに入るなら。

 

今すぐにこだわってやろうと思う。

 

だって、どうせなら、

幸せになりたいから。