嫌いなものは嫌いでいいんだよ

小言

いきなりで申し訳ないが、そもそも嫌いなものを無理して好きになれるわけがねーです。

自分に嘘をついて嫌いなもんに「これ好きなんだよねー!」なんて言う必要があるか?

誰かに合わせなきゃいけない理由があるのか?

誰かに嫌われないように?

ん?

自分に嘘ついて、結局傷付いてるのは誰だ?

自分だろ。

嫌われる事を嫌うから訳が分からなくなってるだけ。

嫌われる事を嫌ってたら何もかもが誰かにコントロールされちゃう。

嫌われる事にビビると人の顔色を伺いながら生きていく事になる。

自分の人生は自分の足で歩もうよ。

ビビる事はない。

嫌いなもんは嫌い。

それで結構だ。

問題ない。

嫌いなものは嫌いでいい。

その理由をネチネチと伝えていくから遠慮なく自分の好きな事を優先してください。

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「嫌い」ってのは自分を守る言葉だ。

「嫌い!」って言葉は、人によっては誰かを傷つけてしまいそうなセリフに聞こえるかもしれない。

「あんたの事が嫌いだ!」

そんな一言を受け取れば誰もが気持ちの良い感情にはならない。

「え!?マジで!?」とびっくりするか、「わかってたけどさ…」ってリアクションくらいしか選べない。

「好き嫌いしないの!」

子供の頃に親から言われたこの言葉で「黙ってた方が良かったな」とか「嫌いなものを無理して食べなくちゃいけないんだ」とか思ってた。

気が付けば私の中で「嫌い」って言葉がネガティブなイメージを持つようになり、「嫌いだったものを好きになるのは偉い」と植えつけられていった。

そりゃピーマンくらい我慢して食べるよ。

いくら嫌いでも「体に良いもの」だってのはわかってる。

でも人間関係とか、自分がやりたくない事とか、その時の感情はどう説明するんだ?

最近じゃ仕事でも「パワハラ」って言葉がよく使われるようになった。

それって結局「嫌だ」ってのが正当な理由だと認められたからでもあるんじゃないだろうか。

「好き嫌い言わない!」ってのがいつしか「人として」みたいな価値観になって、何でもかんでも嫌わずに我慢したり、好きなフリをするのが正解になっていった。

でも誰かが仕事を強制されるようなパワハラに対して「嫌だ!」ってのを主張する事で、これまで捻じ曲げられていた「好き嫌いしちゃダメ」が見事に吹き飛ばされたような感覚になった。

「普通に考えて嫌だろ!」って事を主張しやすい社会になりつつあると思った。

「嫌い」ってのは「誰かを傷つける」とか「我慢出来ない」っていうネガティブな言葉じゃなくて、自分を守る言葉なんじゃないだろうか。

「人の我慢」を蜜の味と勘違いした馬鹿野郎から自分を守る為の言葉。

ピーマンは我慢してでも食べる価値があるけどね。

それ以外でも似たような栄養素はあるだろ。

嫌いなものは嫌いでいいんだよ。

だって嫌いな事を続けるって苦痛じゃない?

嫌いなものと真面目に向き合うって辛いんだよ。

何でもかんでも自由に好きな事だけをやるわけじゃない。

私はそんなにアホじゃないです。

ただ、嫌いなものにハッキリ「嫌いだ!」って言えないと自分が守れなかったりする。

世の中「好きでも嫌いでもないならやれ!」ってのが当たり前で、「嫌い」を主張しないだけで結構追い込まれたりする。

「嫌いだ!」って言っていいんだよ。

じゃないと気が付かないバカばかりだ。

言われなきゃ分からないバカばかりなんだよ。

自分の為に「嫌い」を使え。

「嫌い」を「好き」にした過去。

ちょっと話は変わりますが、私は団体行動が嫌いです。

すごく嫌い。

でもサッカーは好き。

団体競技ね。

だから学生の頃はサッカーをやる為に渋々団体行動を受け入れた。

人間関係にもそこまで興味が無いので、誰とでも当たり障りなくコミュニケーションを取る毎日。

私の中では「あんまり深く関わりたくないから」って理由が、周りからは「誰とでもうまくコミュニケーションが取れる」と思われ、まとめ役であるキャプテンに任命される。

自分の中では嫌いな団体行動や複雑な人間関係を必要最低限に抑えているつもりが、「バランスの良い人間関係を作れる」と思われる。

その評価をもらった時は、意味がわからなかったけど、「褒められるのは嬉しい」と素直に感じていたから、それが「嫌いだ」なんて言わなかった。

いつしかその「嫌い」が自分の「特技」なんじゃないかと思うようになる。

どんなに嫌いな事でも、誰かに褒められたり、評価してもらえると、「嬉しい」って気持ちになる。

まだまだ学生で精神的にも未熟な時期。

周りの友達や大人に「予想外の褒め言葉」を貰うと、「任してくれ!」と鼻が高くなるものです。

気が付けば嫌いだったはずの「団体行動やその中での人間関係」の多くを受け持つようになった。

嫌いなはずなのに「好きだ!」と思うようになった。

まぁ。

それから随分時間が経って、「やっぱり嫌いだしめんどくさい」と思うようになる。

でもそれは「周囲から評価されなくなった」からなのかもしれない。

子供の頃って自分の欲求をコントロールするのが苦手で、直球勝負な毎日だから、「褒められる」っていう最も単純な評価に尻尾を振って喜ぶわけよ。

大人になってからも「褒められると嬉しい!」って気持ちはもちろんあるんだけど、「疑う」って知恵もそれなりに身につけてるから、「喜びながらも警戒は怠らない自分」がそこにいる。

そして、「得意」と「好き」っていうのは別次元の話だと気がつく。

ただ、あの頃から嫌いだったはずの人間関係や団体行動を「好きだ!」と錯覚させてもらったおかげで学生時代もなんとか乗り越えられた。

私は学生の頃、単純で、素直で、アホで、褒められると得意げになる性格で、良かったと思っている。

おっさんになった今は団体行動も、その中にある複雑な人間関係も、大っ嫌いだけどね。

そのくせに人間関係に救われる場面もあった。

自分でもチンプンカンプンな毎日だったと思う。

周りの評価を気にして無理矢理「嫌い」を「好き」にしてた。

「嫌い」に費やす時間。

私の学生時代は嫌いな事でも誰かに褒められて得意げに過ごして来たけど、そうじゃない人もいる。

で、そういった人が将来的に子供の頃から定めた目標に辿り着いたりする。

いたんですよ。

当時からサッカーしかやらない奴が。

同じサッカー部の中でも「サッカーしかやらない奴」が。

私は好きだと錯覚させられ、まとめ役になり、サッカー以外にも考えなくちゃいけない事や、めんどくさい人間関係も意識しなきゃならなかった。

本当は嫌いなのに。

でもそいつはその間「大好きなサッカーだけ」をやり続けたわけだ。

で、大人になってどうなったと思う?

プロだ。

ちゃっかりサッカーでお金を稼げるようになった。

私は子供の頃に「人間関係の構築」でチヤホヤされたからその気になってたけど、大人になって「やっぱり嫌いだわ」と思って辞めた。

「嫌いだ」と口にするようになった。

そしたら「一体何が得意なのか」わからなくなった。

今、タイムスリップして、あの頃に戻れるなら、周囲の評価に流されず、「一番好きな事を徹底的に追求しよう」と思う。

だってアイツは大好きなサッカーでプロとして活躍してるのに、他のじゃじゃ馬な奴らをまとめていた私はおっさんになって迷子だ。

おっさんの迷子。

成り立ってないんよ。

迷子って子供に使う言葉だからね。

プロになったアイツが正直羨ましいし、嫉みもある。

「あの時こうしていれば…」って思う事が沢山ある。

もちろん自分が周囲からの評価に流されず、「嫌いなものは嫌い」と言えなかったのが原因なのはわかってる。

わかっちゃいるけどなかなか認められなかったなぁ。

「嫌い」を我慢して費やす時間がいつしか後悔に変わる時がある。

これはもう、私の経験だから間違いないだろう。

「好き」に費やす時間。

すっかり後悔が染み込んだおっさんの私は、周囲から見たら「今更?」と反対されるような目標を立てた。

プロのサッカー選手に届かないのはわかってる。

さすがに体力も落ちてるし。

家族もあるし。

誰がどう見ても「無理そう」な目標なんて掲げない。

でも、「好きな事を素直にやりたい」って思った。

それなりの歳になると、おっさん達が「自分の店を持ちたい」とか「独立したい」とか言い出すんよ。

そしてそれに必要な資格について調べ始めたりする。

みんながみんな同じだとは言わないけど、少なからず私のように「あの頃本当は嫌いだった事なのに流され続けた時間」を取り戻したいおっさんもいると思ってる。

子供の頃に掲げるでっかい夢なんかじゃないよ?

「今の自分にとって少し大きめな目標」です。

周囲の多くの人が反対したとしても、おっさんになった今だからわかる事がある。

「好き」に費やす時間を大切にするべき。

そしてこれは事実だ。

だって「アイツは好きな事を続けてプロのサッカー選手になった」じゃないか。

アイツは「好き」に費やす時間を大切にして目標に到達したんだよ。

私は今後「嫌い」に費やす時間で後悔を積み重ねたくない。

だから多少反対されようが突っ走ってみようと思っている。

アイツを超える方法はそれしかないと思っている。

だって悔しいじゃん。

満足したいじゃん。

「自分が納得してない他人の評価」なんていらんのです。

「自分も大納得の他人の評価」が欲しいのです。

胸を張って、誰にでも、「だって頑張ったもん!」って素直に言えるような結果が欲しいのだ。

だから今日も言う。

嫌いなもんは嫌いだ!

誰かと戦う必要なんてないんだよ。

私に敵はいない。

若い頃は無理矢理にでもライバルを設置して頑張る理由を作ってた。

それなりに歳を重ねて、おっさんと呼ばれる年齢になって、家族もあって、あの時「嫌い」に費やした時間を後悔すると、不思議とライバルはいなくなる。

家族を守りながら生活を維持するのでいっぱいいっぱいになる。

守る方向へシフトチェンジ。

そんな毎日を過ごしているうちに張り合うのが誰なのかを考えなくなる。

今となってはアイツがどうしていようが自分と自分の家族が幸せであればそれで良いと思うようになった。

世間的に見れば「他人はどうでもいいのか?」って目線になるかもしれないけど、別に他人を蹴落とそうと思っているわけじゃない。

情けない話ですが、「他人がどうとか」考える余裕すらないのが現状です。

自分らの幸せを考えるので精一杯な毎日なんです。

そんなおっさんの私が「嫌いなものは嫌いでいいんだよ」って思うのは、好きな事をしている時間を守る為なんです。

シンプルに幸せを感じる時って「好きな事をしてる時」でしょ?

それって結局「嫌いな事をしない」って事じゃん。

極力ね。

幸せを守る為に必要な「嫌い」はやってのけるさ。

でも嫌いなもんは嫌い。

それは素直な気持ちなんだよね。

もっともっと幸せになりたいからこそ「それは嫌いです!」と口に出すのだ。

「嫌い」をこれ以上寄せ付けないように。

それでも「嫌い」が迫ってくるなら逃げるよ。

戦わない。

他人の事を考える余裕すらないんだから戦っても争いが生まれるだけでしょ。

めんどくせぇ。

だったら逃げるわ。

いや。

逃げるわけじゃない。

「嫌な事を増やさない」だ。

私は「嫌い」を増やさない為の選択をする。

争いなんて何も生まんよ。

ネガティブでしかない。

周囲の評価が「逃げてる」だとしても構わんのです。

だって、それに流されて後悔したんだから。

周囲の評価に耳を傾ける余裕もないし。

私は、私の為に「嫌い」を増やさない。

だから嫌いなものは嫌いでいいんだよ。

小言
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過小評価され過ぎアーティスト

過小評価され過ぎなアーティスト、「楽屋シンジ」さん。

この方、作ってる音楽は素敵なのに評価が低い。

むしろ誰にも評価されてない。

あまりにも残念なので応援したい。

ポップな音楽だから多くの人にそれなりの評価を貰えそうなのに圧倒的に露出が少ない。

なのでこのブログを通してお勧めしたい。

もったいないなぁとつくづく思う。

「楽屋シンジ」さんのYouTubeチャンネルを貼っておきますのでとにかく一回聴いてチャンネル登録してあげましょう!

みんなで!

あれんじ

どうか感想をください。

  1. モトミ より:

    めちゃくちゃいい内容でした。半年前にこれを読んでも響かなかったけれど、半年前に鬱になりそこから復活してきた自分にはどんぴしゃの内容で、背中を押されました。

    • daimaru より:

      最近、ブログってのは、少しでも誰かの役に立ててこそ、初めて意味が生まれる文章なんだとつくづく思ってます。何かに出会うタイミングって凄く重要なんだなぁと。私はこれからも多くの方向転換をして生きていくんだと思ってます。すでにこのブログを通じて前とは違う考えが生まれたりしていますが、それも含めて自分が変わっていく様をここに残していくつもりです。それこそ、意味が生まれるまで。本当にありがとうございます。

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