どんなに卑怯な手を使おうが正々堂々と戦おうが全ては他人事

小言

これは子供の頃からなんだけど台風が来るとなんだか家の中から窓の外を眺めてしまう。

どうなっちゃうんだろう。

と気になって仕方がない。

別にワクワクドキドキしているわけではなくて、いつもと違う異様な景色に目を奪われているような感じ。

スキャンダル的な要素を含んでいるのです。

毎日のようにテレビに出ていた「あの芸能人」が昨日とは打って変わって

 

重々しい記者会見をしているような感じ。

 

あまりの様子の違いに目を奪われるような感覚。

あの瞬間。

例えば背後で何か自分のものを盗まれても気が付かないと思う。

わかりますか。

このチャンス。

盗みはダメです。

絶対に。

でも誰かの目を奪っている間。

そいつは間違いなく隙だらけ。

気を付けなくてはいけないのは台風の暴風によって気持ちや視線を持っていかれている時。

台風の隙間。

視線を奪われている時の背後。

そこを狙い撃ちされてしまったら。

卑怯だ。

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卑怯でも構わないと思える時がある。

紳士的じゃない。

正々堂々なんてこれっぽちも思ってない。

何なら正々堂々と言いながら卑怯な手を考えていることだろう。

誰もがピンチの場面で「チャンス到来!」とか考えているような奴はだいたい卑怯だと思っている。

ところが、

 

どんなに卑怯でも勝った方が強い。

 

勝負とは残酷。

どんなに卑怯でも勝てば良しとなる場面がある。

全てとは言わんがね。

全てとは言わないがすごく卑怯な手を使う。

そしてそれで買っても良しとする。

そんな場面があるのです。

スポーツでも随所に見られるではありませんか。

ポイントでリードしている場面。

相手は攻めなければならない。

でもリードしている方は逃げる。

勝負を嫌う。

逃げて逃げて逃げて。

タイムアップ。

戦っているのに逃げた方が勝つ。

勝負に勝てばいい。

そうなっちゃうと戦略的に卑怯な手を使わざるを得ない。

そんな場面がある。

卑怯とは言え。

勝ち。

どうなんだ。

どうなんだそれ。

と見ている方は本当に「面白い試合」だったのだろうか。

でも勝ったチームは喜んでいる。

そして、

 

「これが勝負の世界なんで。」

 

とかそれっぽい事を言う。

でも負けた方はどうだ。

 

「卑怯だ卑怯だ!」

 

と騒ぎ立てるでしょ。

でもね。

同じような場面に自分が立っていたらって考えると、

 

「勝利の為に卑怯な手を使ってしまうかもしれない。」

 

それは勝ちたいから。

だって勝てば良しとなる場面があるんだもん。

 

絶対に勝つ。

 

そう決めた時にはすでに卑怯でも構わないって思っているかもしれない。

絶対に守らなければならないものがある。

絶対に。

絶対に自分の手で守らなければならないものがある時。

卑怯な手を使わなければ守れない時。

卑怯な手を使うだろうか。

卑怯な手を使わなければ自分の娘を連れていかれてしまうかもしれない。

 

使うね。

 

使います。

むしろ堂々と使う。

当たり前感を醸し出して卑怯な手を使う。

絶対に守らなければならないものがあるならどんな手でも使ってやる。

そんな場面があるかどうかはわからないけど。

でもそんな場面に出くわそうものなら、惜しげもなく使ってやろうと思うのです。

ハイエナは自分で獲物を捕らえずに、誰かが獲物を捕らえたところを横取りすると言われている。

 

本当に卑怯か?

 

それでも腹を満たさなければ何も守れない。

自分に獲物を捕らえる力が無いなら誰かにやってもらうしかない。

そのおこぼれをゲットするしかないじゃないですか。

だって、

 

自分そこまで強くないっすから。

 

むしろですよ。

ハイエナの後に鳥とかも来るし。

おこぼれをもらいに来るじゃないですか。

あれも守るためっす。

色んなものを守る為にそうしなければならない。

正々堂々としているのがライオンだけに与えられた権利だとするなら。

 

ライオン以外生きていけない世の中になってしまうよ。

 

ライオンには勝てない。

だから違う方法で生きていく。

守るためにです。

それでも卑怯と言うのなら。

私は卑怯になろうではありませんか。

正々堂々と戦って負けてしまったらなんも守れん。

ライオンに挑みたいならそうしてくれ。

私はその隙を伺っておこぼれを頂きに参上する。

卑怯を特技とする奴がいる。

世の中のバランスブレイカーだな。

そもそも卑怯な手を使うのが得意な奴がいるのです。

卑怯な手に磨きをかける。

最強の卑怯な手口を考える。

その練習をする。

極める。

金庫破りみたいなもの。

まるで金庫は破る為にあると言わんばかりの努力をする奴がいる。

これホント。

なんでもそう。

 

対極的な位置にいる人って絶対にいる。

 

なぜだかいるのです。

それが悪いっていうことではないと思う。

むしろそういう人がいるからこそ進化を遂げているものが世の中にはたくさんある。

パソコンのウイルスもその一種のような気がします。

ウイルス側からしたらセキュリティが対極にあるものになるわけで。

意味がわからないけどウイルス側はセキュリティ側が何か新しい作戦を考えると、

 

「その機能は卑怯だ!」

 

なんて思っているかもしれない。

暴かれれば「卑怯」になるけど暴かれなければわからない。

パソコンのスペックが年々上がって来ている。

電球の寿命もだんだん上がって来ている。

携帯も微妙に性能を上げては発売する。

徐々に。

買い替える形になっている。

これって。

本当のところどうなんだろうと思いませんか。

 

「もしかしたら5年くらい先のものを本当は作れているんじゃないか説。」

 

小出し作戦。

もし、ですよ。

もしそうなら卑怯だなと思うわけです。

でもそれが戦略と言われりゃ納得するしかないんですけどね。

だって消費者なんですもん。

使えなくなれば買うしかないわけです。

更に新しい機能も搭載されているわけですし。

でも暴けないようになっているわけです。

教えてくれないのか本当に知らないのかわからないわけです。

本当のところがわからない。

卑怯どころか賢いんじゃないかと思うくらいに隠されているような気がするのです。

わからない。

もしそうなったら卑怯と言うべきか。

それとも「次に出るのを楽しみにしています!」と言うべきか。

 

本当はもうタイムマシーンとか作られているんじゃないかと疑う。

 

「浮く」とか。

完成しているけど世には出さない。

そういうものってたくさんあるような気がするのです。

なぜ出さないか。

対極の存在。

 

「そんなもん出すな!」

 

と言う人が絶対にいるでしょうね。

特に、明らかに大発明だとしたら目立つ。

目立ちまくる。

目立ちまくって超大発明。

いきなりそんなものを出したものだから一人勝ち状態になる。

 

と、思うじゃないですか。

出過ぎる杭は元に戻される。

なんだかそういう世の中になってる。

平たくしようと力が働くわけです。

出過ぎた杭は強烈なインパクトを与えると共に強烈な対極を生む。

なんだかそうなっているのです。

卑怯に打って出て、それを圧倒的な力でやっつけたとしても更にそれ以上の力で平たくされてしまう。

目立つと戻される。

卑怯な手を使うとしても圧倒的に「卑怯です!」っていう手口を使い続ければ必ず叩かれる。

突出してると目立つのです。

あまりに目立つ卑怯は圧倒的な力で使えなくされる。

対極の存在も大きくなる。

そうなるとですよ。

私は考えたのです。

間に立っているのがいいんじゃないかと。

間に立って見定める。

目立たない。

卑怯な手も使うし正々堂々と戦う時もある。

絶妙なバランス。

空気感。

空気を読む。

世の中の。

 

どっちの方に世界が傾いてるのかなぁ?

こっちか!

 

じゃあこっちの方で。

とかいう感じで。

 

カッコ悪いっしょ。

 

絶対にカッコ悪いしなんかつまらない感じがするでしょ。

正義じゃないとかそれも卑怯だとか聞こえますね。

聞こえてきます。

向上心の欠片もないと。

 

はいはい。

 

じゃあ言わせてくださいよ。

 

「文句があるならお前がやってみろ!卑怯も正々堂々も、やって、やり抜いて、皆を黙らせてナンボだアホが!その気が無いなら、出る杭になる決心がついてないなら黙ってろ!文句があるなら一生消えない電球を開発してみろや!」

 

あースッキリ。

私には皆を黙らせる正々堂々とした生き方なんて出来ないし卑怯な手も思い浮かばない。

めちゃめちゃ中間。

でもめちゃめちゃ中間の人がいるってなんか安心しませんか?

そういう人もなんとなくこうして立派にではないけどちゃんと生きていける世の中っていうことなんです。

それで十分とすら感じる人もいるのも事実。

まさにそれ。

自分それ。

取り柄が無くてもそれなりに生きてる。