学生の頃なんて「必死さ」があるとなんか笑えたりした。
本気になってる顔を見ると「あいつ本気じゃね?」とか言いながらバカにしたりした。
なんでも冷静に「突っ込み」を入れる方が喜ばれたりした。
いつも冷静でいる方が正しいと思っていた。
必死になる方が異常。ウケる。笑うとこ。
どこかいつもそう思っていた。
だけどね。
違うんだよ。
一生懸命頑張るってすごくカッコいいんだなこれが。
それに気が付くまでに私はすごく時間がかかってしまった事を今、おっさんになって後悔している。
一生懸命頑張ることが「ダサい」「ウケる」って思っていたのは「一生懸命頑張るもの」を見つけられていなかったから。
ただそれだけ。
経験したことが無かっただけ。
経験したことが無い事に対して「異常」って思うのは別に自然。
若かったし。
だけど本当はカッコいいのに「ダサい」とか「ウケる」とか言ってたあの頃の無知な自分に言いたい。
「お前は一生懸命頑張れる何かを持ってるのか?」って。
あの頃の自分に言いたい事。
一生懸命頑張ったこともないのにバカにすんなよ
そもそも一生懸命頑張る何かを持たない奴は「一生懸命頑張る」って意味がわかっていない。
「どうしてそんなに必死になるのか」理解出来ないのです。
残念な事に自分が一生懸命になれるものが無いから「それ」を持っている人をどうしても「自分と違う」って理由だけで毛嫌いしてしまうんですわ。
学生の頃なんて特にそれが随所に現れる。
「一生懸命になれる何か」を持っている人の方が少ないからね。
それを「言ってあげる」ことは出来ても「教えてあげる」ことは出来ない。
本人が「一生懸命頑張る理由」であって、誰かに分けて与えられるわけじゃないから。
切っ掛けは誰かから教わったことかもしれない。
誰かにアドバイスされたことかもしれない。
でも本人が「一生懸命になれる何か」がある事実を認めていないと、このカッコ良さは全く伝わらない。
ただ、「バカにすることなくね?」って思うんです。
知らないんだから見てればいいじゃん。
必死になって頑張ってる人がこの先どうなるのか。
もしその人が失敗したとしても、きっと勉強になる。
成功を掴んだら大きな影響を受ける。
誰かが失敗した姿を見るだけで「自分はこうしよう!」ってひらめきが生まれるかもしれない。
成功したなら「自分だって!」って頑張る理由になるかもしれない。
それも全て近くに「一生懸命頑張ってる人がいてくれたから」だと思うんです。
バカにすることないじゃん。
超カッコいいと思うよ?
今はね。
早く一生懸命になれる何かを見つけろよ
誰かをバカにしている時間はもったいない。
何の役にも立たない。
評論家という位置づけでテレビに出て、「誰かをバカにする芸」で高い評価を得ているのならわかる。
でもそうじゃないのに誰かをバカにしたところで自分には何のリターンもない。
だったら、一生懸命になれる何かを見つけて、それに向かって必死になって頑張っている方が良い。
普通に天秤にかけてみればわかる。
「誰かをバカにする時間」と「一生懸命何かに頑張って打ち込む時間」のどっちが良いか。
誰かをバカにすることを仕事にしたいのならわかるけど、それだって一生懸命にならないと「面白い評論家」の仕事にはありつけない。
世の中そんなに甘くない。
一生懸命頑張らないと何も見えなくなる。
頑張っている人が正常に評価されているのかどうかはわからないけど、一生懸命頑張ったこともない奴が一生懸命頑張っている人をバカにして良い理由にはならない。
時間の無駄。
少しでも早く「一生懸命になれる何か」を見つけた方が良い。
時間は有限だし、本当に平等。
頑張った方がお得だってことにいつ気が付くのだろうか。
あの時の自分はマジで暇人だった。
学生の頃なんか「何がしたいのかわからない」状態。
これが一番厄介なのにも関わらず「一生懸命になれる何か」を探したりもしなかった。
「勝手に見つかる」って思って安心してた。
「与えられる」って思ってサボってた。
見つける事が出来ずにずっと誰かをバカにしてた。
社会に出れば個人戦。
チームの中でも仲間の中でも個人戦。
全ては一生懸命になれる何かが導いてくれるんだと思っている。
誰かに評価を付けている場合じゃない。
一生懸命になれる何かを見つけろ。
ボケっとしてると一瞬で歳を取る。
二十歳を超えてからは水を飲むように一年が消化されていく。
気が付かなきゃいけない。
一生懸命頑張る何かを見つける重要さに。
失敗なんざ朝飯の前の前の前だから
一生懸命頑張る何かを見つけたとしても、それに向かって必死に努力したとしても、恐らく失敗を繰り返す。
失敗すればするだけ更なる努力が必要になったりする。
くじけそうになるし、諦めたくもなる。
もし諦めてしまったとしてもまた一生懸命頑張れる何かを探す事だって出来る。
別に「それしか」ないわけじゃない。
正直、失敗なんてのは超普通の事。
お弁当にお米が入っているくらい当たり前な事。
それでも必死になる何かを感じるなら頑張るべきだと思うし、その価値を見出せないなら別の何かを探すのも良い。
何かを一生懸命頑張るっていうのはそう単純じゃない。
必死になって続けることってのはそう単純じゃない。
ダンベルを持ち上げ続ければ良いってわけじゃない。
だから失敗する。
失敗する度に覚えていく。
なんでもそう。
料理をして何かを焦がしてしまったら次は火加減に気を付ける。
ダンベルだけで理想の体にならないから別の部分も鍛える。
失敗しないとわからないことだらけ。
やってみないと気が付かないことばかり。
一生懸命頑張っていると「良く失敗する」と思うかもしれない。
でもそれは「挑戦しているからこそ」生まれる失敗であって、正確には小さな成功だと思っていいんじゃないだろうか。
「一生懸命頑張る」を続けることで、きっとわかってくる。
きっと見えてくる。
料理だって筋トレだって同じ。
どうすれば「思い描いた味になるのか」とか「どうしたら理想の筋肉をつけられるのか」とか。
続けなくちゃわからない。
だから失敗なんて朝飯の前の前の前なんだと思う。
大丈夫。
絶対に失敗するから。
苦手な事が100個あっても別に良いじゃん
残念ながら私に特別な才能はない。
なんなら出来ない事の方が多い。
手先は器用かもしれないけど出来ない事の方が圧倒的に多い。
でもそれは自分だけじゃないと思っている。
スポーツ選手でも政治家でも料理研究家でも苦手な事はいっぱいあると思っている。
ただ、ひとつ。
一生懸命頑張った何かが「スポーツ」であり「社会を知り、人の上に立つこと」であり「料理」なんじゃないだろうか。
いくつも器用にこなそうとするな。
どうせ出来ない。
「たったひとつだけ」一生懸命頑張れば良い。
世の中には様々な物があって、趣味があって、魅力があって、土地があって、価値観がある。
そのどれもが魅力的に見えてしまうことがあるかもしれない。
どれも「苦手だ」って感じてしまうことがあるかもしれない。
ただ、これだけいーーーーっぱいあるんだから大丈夫。
「たったひとつ」見つければ良い。
なんなら自分で作ったって構わない。
探してみよう!
今日で一生懸命頑張っている誰かをバカにするのはやめにしよう。
あの頃の自分に言いたい。
どうか感想をください。