まず、どんな事でも「失敗しないようにやるべきだ」って考えるのは超現実的で素晴らしい。
すごい事なんよ。
ただ、何をしていても人は失敗する可能性を持ってる。
お皿に出した大豆を箸で違うお皿に移す作業をすれば自分では「出来る!」と思っていても失敗する可能性はいつもある。
そんな大豆チャレンジだって罰ゲームを賭けてやればドキドキチャレンジゲームになる。
罰ゲームってリスクがあるから余計に「失敗したくない」って思う。
もし、罰ゲームの内容が「全財産没収」だとしたら、カイジさながらの緊張感に包まれるだろう。
カイジと言えば成功した時のリターンの大きさにも注目。
全ての大豆を一度も失敗せずに違うお皿に移せたら、「全財産が100倍になる」としたら「なんとしてでも成功したい!」と考えるんよ。
そりゃ「失敗しないようにやるべきだ」って思うでしょ。
極端な例で非現実的だけどさ。
失敗が怖くない人はそもそもリスクに対してあまり恐怖を感じてない。
失うものが小さければ小さいほど失敗は怖くないんです。
リターンの大きさとリスクの大きさの振れ幅が多い程失敗は怖い。
それは仕事でもプライベートでも一緒。
私はあなたの背中を押したい。
「おっしゃ!いけー!」と大袈裟に押すつもりはない。
失敗が怖くて踏み出せないあと少しの重たい一歩を軽くしたいのです。
その為に出来る事なんてリスクを軽くする事くらいだ。
だから一方的にリスクを軽くしてやるよ。
最後まで読めば今より少しはマシになるさ。
何でもかんでも守れると思うなよ。
リスクってのは「今持っているもの」を失う可能性やその大きさだ。
人はこれまで手に入れたものや勝ち取ってきたものを守ろうとする。
生きているうちに多くのものを抱え込んでいく。
人間関係も、知識や情報も、お金やその他の様々なモノも。
それらを身につけて失わないように守る。
いざ何か新しい事にチャレンジしたりする時にリスクとしてどれかを失う可能性がある事に気が付く。
どれもこれも大切にしてたから失いたくない。
守りたいのに守れない可能性を感じると怖くなる。
失敗したら何を失う?
失敗してもどれも失わないなら怖くないでしょ。
これまで得てきた様々なものの中から大事な何かを失ってしまう可能性があるから怖い。
そんなに怖いなら失うものを減らすしかなかろう。
何でもかんでも守ろうと思うから失敗が怖くなる。
大切にしているものが沢山あるのは良い事なのかもしれないけど、子供の頃ってリスクを恐れずチャレンジしたりするでしょ?
守るものがそんなにないからね。
究極のシンプルさを表現するなら「命だけは守る」だ。
これまで生きてきて、そう簡単に「守るのは命だけ」には出来ないかもしれないけど、守るものが少なくなればなるほどチャレンジして新たな何かを得られるようになる。
命以上に守りたいものってそんなにあるか?
背負ってるものが少ない方がフットワークは軽いだろ。
これまで得てきたものの中からちょっと整理してみるといい。
失敗して失うものは本当に重要か?
それが無くたってなんとか生きていけるなら失ってもいいんじゃない?
自分の心も散らかり過ぎて、断捨離待ちになってるのかもよ。
ダサかっこいい生き方もあるんよ。
どんなに失敗して、どんなに周囲からの期待が無くなって、どんなにバカにされたって、本人が信念を持って生きているならカッコいいと私は思っている。
信念ってのが何なのかって言うと、「未来で待ってる自分なりの幸せを掴みに行く行動」だ。
人生なんて結果論で十分。
死ぬ時に「我が人生は驚く程幸せであった!」と思えているなら最高の結果だ。
それは他人を蔑ろにしろって事じゃない。
自分の幸せが他人を巻き込む何かなら、多くの人々の幸せも考えなくてはいけない。
逆に自分の幸せが他人を巻き込む何かじゃないなら気にしない。
全てが自分の幸せへ一直線に進んでいけるなら、どんなに失敗を重ねようが、その度に誰かに「ダサい!」と言われようが構わない。
「それでも自分の幸せの為なら!」と踏ん張って前に進もうとする姿がカッコいいのだ。
私の中ではね。
失敗して、周りの評価を気にして、チャレンジ出来なくなって、毎日の目標を失って、「ダサい」とも「カッコいい」とも言えない日々が楽しいか?
「ダサい」も「カッコいい」も失敗したりチャレンジしたりするから生まれるんだよ。
「ダサい」と「カッコいい」は同居出来ないと思ってるなら大間違いだ。
ダサくなきゃ見えてこないカッコ良さもあるんよ。
失敗したら誰かがあなたに「ほら見ろ!」と誰かに「ダサい」と伝染させるかもしれない。
ネガティブなネタなんて一瞬で広まっていく。
それでも自分の幸せを掴む為に立ち向かう。
それだけ。
失敗が怖くたって「自分の幸せ」は掴みにいこうぜ。
ダサくてもカッコいいじゃん。
それが信念だ。
どんなに失敗したって信念だけは持ってなきゃ。
それがいつか結果になって帰ってきた時、絶対に思うはずなんよ。
「失敗して良かったなぁ」って。
失敗を怖がるより、後悔が残る方が人生は面白くないよ。
自分の人生が面白いなら、別にダサくてもいいんじゃないかな?
「またやり直せばいいさ」は強い。
人には少なからずこれまで積み上げてきた人間関係やその他の細かい成功や結果が詰まってる。
だからこそ仲が良い友達がいたり、仕事で給料が上がったり、信頼を得られたりする。
正直な話、一度の失敗でそれらが全て崩れ去る可能性はある。
どんなに人気絶頂の芸能人だって、たった一度の不祥事でドン底へ転落する様をテレビで見た事がある。
つい最近だって記者会見を開いたあの人は突然芸能界から姿を消した。
誰がどう見ても見事にドン底だ。
見る人が見れば痛快だろう。
SNSで叩きまくる人もいる。
それが良いとか悪いとかはどうでも良くて、まず、ほとんどの人がたった一度の失敗でこれまで懸命に積み上げてきた結果や信頼を全て失う瞬間が事実である事。
別に誰にも注目されていない私がそんなことを気にして生きていてもしょうがないと思うかもしれないけど、まぁ聞いておくれよ。
私が言いたいのは、たった一度の失敗でまるでこれまでの全てが跡形もなくぶち壊されたって事実ね。
そりゃ怖いわ。
誰でも怖い。
ところがもう一つの事実だってある。
「ドン底からまたやり直して見事に復活」
このパターンもあるんよ。
何があっても不祥事を起こした過去ってのは残る。
絶対に残る。
そして消えない。
だから失敗は怖い。
でもそこから這い上がって再び人気を獲得する芸能人だっているんよ。
一度は「終わった」と思うかもしれないけど、どこかで「もう一度やり直そう」に変わった。
そこからどれだけの時間が掛かるのかわからないけど、復活を遂げた人は沢山いる。
簡単に言おう。
失敗が怖くても、仮に失敗しても、「またやり直せばいいや」って思える奴はずっと強い。
めちゃくちゃ強いんだよ。
で、やり方がわかっている分復活が早かったりもする。
失敗は怖いだろうけど、「またやり直せばいいや」って思ってる奴は挑戦し続けると思う。
だって。
その通りだから。
全部台無しにしちゃったんだからまた作り直すしかないじゃん。
積み木みたいに単純ではないけど、やっぱりそれしかない。
そんなシンプルな奴っていつの時代も強い気がする。
得られるものが一つだと思うなよ。
たまに失敗した人を励まそうと「経験は残ってるから大丈夫。勉強になったんだよ。」とか言う奴がいるが、それだけではない。
まるで「経験だけが残った」みたいな言い方をされても魅力的じゃないし。
本当はもっともっと多くの可能性を得られている。
まず、経験。
やり直すにしても、経験があれば結果は早く出るだろう。
何度も失敗しながら攻略していくゲームみたいな感覚だ。
「このパターンはどこかで…」なんて思い出す事もある。
そして次に未来での失敗を防ぐ効果もある。
大きな失敗をすれば後悔や失うものも大きい。
たった一度の失敗で失う何かの大きさを知っていて未来でも同じ過ちを繰り返すか?
たまに何度も同じ失敗を繰り返す奴もいるけどあれはアホだ。
3度までならあり得るが、それ以降も続けばアホだ。
失敗で失ったものが大きければ大きいほど反省も大きい。
大きな反省があればそれは未来に生かされる。
それが「経験」って一言で済まされちゃうと勿体無いだろ。
すごく重要な事。
私なんか大きな失敗をして、どぎつく叱られた経験が今でも残ってる。
その時とんでもなく叱られたからこそ今「これはやっちゃダメなんだ」ってわかってる。
大人になりゃ誰かがわかりやすく叱ってくれる瞬間は減る。
だからと言って失敗しないわけじゃない。
嫌われたり、省かれたり、バカにされたりして失敗を自覚する人もいる。
ショックが大きいほどその衝撃が次の失敗から自分を守ってくれる。
と、言うか意識的に失敗しない方を選択するようになる。
物事の良し悪しだけじゃなくて、人間関係でも仕事でも一緒。
失敗せずにそれがわかってる奴は天才だ。
私は天才じゃない。
どちらかと言えば凡人か、それ以下だと思ってる。
それも「調子に乗ってぶっ叩かれた過去があるから」そう思えるわけで…。
作り上げてきた様々なものが失敗によってぶち壊しになったような気になるかもしれないけど、その隣で「失敗した事がある」っていうチャレンジャーにしか得られない経験は積み上げられてるんだよ。
それって、失敗しなければ手に入らない貴重なもんだと思うけどな。
自分には大いに期待せよ。
失敗して、色んなものが台無しになって、後悔して、反省して、チャレンジするのが怖くなる。
そんな典型的なパターンで自分を抑えて、中途半端な毎日を繰り返していると思われる人が沢山いる。
その人達に言いたい。
「別にそれでも良くね?」
だって、本人がそうしたいんだから。
どんなに失敗をしようが、そこから這い上がろうが、再び失敗しようが、チャレンジを辞めようが、本人の幸せは本人にしかわからない。
今、「失敗が怖い」なら無理矢理チャレンジする必要がどこにある?
ないわ!
これからもずっと、永遠に「失敗が怖い」ってわけじゃない。
だから今の過ごし方をどれだけ自分が満足しているかの方が大事。
未来なんて誰にもわからないんだからチャレンジするかどうかなんて自分で決めりゃいいんだよ。
自分のタイミングでさ。
失敗が怖いなら無理矢理立ち向かうこともない。
「その時が来たら」また自分で決めれば良い。
だからもう一つだけ言いたい。
どんなに失敗しても、これまで積み上げてきた多くの成果が崩れ去っても、それで失敗が怖いと感じても、
自分には大いに期待してください。
だって、未来は分からんだろ。
あの頃の坂本龍馬に聞いてみたい。
「あなたが亡くなった約100年後にはスマホが普及するんですが、どう思いますか?」って。
多分「あんた何言ってんの?」って返されるだろうよ。
そのくらい未来なんて予測不可能なんよ。
でもね、多くの人が「自分の可能性に期待しながら生きてきたからこそ」実現された沢山の成功と成果があるんだよ。
パソコンもスマホもその一つでしょ。
誰かに未来を決めつけられて、今の自分をバカにされたっていいじゃん。
自分だけは「覆せる!」って思ってればね。
こんな反吐が出そうな世の中なんだから自分にくらい期待してもよかろうが!
失敗?
怖いよ。
今はな!
その先は自分に期待してみるよ。
どうか感想をください。