他人の評価をキープし過ぎて器用貧乏になってる人へ

仕事

私は偏っている人に魅力を感じてしまう。

「偏っている」っていうのは、

 

医者の中でも「骨」が異常なくらい好きでずっと研究して偉大な医者になる。

とか

サッカー選手なのにシュートをしないでパスしかしないけど超一流選手。

とか

野球で言えばバントしかしないのに年俸は一番高い。

とか

カレーが好き過ぎて100種類のレシピを持ってお店を開いて大繁盛。

とか

数学だけいつも100点で他の教科は全部0点だったけど後に数学博士になってノーベル賞。

とか

 

そんな感じの人。

そういう人にすごく憧れていたりする。

 

他の事に興味が無いのか。

自分が興味の無いことに手を付けない。

自分勝手なように見えて、実はすごくプロフェッショナル。

 

そういう人と会って、話をすると大きな刺激を与えてくれる。

考え方が特殊なわけでもなく、誰もが思っている「これが好き!」っていう感情にとっても素直なだけ。

なんなら、その人達の中では共通しているのかもしれない。

 

「自分の力を心底信じている。」

 

偏ったように見えるけどたぶん様々な葛藤はあって、やっとの思いで見つけた自分が生きる場所だったりする。

 

他人から見たら偏っているように見えて、実は自分の中ではめちゃくちゃバランスが取れている状態。

 

こういう人達が社会に新しい価値を見出していくんじゃないだろうか。

 

はっきり言って、自分は飛び抜けた能力を持ち合わせていない。

ただ、偏って結果的に能力を発揮した人達も、初めから自分の偏ったスキルに気が付いていたわけではない。

 

最初はなんとなく。

 

自然にそうなっていったような感じだと聞いた。

 

気が付けば自分が「これだ!」と思う方向へ進んで行って、プロフェッショナルになる。

そして多くの人にその偏ったスキルが評価され、その人自身の最大の魅力と評価になる。

 

最終的に、他人に大きな評価を貰えればそれでいい。

 

ある意味大逆転だ。

 

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もっと自分の力を信じてみませんか?

器用貧乏。

器用になんでもこなせる人ってのは、

 

「器用だからこそうまくいかない人」

 

なんでも器用に出来る人の方が不利な状況に追い込まれたりする。

色々出来てしまうことで逆に自分の足を引っ張るパターン。

 

器用だから多くの仕事を任されてしまって自分が思うような結果が出せない。

 

そういう人。

すごくもったいない。

でも、もし自分が「器用」であることを自覚していて、どんな状況でもバランスよく力を発揮出来るのなら。

そしてそれで満足しているなら。

すごく羨ましい。

 

器用過ぎるを貫くのであれば十分に偏っているし、他人の評価も益々高くなっていくと思う。

 

ただ、器用だからこそ力を発揮しきれない人が世の中にはたくさんいる。

 

結構いるんです。

もっと自分に素直になれれば大きな力を引き出せるのにどうしてもそれが出来ない人。

 

そんな人に気が付いて欲しい。

 

他人の評価なんて日々変わる。

あんまり器用なものだから毎日仕事が多くなったり終わらなかったり更に何かを追加されたりと忙しくなって自分が本当にやりたい仕事が出来ない。

 

納得のいく結果が出せない。

 

だけど今、自分がその仕事を投げ出せば色々な人に迷惑をかけてしまう。

自分がなんとかしなくてはいけない。

自分にはそれが出来てしまう。

更にはそれをすることで他人の評価もそれなりに上がる。

 

確かに。

それなりに評価は上がるはず。

 

「なんでも出来る人」って他人の評価が常に高い。

ただ、自分で自分の評価をしても何の意味もないと言われる。

結局「自分の評価をするのは他人だよ。」

と。

 

間違いない。

 

確かにそう。

だから器用貧乏さんになる。

 

私は言いたい。

他人の評価は日々変わる。

変わるのにも関わらず、

 

これまで得た評価を「キープ」する為に頑張り過ぎちゃっていませんか?

 

器用だからこそ得てきた評価を更なる器用さでキープする。

こんなにもったいない事はない。

高い能力のバーゲンセール大解放垂れ流し状態。

 

その力を本当に自分が評価を得たい「やりたいこと」に100%費やしたらどうなることか。

 

一時的に他人の評価は下がるかもしれない。

これまで器用だからこそ得られた評価が無くなるかもしれない。

でもその評価をキープして、この先さらに大きな評価は得られるのか。

 

「それでも器用貧乏でどこまで出来るのかやってみたい!」

 

って思っているならやるべき。

ただ、少しでも「あれ?確かにそうかもしれないな…」って思うなら、

 

器用貧乏で得たそれなりの評価はキープするんじゃなくて放っておきませんか?

 

私の身近にも「なんでも器用に出来る人」がいる。

会社の中でも取りあえずお願いしておけば問題は起きない。

ただ、めちゃくちゃ大きな評価は得られていない。

 

そもそも器用なもんだから様々なところでバランスを取ろうとしてしまう。

 

それが原因で自分が熱中したい部分に力を注げない。

だけど会社の中ではそれなりの評価があるから断るに断れない。

 

「本当は○○をやりたいと思っているんだけどなかなか…」

 

そんなセリフが飛び出してきたから驚いた。

私は器用でもなければ偏ってもいない。

飛び抜けた能力なんてない。

だからなんでも難なくこなす「器用な人」がまさか不満を漏らすとは思ってもいなかった。

その時私は思った。

 

器用過ぎて「ひとつ」に100%の力を使えてないな。

 

もし「ひとつ」に100%の力を使い切ったらどうなるのか。

今とは比べ物にならないくらいの評価を得られるような気がしてしょうがない。

 

ライバルとしては放っておきたいくらいに長けてる。

 

的が絞れない。

器用な人はオールマイティになんでもこなす。

だから的を「ひとつ」に絞れない。

どれも出来てしまうから無視出来ない。

お酒の席で、

 

「ひとつの事に集中したらもっと力を発揮出来ると思いますけどね。」

 

と言えば、

 

「そんな気はしてるんだけどね。それが、どうも出来ない…」

 

器用過ぎる。

実に残念。

そう考えてしまう事すら「器用過ぎる」からだと本人が気が付いていない。

 

器用なんだからそもそも「ひとつ」に的が絞れないに決まってる。

それって器用だからであってダメなところじゃないから。

 

勘違いしてはいけない。

ひとつに的を絞るのは悪いことではない。

普通は「ひとつ」だから。

器用過ぎて「いくつも」抱えられるだけ。

むしろ「ひとつ」を追い求める中でそこから生まれる副産物的な評価の方がよっぽどオールマイティに得ている評価よりも特別なものになると思う。

 

成績表で全ての評価が5だったら。

確かに「おおお!すげー!」ってなる。

全部がMAX評価だから。

ただ、そんなに能力が高いのに何を躊躇しているのかわからない。

 

他人の評価は5が最大なだけであって、当の本人は「ひとつの分野」で5以上の価値を見出してるじゃん。

もっと自分にはやりたいことがあって大きな評価を得られるかもしれないって思ってるじゃん。

 

他の評価が下がったとしても「3」だから。

器用過ぎていつも全てが「5」じゃないといけないと思っている。

私なんて全てが「2」だ。

 

贅沢すんなよ「器用貧乏」め。

 

そんな器用な奴は他を「3」にしてでも「本当にやりたい事」で「10」を目指した方がいい。

器用過ぎて備わった「100」の力を無駄に分散して使ってやがる。

余らないようにうまくバランスを取って仕事をしている。

それを周りの人が器用だからと頼ってくる。

最悪の流れ。

更にバランスを取ろうとして、「自分が本当にやりたい事」を後回しにする。

だから他人の評価は全てMAXの「5」だ。

でも自分が本当にやりたい事には一切取り掛かれていない。

 

的を、絞ってくれ。

 

今すぐに。

 

時間は有限。

そろそろ「自分が本当にやりたい事」に本気を出す頃ではないだろうか。

他人の評価をキープしようとして自分がやりたい事が出来ない。

方法はひとつしかないだろうが。

 

キープするのをやめろ。

 

そして本当にやりたい事をやって、とんでもなくでっかい評価を得ればいいじゃないか。

そこまで辿り着くには多少時間がかかるかもしれない。

私がやれば一生かかるかもしれない。

でもね。

 

あんたは元々器用なんだよ。

 

私からしたら眩しいくらいに成績が優秀なのだ。

なんでも出来る。

なんでも出来るから飛び抜けてすごい部分が一個もない。

ある意味もっと輝けるのに周囲の評価でそれを押さえつけられている。

 

多少時間はかかるかもしれない。

確かにそれはある。

 

ただ、そんなに器用なのに出来ないわけがない。

 

一番やりたい事を全力でやってみろ!

 

あんたは器用だから何回でも同じ評価の場所まですぐに戻って来れるよ。

 

心配すんな。

 

ただ、人生は一回。

 

思いっきりやってみたまえ。

私は器用で全て平凡な結果を出す人より、偏ってるけど大きな結果を残す人の方がよっぽど魅力的だと思っている。