人混みは嫌いだが中にはそれを超える価値もある。

小言

ざわざわしている。得意な雰囲気ではない。

人混みの中にいると自分の気持ちもざわざわしてくる。

場所によってはそれが許せる自分もいるのだがやっぱり苦手だ。

人混みが好きなわけではなくそこにある目的が人混みを無視出来るだけの価値があるかが問題。

その価値を見出したパターンと見出せないパターンでは自分の頭の中の思考は驚く程に違う。

どちらも同じ人混みなのにこうも違うのかと。

せっかくの機会なのでここにまとめておきたい。

まずは人混みに行くだけの価値を見出した時から。

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人混みに行くだけの価値を見出した時。

欲しいものがある。

単純に欲しいものがあり、それを購入、または手にする為に向かった先。

そこが人混みだったとしても欲しいものを手にするまでは何とか乗り越えることが出来る。

単純に自分が欲しいものという理由なのだが、この欲求はたくさんの事を乗り越えさせてくれる。

人混みだけではなく、満員電車でもOKだ。

なんなら雨の人混みでも欲しいものがその先にあるとわかっているならいける。

楽勝とまではいかないが欲しいものが「どれだけ欲しかったか」によっては遠くでもいける。

遠くて、雨で、人混みでもクリア出来る。

欲しいものを手に入れる為のパワーがどこから出てくるのかわからないがそれを欲する気持ちが様々な苦難を乗り越えようとするのだ。

人混みが目の前に広がりを見せていてもそこに突入する力が湧いてくる。

人混みなどかき分けて欲しているものを手にする。

必ず手にするのだ。

そう決めた自分には人混みなど通過点に過ぎない。

楽勝だ。

見たいものがある。

例えば映画。

上映前の映画館は人混み。

それでもチケットを手にしなければ目的の映画を見ることが出来ない。

例えば初公開の動物がいる。

パンダだ。

上の動物園はお目当てのパンダを見る為に人がごった返している。

それでも見たい。

この目で一目みたいのだ。

なぜこんなに混んでいる時に来てしまったのかわからないが、それでも来たからには見る。

それ以外の動物には申し訳ないくらいに興味が無い。

今はパンダが全て。

どんなに人混みでもチケットを買う為に並ぶ。

込み過ぎてどこから並んでいるのかわからないくらいだが、それでも並ぶ。

ある程度の人混みなど予想出来たのだ。

だがそれでも今、あえて見る。

その価値の為なら人混みなど朝飯前。

お目当てにありつく時間は夕方でも構わないのだ。

見れた後の夕飯と諦めてからの夕飯なら「見れたという達成感」がある夕飯の方がなぜかうまいのだ。

味わうのは飯だけではない。

人混みに勝る調味料がそこにはあるのだ。

限定的なもの。

「今だけ!」という特別感があると人はなぜか飛びつく。

最近はネット販売でも売り切れ続出になる。

つまりネットでも販売が開始される直前に画面を見ながら「今か今か」と待っている人がいるのだ。

パソコンの前でずっと待っている。

ネット版人混み状態だ。

人気コンサートのチケットの発売時間になるとサーバーがダウンするくらいのアクセスが集まる。

何度も何度もアクセスしてやっと繋がる。

10分近くで完売だ。

ネットでもこんな事がよくある。

ネットじゃなければ間違いなく人混みだ。

競馬の中継で見たことがある。

大きなレースが開催される日。

その限定的なレースを見る為に人が集まる。

プレミア感があると人混みになるとわかっていても人が集まるのだ。

人混みが嫌いだとか言ってられない。

むしろそれを覚悟で迎え撃つのだ。

それを乗り越える価値があるのだ。

好きな相手といる時。

恋をしている。

ドキドキする時間。

デートだ。

「次のデートはここに行く!」と一緒に決めたのだ。

相手の最高の笑顔が見たい。

それが混雑するとわかっていても。

人混みにまみれたとしても。

最高の笑顔を見る為に頑張る。

好きな人が求めている場所であれば一緒に行きたいのだ。

そしてもっともっと好きになってほしい。

その為に出来ることがあるのなら。

人混みなんて気になるわけがない。

今目に入っているのは大好きなあの人だけ。

夢中なのだ。

夢中過ぎて人混みでも全ての人がエキストラ。

これも演出だと感じられる。

思い出にもなる。

「あの時は本当に混んでたよねー」と言える。

まるで私たちの恋を多くの人が祝福してくれているようだ。

人混みカモン。

それでも私たちが幸せであれば気にならない。

旅行中。

旅行に来てしまえば例えその場所が混んでいたとしても諦めざるを得ない。

来てしまったのだからそれはそれで楽しもうとする。

知らない土地というのも幸いし、「こういうものか!」と変に納得することが出来る。

地方から都会への旅行になればそれはさらに自然なものだと腑に落ちるだろう。

「都会は人混みで当たり前」という考えは人混みに対しての抵抗感を下げる。

そして旅行となれば大型連休に合わせる人が多い。

つまりどこに行っても混んでいる。

どこに行っても人混み。

そういう考えになる。

更に楽しみにしていた休日だけあって人混みに対する耐久力も強い。

温めてきた旅行への想いが人混みに勝るのだ。

計画してきた全てが人混みへの挑戦なのだ。

花見と同じような効果。

いつもはガラガラの公園にも花見の季節になればレジャーシートが敷き詰められる。

芝生のグリーンが見事にビニールブルーへ変わる。

そして花より団子。

人混みは人気を示す指標。

人混みになっていれば「何かが行われている」と思い込む。

ましてや旅行中ともなればいつもよりも気持ちは自由。

「全然大丈夫!」という言葉以上に人混みに対しての耐性は〇。

人混み○

尻ごみ×

旅行という自由な経験が出来る時間を人混みなどに邪魔されるはずがない。

むしろそれも含めて旅行と思える。

なぜか思えてしまうのだ。

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人混みの中に行くだけの価値を見出せない時。

人混みを超える価値を見出せばいいだけの話だがそうではない場合180度気持ちは変わる。

人混みが最悪なイメージになる。

そして近づこうともしない。

不思議なものだ。

ほとんど真逆だと言っていい。

なんとなく来てしまった。

休日を利用してなんとなく出かけたところでとんでもなく大きなイベントが重なっている。

イベントの情報など知らなかった自分にとっては衝撃が走る。

普段はあんなにすんなり通れていた場所が通れない。

もし通るのであれば遠回りをするか列に並ぶか。

「仕方がないか。」という思いと「いつも通れるじゃないか!」という怒りがクロスする。

そして決断するだろう。

「引き返す」を。

そこまでの価値を求めて来たわけではない。

それなら引き返して別の日に来た方が時間が無駄にならないと考える。

その通りだ。

別に今日じゃなくていい。

ただちょっと残念な気持ちになる。

それを目当てに来た人にとっては大切な一日。

でもそのおかげでいつもの通り道を妨害されているようなものだ。

なんとなくで来てしまったものにとっては「人混みをかき分けてまで…」という残念な気持ちしか残さない。

人混みは興味本位で戦えるような相手ではない。

しっかり準備をするかそれに勝る何かが必要。

「なんとなく」では太刀打ちできやしない。

友達に合わせた。

友達からの誘いで「一緒にいくよ!」と気合い十分で返事をした。

いざ当日現場に行ってみればどうだ。

見事な人混み。

空から見たら美しすぎる人の波。

自分が言い放った「一緒にいくよ!」と呪いたくなる瞬間が訪れた。

あの時の気合いは一瞬で消え去る。

次に浮かぶ言葉は「帰りたい」だ。

その隣で友達はワクワクしている様子。

それはそうだ。

この日を楽しみに待っていた側の人間。

ただ合わせて一緒に行くと決断した自分が共有出来る価値ではない。

むしろ前もって人混みに突入するだろう情報を調べておけばよかったものの来てからその事実に直面したのだ。

もはやカルチャーショックだろう。

もしその人混みの中で一日を過ごした帰り道は間違いなく友達よりも疲れているだろう。

何しろ「ただついて来ただけ」だ。

おそらく友達の20倍の疲れは予想出来る。

その予想とは裏腹に友達の目は人混みが近づくにつれキラキラしてくる。

こちとらごっくんと唾を飲み込む音が聞こえる。

この価値観の差は一瞬で埋めることは出来ない。

「一緒に行こう!」と余りある余裕の一言をかました自分を恨むがいい。

20倍の疲れを持って一日を終了させるしか選択肢はない。

その代りこれからは下調べをするかその友達の誘いを二つ返事で答えない事になるだろう。

それも勉強だ。

今回は人混みを勉強するしかない。

ただ一つ言えるのは人混みなんてまっぴらごめんだ。

友達は帰りの道中でも目をキラキラさせていることだろう。

期待外れ。

自分にだって欲しいものや行きたいところはある。

興味を持ってワクワクして、その場所へ向かうことだってある。

友達に誘われなくても自分だけで行くことだってある。

自分で決めて自分で行く。

むしろその方が楽しめる。

自分だけの価値がある。

そして向かう。

人混みだ。

だけど大丈夫。

だって自分にとってはすごく価値のあるもの。

人混みなんて気にならない。

迷わず突入。

なかなか進まないが問題ない。

この先にあるものにワクワクするのだ。

新しい自分の発見があるに決まっている。

この日をずっと待っていた。

そして目当てのものにやっとの思いで辿り着く。

そして目の当たりにした感想はこう。

「期待外れ」

これまで人混みをかき分けて辿り着いたわりにこの程度か。

期待外れもいいところ。

全くワクワクしない。

むしろがっかりしかない。

人混みをかき分けた分だけのがっかりが返ってくる。

どっと疲れが体に押し寄せる。

大袈裟に言うとその場を一歩も動けないくらいのショック。

自分一人で決めてやってきたがこの時に限っては誰かと「期待外れ」だという共有をしたい。

誰かに言いたい。

そうもしなければ意味を見出せない。

人混みの中をかき分けて辿り着いた事をネタにも出来ない。

笑えないくらいにショックである。

現場でしか伝わらないこの驚愕の事実を後々人に話したところで全くウケないだろう。

単に無駄な時間を過ごしたようなこの虚無感。

どう説明するかどうか迷うが、マジで「期待外れ」だ。

得たものと言えば一人で人混みを突破する経験くらい。

あのがっかり感は今でも鮮明に覚えている。

現場で起きる事。

期待通りの結果を得たとしても現場で起こる様々な奇跡により一気に人混みが嫌いになる。

欲しいものを手に入れた。

最高の気分。

見たいものを見れた。

良い気持ち。

待ちに待った目的を達成した。

嬉し涙。

その帰り道だ。

財布が無いのだ。

あれだけの人混み。

戻っても財布など見つからない。

一応戻る。探す。探す。

見つからない。

駅の落とし物コーナー。

届けられていない。

交番。

書類を書かされるだけで進展は無さそう。

あんなに楽しかった人混みの中。

最高の気分を味わったあの現場。

高揚感に包まれたあの瞬間。

全てを忘れさせてくれる程の衝撃だ。

財布が無い。

こうなると落としたという自分の不甲斐ないミスなのかもしれない。

あれだけ興奮していれば財布のひとつやふたつは落としてしまうのかもしれない。

そのくらい最高だった。

だがいざ財布が無くなってみると群集の中にドロボーがいたとしか思わなくなる。

完全にドロボーがいたと思い込む。

人混みの中にはドロボーがいる。

こんな事を言ってはいけないが怪しい奴がいたような気さえしてくる。

「もしやあの時のあいつか!?」と考えたくなる。

それが人混みを最悪な状態で捉えた時。

こうなると自分が財布を落とした可能性はゼロになる。

たぶん自分が落としたのかもしれない。

おそらくそうなのかもしれない。

それでもドロボーのせいにする。

人混み全てがドロボーに見える。

わざわざドロボーのところに行くことなどしなくなる。

現場で起きる最高のネガティブを人混みの中で頂いたのだ。

最高から最低の気分を味わった人混み。

今後は財布は首にかけてやろうかと真剣に悩む。

予想外。

全ては予想外の事から人混みが嫌になる。

人混みに勝る価値をその場所に見出したのなら乗り越えられるだろう。

むしろそれすら楽しめるだろう。

だがそれでも予想外のことは起こる。

財布を無くしてみるがいい。

1日どころか3日は後を引く。

2日目にどんなに楽しい事があっても思い出すのだ。

「財布は無くなった」と。

手の施しようはない。

免許の再発行。

クレジットカードの停止。

その他もろもろの再発行。

思い出のプリクラ。

全てを失った。

あの頃のプリクラはもう戻ってこない。

あれが無ければこれからどうやって生きていけばいいのか。

免許も現金もクレジットカードも諦める。

だからプリクラだけでも戻って来てほしい。