変わらない毎日、つまらない毎日でも忘れちゃいけない事がある

メンタル

毎日同じような生活を繰り返していると、次第に力が抜けていく。

悪い意味で「慣れた」って感じているのかもしれない。

慣れてしまった。

飽きてしまった。

変わらない毎日。

うんざりしてる。

ええ。そりゃあもう。

同じことを繰り返していくと人は次第に力が抜けていくんだと思う。

私がそうなのです。

毎日同じようなことをしていると飽きてくる。

飽きてくると手が止まる。

仕事もそう、プライベートもそう。

実はもっと刺激的な毎日を過ごしたいと思っているんじゃないかと錯覚する。

でも刺激的な事を毎日していても飽きるんだと思う。

やったことないけど。

同じ事をしていると飽きる。

やる気が出ない。

勘違いしてはいけない。

頑張らなきゃ!

変わらない毎日だと思っている時こそ忘れてはいけない事がある。

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継続は力なり

プロのスポーツ選手は毎日同じような練習を重ねていく。

これまでもずっと続けてきた。

だから今「プロ」として活躍出来ている。

毎日地味な練習を続けて来たからこそ。

そりゃ面白くない時もある。

うんざりする時もある。

辛いと感じる時もある。

それでも、続けて来たからこそ今がある。

人の成長がたった1日で目に見えてわかるわけがない。

最弱のチームが明日最強のチームになるわけがない。

強くなる為に毎日つまらない練習や同じ練習を続けているんだと思う。

私がスポーツ選手と同じような生活をするわけじゃないけど、将来の為に続けている「何か」に対して「つまらない」って思った時、「何も変わらないな」って思った時。

それを、もし10年続けたらどうなるのか考えてみてほしい。

どのくらい自分の力になるのか。

もし10年先も「変わらない」と思っているなら「変われる」何かを見つけてみても良いかもしれない。

探すのも一苦労だけど。

ただ、世界の多くの人が抱える目標や夢は一日では届かない。

ほとんど届かないまま。

努力を続けないと。

「変わらない毎日を変える」にもそれなりの継続が必要。

「つまらない毎日を変える」のは目標。

それを達成する為に継続しなくてはいけないことが必ずあるんだと思う。

突発的なひらめきや、一日の努力で大きな変化は生まれない。

継続は力なり。

何かを始めるにしても、少し先の未来を予想して継続していかなくちゃいけない「何か」がきっとある。

どんなにつまらない毎日だとしても、どんなに変わらない毎日だとしても、「変えよう!」って努力し続けなきゃ変わらないと思うのです。

これを忘れてしまった時。

「つまらない」とか「変わらない」って感じるのは当たり前。

筋トレだってダイエットだって一緒。

一日で理想の体を手に入れられるわけがない。

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道が険しくなきゃ足腰は強くならない

どんなに辛い毎日でも、それをある程度経験していればその先が少し楽になったりする。

険しい山道をいつも歩いている人がいれば、いつの日か平坦な道を歩く時に「なんて楽な道だ!アメイジング!」と感じるはず。

笑いが出る程「楽」だと感じるかもしれない。

ただ、それがあまりにも辛かったら。

無理に続ける必要はないと思う。

だって、その仕事を経験したことがすでに「収穫」であって、次の成長に向けて動き出している証拠。

続ける意味を見出しているのなら続けるべきだとは思うけど限界はある。

向き不向きもある。

人による。

言いたいのは険しい道を歩いたことがあるからこそ、平坦な道に幸せを感じられるってこと。

ずっと平坦な道を歩いているだけじゃ険しい道に差し掛かった時にくじけそうになる。

すでに知っていれば「キツイけど行くかー」って思えるかもしれない。

いつも険しい道を歩いている人は「いつも通り!」って感じるかもしれない。

もっと険しい道を歩んできた人は「楽っすわー」って言いながらグイグイ進むかもしれない。

でも険しい道を知らない人は「嘘だろ…」って一度絶望するんだと思う。

人生はシンプルな「道」ほど単純ではないけど、険しい道を歩めばその分足腰は強くなる。

それは間違いない。

これも筋トレやダイエットと一緒。

一度ムキムキになったことがある人。

一度ダイエットに成功した人。

次はやり方がわかってる。

険しい道を歩み続ければ普通に歩けるようになるし、平坦な道に幸せを感じられるかもしれない。

今初めて険しい道を歩んでいるなら一歩ずつ進めばいい。

疲れたら止まるし辛いなら別の道を探す。

どれもこれも経験にはなると思うのです。

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逃げるのは悪いことじゃない

あまりにも毎日頑張り過ぎて、自分でも「辛い」ってのがわからなくなる時がある。

「辛い」を続け過ぎてそれが「普通」と勘違いしてしまうことがある。

標準が自分以外のものにコントロールされてしまって、自分の判断がまるで「逃げ」のように感じてしまう。

正にブラック企業の発端かと思えるような状態。

でも周囲の人も同じようにやっているから自分も出来ると考える。

逃げるという選択肢を自ら捨て去った状態になる。

落ち着いて考えてほしい。

「逃げる」の何がいけないの?

ゲームをやったことがある人なら速攻でわかる。

「今は勝てない相手だ!」って気が付いたら「にげる」って選択肢がある。

いつでも「にげる」って選択肢がある。

ゲームでは面白くする為に「敢えて」逃げられない演出をするかもしれないけど現実世界ではそんなことはない。

なんなら「逃げる」のなにがいけないのか教えてほしい。

誰かに非難されるから?

「男じゃない!」とか言われるから?

いやいやいやいや。

自分の人生の選択肢を他の人の意見で決めてはいけない。

「今は逃げる」でいいんじゃないだろうか。

その内戦えるようになったら戦うし、戦う選択をしないなら別の道を歩めば良い。

せっかく使える項目として「にげる」があるんだから有効に使おう。

「まほう」があったらとりあえず使うでしょ。

「にげる」だって同じ項目として並んでるわけだし。

つまり、「使って良いよ!」ってこと。

「使っちゃダメだよ!」って言ってくるのはいつも自分以外の誰か。

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決めるのはいつも自分

つまらない毎日を過ごしていると、その原因がどこにあるのか探したりする。

変わらない毎日を過ごしていると、誰かが変えてくれないか期待したりする。

決めるのはいつも自分。

誰かに何かを言われたって、言われた事を意識して改善するのは自分。
反発するのも自分。
凹むのも自分。
「反骨精神で頑張ろう!」って思うのも自分。
誰かのせいにするのも自分。
自分のせいにするのも自分。

全部自分で決める。

どうせ自分で決めるんです。

「つまらない毎日」って思っているのも自分。
「変わらない毎日」って思っているのも自分。

「つまらない毎日」を楽しくするのも自分。
「変わらない毎日」を変えていくのも自分。

誰かが変えてくれるわけじゃない。

これは誰にも従わないってことじゃない。

従うも従わないも自分で決めるってこと。

その選択を誰かに渡すなんて出来ないってこと。

「準備はいいか?」って言われて、「YES」か「NO」は自分の口から発するんだよってこと。

言わされたんじゃない。

最後は自分で決めてるって話。

たまに忘れるよね。