少し前の話になるけど、「都心伝説」や「陰謀説」みたいなものが良く話題になっていた時期があった。
それを知った私は、「マジかよ。やべー。すげー。」と言いながら友達にその話をしたり、ネタにして一緒に盛り上がったりしていた。
フリーメイソンって言葉を知ったのはそういった都市伝説が話題になっていた頃だったように思う。
今となっては「陰謀と言えばフリーメイソン」ってくらいにビッグワード。
立証出来ないんだけど本当っぽい話に心を踊らされていたわけです。
都市伝説の世界は事実なのかはわからないけど、事実だったら世界がひっくり返るような陰謀説があったりする。
「世界を裏で操っているのは○○だ!」なんて言う。
そんな事言ってそれが本当だったら今頑張っている私がバカバカしくなるじゃないか。
この世で騒がれている陰謀説が本当だとしたら、世界がどんな状況になっているのか、想像してみるけど…出来ないんです。
どこか他人事として認識しているんだと思う。
「起こり得ない事だ」って思っているから面白い話になる。
関 暁夫が言う「信じるか信じないかはあなた次第」って決め台詞が今でも記憶に残っている。
エンターテイメントとして「都市伝説」が世間に認知されたのもこの人のおかげ。
今回は都市伝説を中心にエンターテイメントの面白さを伝えたい。
エンターテイメントはどれもこれも宗教チックです。
宗教って言葉を使うと今の時代だと炎上しそうな感じもしますが、基本的に「信じるか信じないかはあなた次第」なところがあって、「宗教」って言葉がなんか微妙なイメージを持っているのは、これまで様々な事件や問題が宗教団体から起きてしまったのが原因だと私は思っています。
つまり「宗教」って言葉そのものになんだか悪いイメージがくっついてしまったような気がしている。
で、エンターテイメントと宗教が全く同じだとは思っていないけど、どこか似ているような部分があると思っている私。
それが「信じるか信じないかはあなた次第」って言葉であって、エンターテイメントって何をするにも、賛成する人と反対する人がいて、「楽しい!」って思う人もいれば「不快だ!」って思う人がいる。
都市伝説も「そんな事あるはずがない」って感じる人もいれば、「あったら面白い」って思う人もいたり、「本当かもしれないぞ!」って思う人もいる。
実際に都市伝説が話題になったのは、多くの人が「楽しい!」と感じたからこそだと思っている。
この感覚が「少し宗教チックだな」と考えたわけです。
もっと分かり易く言えば、全く同じ都市伝説の話をするのに、「関 暁夫」が話をするのと、私が話をするのでは聞く人の量が圧倒的に違う。
都市伝説を「関 暁夫が話すなら聞きたい」って思う人が私が話す都市伝説よりも多いって話。
影響力に差があるんです。
私にはそもそも影響力が無いってのもあるけど、都市伝説を世に広めた関 暁夫が話すから面白いわけです。
これって、実際に起こっている現象で、都市伝説だけじゃなくて、音楽でも作家でも評論家でも同じような事が起こる。
「この人だから」っていう理由がエンターテイメントには少なからずあって、その感情は正直宗教チックだと私は思っています。
別に悪い意味じゃなくて、「宗教」って言葉に対して過剰に拒絶する人が多過ぎるような気がする。
エンターテイメントってどれもこれも宗教チックな側面があると思うんだけどなぁ。
やんわり言うと「ファン」ってことだろうか。
信じるか信じないかはあなた次第。
関 暁夫が使う「信じるか信じないかはあなた次第」ってセリフはいつでも使うことが出来る。
めちゃくちゃな嘘をついても、最後に「信じるか信じないかはあなた次第」って言っておけば「嘘でも別にいいや」って思えたり、「なんじゃそりゃー」とオチになる。
どんなに恐ろしい陰謀説でも、どことなく他人事に変わったりする。
結局どんな話でも自分が知らない事に対しては常に信じるか信じないかは自分次第なんですけど、敢えてそれを言っちゃうのがまたエンターテイメントなのかもしれない。
あんまり深く考えても都市伝説や陰謀説の面白さが半減しちゃいそうだけど、どれもこれもすべらない話や誰かの面白話みたいな感じで、ちゃんとエンターテイメントにしている感じがする。
都市伝説が話題になってからは「信じるか信じないかはあなた次第」って言葉そのものがエンターテイメントになってる。
多くの人の興味を引ければそれはすでにエンターテイメントになり得る。
最近はSNSが盛んで、多くの人が利用している。
有名人もそういったSNSで写真を投稿したり発言したりする。
フォロワー数が人気のバロメーター代わりになったり。
ちょっと問題がありそうな発言や疑わしい写真を投稿すれば炎上する。
SNS上で初めて炎上した人は正直、凄くショックを受けたと思う。
ところが最近はどうだろう。
炎上商法とか言うビジネスモデルになったり…。
少し前まではネット上は匿名性だから信ぴょう性に欠けるとか、「嘘」を見抜く力が必要とか言われていたけど、今はそれが分かった上でビジネスとして使われている。
もうこうなると、炎上なんて日常茶飯事になる。
炎上している所に乗っかり、コメントしてみたり、今炎上しているものを題材に様々なメディアが記事にしたり。
各々がSNSの楽しみ方を見出して好き勝手に使う。
あんまり好き勝手やるとアカウントが消されるけど…各々楽しんでいる。
それがまた多くの人の興味を引き付けたりする。
こうなってしまったら、炎上だってSNS上で繰り広げられるエンターテイメントじゃないか。
だって、炎上していれば私も興味が湧く。
興味が湧くと言うか、気になる。
「今」話題になっている事に対してはポジティブな事でもネガティブな事でも気にはなる。
ネガティブな事をエンターテイメントだと認めるわけではないけど、多くの人の興味を引き付ける「何か」は常に「エンターテイメントになり得る」可能性を持っていると思うんです。
多くの人がエンターテイメントに救われている。
エンターテイメントって言われると何を想像しますか?
私なら、ディズニーランドでしょうか。
特別ディズニーが好きなわけではないんですけどね。
それでも規模の大きさや常に人気があるキャラクターや映画が「これがエンターテイメントだ!」って世の中に放たれているように感じてます。
ディズニー程大きくなると、もし、万が一、それが無くなった時の喪失感は凄く大きい。
ここでまた宗教チックな考えになってしまうけど、ファンはどこかで依存している部分がある。
依存って言葉も、なんかあまりポジティブな感じはしないけど、実は心の支えみたいな感じになっていたりする。
結局「それがあるからこそ自分らしくいられる」と言うか…。
全てに依存するのは良くないかもしれないけど、自分の中で心の支えにしているものって必ずあります。
それがエンターテイメントかどうかは個人差があるけど、エンターテイメントに対して求めることが多いような気がする。
夏になれば花火大会もある、様々なフェスもある。
大型プール施設だってある。
どれもこれもエンターテイメントなんです。
私も好きなエンターテイメントがたくさんある。
エンターテイメントって「人々を楽しませる何か」なんです。
誰かがどこかで「お!これ楽しそうじゃん!」って思ったものが次のエンターテイメントになるかもしれない。
そのエンターテイメントに救われる人だってたくさんいる。
私は数多くのエンターテイメントを見て、経験して、辛い事や苦しい事を忘れたり、時には考えたり、ストレスを発散したり出来ていると思っている。
人生はエンターテイメントだ。
エンターテイメントは「人々を楽しませる何か」です。
子供の頃、友達同士の間で流行っていたゲームやおもちゃ…「遊び」がある。
それを大人になって「あの時流行ってなかった?」って聞くと、知らない遊びやゲームが出てきたりする。
呼び方が違うだけで同じ遊びだったパターンも含めて。
子供の頃はそれが「流行っているから」とか「多くの人がやっているから」という判断よりも、「自分達が楽しい」ってだけで選んでいたように思うんです。
本来エンターテイメントってのは「楽しみ」なわけで、ビジネスと交わるとさらに話題になったり流行ったりする。
大人が作るエンターテイメントと子供が作るエンターテイメントはちょっと違ったり。
子供の頃の楽しみから、大人になってからの楽しみに変化はあったけど、よく考えたら、私はずっと自分が「楽しい」と思えるものを探しているような気がする。
って考えると、自分の人生そのものが結構なエンターテイメントなんじゃないだろうかと思うんです。
自分の人生を壮大なエンターテイメントにする為にもっともっと楽しい方へ進んで行きたい。
もちろんその為の努力や辛い事や苦しい事を含めて。
どうか感想をください。