毎日を生きることはすでに努力です

メンタル

人生は何が起こるかわからない。

でも実は自分でそれを起こしているかもしれない。

私は思います。

何かを起こせるのはいつだって自分を磨き続けてきたからです。

努力し続けているからこそです。

その結果を見て、「運だけだな」なんて言い方をする奴がいる。

その結果を見て、「宝くじに当たっただけ」みたいな言い方をする奴がいる。

テレビで新人が出てくれば「運がいい奴」だと言う。

街中で高級車に乗っている若者を見ると「悪い事でもしてるんじゃないか」と言う。

自分では手に入れられないものを持っている人を見ると、「自分が手に入れる為にどうするか」って考えるんじゃなくて、「運が良かっただけだ」とか「悪い事をしてる」とか、すごくネガティブな考え方をしたりする。

そういう人を見るといつも思うんです。

「悔しいんじゃないの?」

って。

私は悔しいです。

テレビで活躍している人を見ると悔しい。

若くして大金持ちになった人を見ると悔しい。

だって自分では手に入れられないモノをすでに手にしているんだから。

それを「運だけ」とか「悪い事をしているから」とか思わない。

悔しい、敗北感。

悔しい気持ちを認めたくないから、「運」とか「悪い事をしてる」とかに置き換える。

敗北を認めない。

どうしてそんなことしちゃうんだろう。

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すぐに結果を求め過ぎなんです。

「一芸は身を助ける」なんて言葉を聞いたことがあります。

もしピアノが弾けたら、違う人生を送れたかもしれない。

みたいな。

もし○○が出来たら。

そう思うことが結構あります。

でもそれを「今さら始めても…」と思ってしまう。

世界には「資格」ってのがある。

資格があれば普通よりも給料をもらえたりする。

「人としての価値」とまでは言えないけど、その人の評価を高めてくれる要素のひとつなのは間違いないんです。

お得なんです。

「ピアノ」を弾けること、「資格」を持っていること。

どちらも、それを得るにはそれなりの努力が必要なんじゃないだろうか。

どちらも「一芸は身を助ける」って瞬間を得られるかもしれない。

ピアノは芸術色が濃いから、どう活かせば自分に得があるのかわかりずらいかもしれない。

でも資格はめちゃくちゃわかりやすい。

働く前から給料について明確にされている場合が多いから。

ただ、どちらもその効果を得るまでには努力が必要。

一日では取れない資格の方が優遇度は高い。

給料も高い。

ピアノだって一日で弾けるようにはならない。

何日も練習を続けて初めて誰かに喜んでもらえる演奏が出来るようになる。

だからこそピアノが弾ける人を見ると素直に「すげー」と感じる。

ところが、一日では会得出来ないことを知っているのに多くの人がすぐに結果を求めてしまう。

目の前にある得ばかりに手を伸ばしてしまう。

なんでそうなっちゃうんだろう。

それじゃあピアノは弾けるようにならないし、優遇度が高い資格を得る事は出来ない。

わかっているのに、やらない。

やらないのに、「すげーなー」っていつも憧れてる。

なんか、変だ。

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どこに自分の時間を費やすのか。

私達は常に時間を消費しています。

寿命とは直接関係ないけど、常に時間を消費している。

寝てる時も、食事をしている時も、遊んでいる時も仕事をしている時も。

常に時間を消費しているんです。

その時間を簡単にお金に換える方法は時給として働くことだったりします。

それは誰もが知っている。

すごく分かり易いんです。

時間はすべての人に対して平等。

少し話が変わりますが、私の身近には「プロのサッカー選手」の友人がいます。

同じ学校に通っていました。

「才能があるからだよ。」

プロになった姿だけを見れば多くの人がそう感じると思う。

ただ、学生の頃から一緒だった私は知っています。

いつもサッカーの事を考えて、いつも誰よりも練習していました。

サッカーだけじゃなくて、人間的にも成長しようと努力を続けていました。

その姿を見ています。

だからこそプロになった理由はちゃんとわかる。

それだけの時間をサッカーに費やしていたんです。

その時私がしていたのはアルバイト。

まさに自分の時間をお金に換えていました。

でも私の友人はその時間をアルバイトではなく、サッカーに費やした。

だから結果的にプロのサッカー選手になったんです。

あの時、間違いなく私の方がお金を持っていた。

だけど今、私よりも友人の方がお金を持っているに違いない。

私はその時、目の前の得しか見えていなかったんだと思う。

何かを目指していたわけではないから今でもアルバイトを選んでしまうかもしれないけど、「目標が無いからアルバイトをしていた」ように思えます。

時間は返ってこない。

あの時、私はどこに時間を費やせばよかったんだろうか。

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的を絞るべきなんじゃないだろうか。

とは言え、私はアルバイトをしていた時間が全て無駄だったとは思っていません。

ただ、「なんとなくお金が欲しいから」っていう理由でアルバイトを選んでしまった事は後悔しています。

アルバイトをするのは「お金を稼ぐ為」です。

それなのに、そのお金をどうやって使うのかは定まっていなかった。

だから「なんとなくお金が欲しいからアルバイトをしていた」って感じだった。

もしなにか目標があって、その目標に到達する為にお金が必要だから「今はアルバイトをする」っていう確かな目標があれば違ったのかもしれない。

結局どれも後悔になってしまう事ばかりだけど、自分の時間をどこに費やすのか、何の為に費やすのかはっきりさせておいた方がよかったんだと思っている。

将来の自分はどうなっていたい?

的を絞れていなかった。

「あれもこれも」って考えている内はいつも「なんとなく」だったような気がする。

なんとなく勉強して、なんとなくバイトして、なんとなく遊んで、なんとなく頑張って、なんとなく卒業して。

ただ、なんとなくお金が欲しいから自分の時間を費やしてアルバイトをする。

そんなに弱い理由で自分の時間を費やしてしまったことを今、少し後悔している。

未来の自分はどうなっていたいのか。

その的をしっかり絞れていれば今になってそれなりの成果を生み出せたのかもしれない。

それでもサッカー選手になれるって決まったわけじゃない。

きっとそこから派生していく人生の中で「サッカーが出来る」って一芸は、自分の可能性をもっと広げてくれたんじゃないだろうか。

迷ったら、まず、的を絞る。

これからはそうしようと思っている。

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みんな知らない間に努力してる。

結局必要だったのは時間を費やすことだけじゃなくて、的を絞ってそれに向かっていく努力の方だと私は思う。

サッカー選手になりたくてサッカーに時間を費やしたとしても、必ずしもサッカー選手になれるわけではない。

でもあの時、「サッカー選手になりたい!」って想いを持って頑張った時間と努力は絶対に無駄にはならない。

その力を持っていれば必ずどこかで役に立つ時が来る。

私はそう信じている。

「努力は絶対に裏切らない」って言葉があるけど、あれは「サッカー選手になれる」って話ではないと思う。

「努力そのもの」に対してなんじゃないだろうか。

サッカー選手になるっていうのはただの結果であって、サッカー選手になる為の「努力」は絶対に自分の中から消えない。

あの時のアルバイトの経験。

今でも私の中から消えていない。

ただ、「なんとなく」って気持ちがあるとどうしても「努力」とは呼べない。

呼びたくないと言うか。

「努力」ってのは将来の自分に的を絞って、「これだ!」ってものに対して頑張ること。

だと思っていた。

自分の中で「あれは努力だった」って感じられないのは、きっと「あの時思い描いた将来の自分はこうじゃない!」っていう想いがあるからだと思う。

プロサッカー選手を目指していたのになれなかったら「その努力はなんだったんだ」って思うかもしれない。

「もっと努力出来た」って感じるかもしれない。

「努力が足りなかった」って感じるかもしれない。

でも私は今になって思うんです。

結局今でもあの時のアルバイトの経験は忘れていないし、沁みついている。

「ただの仕事」って思われるかもしれない。

「ただのアルバイト」って思われるかもしれない。

学生の頃に「なんの努力もしていない」と思われるかもしれない。

違うよ。

人はね、

毎日を一生懸命生きるだけで努力していると思うんです。

自分の中で納得がいっていないだけで、生きているだけで努力しているんだと私は思う。

だって、的を絞ろうが、目標があろうが、毎日を一生懸命生きたり、生きる為に時間を使うのはみんな一緒なんだから。

人生って楽じゃないんです。

なんなら辛い事の方が多いじゃん。

今日も生きてるだけで立派に努力を続けていると思うんです。

努力は裏切らない。

生きてるだけで自分が裏切られるなんてことは絶対にない。

私は、私の将来の可能性を絶対に諦めない。

今日を生きる努力は必ず明日に繋がっている。