子供の頃、警察官は「最強」って思っていた。
いつもビシっとしていて、街を守ってくれて、悪から世界を守るヒーローみたいな感じだった。
悪と戦うんだから、決して安全ではない仕事。
そういう認識だった。
大人になるとそれがどんどん変わっていく。
そしてある時に思う。
あれは生活をする為に与えられた仕事だと考える人もいて、同じ警察官の中にも悪い奴がいる。
世界的に見て、「警察官に悪い奴はいない」ってことはあり得ないんだと気が付いた。
でもどこか、一般の人よりも「警察官が犯罪に手を染めた」って聞くとすごくがっかりしてしまう。
子供の頃は「最強」だったヒーロー的存在だったから。
これはイメージの問題。
誰もが私のように「警察官は悪を打ち倒すもの」って考えているわけではないだろうし。
ただ、私のようなイメージを持っている人は絶対にがっかりする。
「計算機が計算を間違えた」くらいにがっかりする。
「絶対に大丈夫だ」って思っていたのに裏切られたような感じ。
がっかりするし裏切られたような気持ちになる。
どうしてか、「国の仕事」をしている人が反社会的なことをすると、すごく暗い気持ちになるのはどうしてだろう。
信じたい気持ち。
私にとって、学校の先生が言っていることはいつも「正しい」ものだった。
今私はには家族があって子供もいる大人になったけど、子供の頃、先生は一番正しかった。
叱られること、教わる事。
全てが正しいと思っていた。
信じていた。
それが一度不祥事を起こしたニュースが世の中に流れるとどうしても疑いたくなってしまう。
今でも信じたい気持ちはある。
だって、我が子も学校に通うのです。
だから信じたい。
義務教育とされている年齢までは先生ってのは道しるべだと思っているから。
でも、そんな義務教育の範囲に教団に立つ先生が、不祥事を起こす。
私が子供の頃はそんなニュースはほとんど飛び込んでこなかった。
今はSNSやインターネット上の様々な媒体を通じて、現状が素早く、多くの人に届けられるようになった。
隠そうにも隠せない現状がある。
私が子供の頃からあったであろう不祥事が、素早く明るみに顔を出すようになった。
だからこそ目立つ。
先生の不祥事。
その問題が体罰だけならまだしも、わいせつな行為だったりする。
信じたい気持ちがあったからこそ思う。
「クソ野郎だな」って。
そもそも信じているだけにその期待を思いっきり裏切られたような感覚になる。
もし自分の子供にその被害が及んだら?
許せるわけがない。
公務員って国に勤めているようなもの。
犯罪の選別が出来ない、または我慢出来ない人間が選ばれているのかと思うと全ての公務員に対して偏見を持つようになる。
悪い事ばかりではない。
本当は悪い奴の方が少ない。
クズ野郎の方が少ない。
でも万が一を考えてしまう。
信じたい気持ちもあるんだけど、それが逆に次の次の不祥事でさらに疑いを増幅させてしまう。
エリート官僚っていう言葉。
凄く勉強して、様々な経験を経て、国の仕事に就き、「エリート」と呼ばれる官僚。
私のエリートな人のイメージは「隙が無い人」って感じだろうか。
エリートと呼ばれる人は素晴らしい人格を持っていて、頭も切れる。
でもって「将来も有望」とされている。
でもたまにニュースで見る。
「エリート官僚なのに…」残念なニュース。
隙だらけじゃないか。
むしろ、なんの肩書を持たない私の方がよっぽどエリートだろうに。
「悪い事や人に迷惑をかけることはしてはいけない」と子供の頃から教わってきた。
なのにどうしてかその中でも成績優秀で将来有望な人材と言われる人が犯罪に手を染める。
「エリートだった」と報道されると、余計に「いや、何がエリートなの?」って思ってしまう。
「あのエリートが!?」とか言われると「ただのクソ野郎だろ」と思ってしまう。
犯罪者にエリートなんて言葉を使うな。
「エリート」のイメージが「犯罪を犯しそうなギリギリ自我を保ってる奴」に変わってしまうじゃないか。
犯罪者に「元」を付けても「エリート」なんか使っちゃダメだと思う。
私が知っているエリートはもっとリーダーシップがあって、才能があって、隙が無くて、多くの人が期待するような感じ。
犯罪に手を染めるような人じゃない。
そんな奴はエリートなんかじゃない。
「元エリート」だとしても、一度でもそんなクソ野郎を「エリート」って付けて呼んだ事を恥じるべき。
そいつはエリートなんかじゃなかった。
国の仕事を盾に犯罪に手を染めたクソ野郎でした。
最後に、私は超平民ですが言わせてもらいたい。
国の仕事に従事する人に対して、超平凡な私でも少し懸念を抱いている。
ちょっと言わせてもらいたい。
犯罪に手を染める者、それ以外のスレスレのラインでちょろまかす者。
大した才能を持たない私がこの国の一員として、「そういった人達がいる」ってわかると、これからもっと鋭い国民の目は細かいところまで行き届くようになる。
インターネットやらSNSやらでの情報は早い。
そして熱を持っている。
なんでもない事件でもすごく大きな事件として騒がれることだってある。
まさに炎上。
数少ないクソ野郎のせいで国を背負って使命感を持って仕事をしている人でさえ冷ややかな目で見られることになる。
それってめちゃくちゃ悲しい。
我が子も学校に行く。
そんな中、「わいせつな行為で…」ってなった時、使命感を持って、一生懸命仕事をしている人でさえ疑われる事になる。
人として全てを赤裸々に話すわけではないけど、私の心の片隅にはいつも「あの時の不祥事が…」と残る。
これってめちゃくちゃ悲しいです。
だから今現在、私は国の仕事をしたいとは思わない。
超平民である私がそう思うくらいだからきっと同じように思っている人もいる。
でもね。
期待だってしているんです。
分かり易いくらいの税金を毎月のように支払う私達。
支えているんです。
国の仕事はしていないかもしれないけど、支えているんです。
税金で、超分かり易く。
だからこそ期待したいんです。
高い給料をもらっても犯罪に手を染めてしまうクソ野郎がいます。
スレスレのところ、グレーゾーンをしっかり守り、「犯罪ではない」とか言いながらお金をかき集めようとしているクソ野郎がいます。
私達が納めている税金がそういった奴らに搾取されていると思うと悲し過ぎる。
そのせいで、本気で、正義感を持って、懸命に仕事をこなす人も冷たい目で見られることだってある。
めっちゃ悲しい。
悪い事をしている国会議員を捕まえる警察官の中にも悪い事をしているクソ野郎がいる。
そう思うとどうしたらいいのかわかりません。
でも私達はそういったニュースが耳に入る度に騒ぎます。
炎上させます。
そういう生活の守り方しかわかりません。
だから選んだんです。
その方法を。
これからそういった不祥事が起こればもっともっと早く見つけられるようになる。
だとしたら炎上させるスピードも早くなる。
インターネットが普及したおかげで私達も国を守る選択肢が増えたんじゃないかと思う。
学校だってインターネットを介して通えるようになってきた。
もっともっと普及する。
学校に行かなくても教育が受けられて、ちゃんと卒業した証明だってもらえる。
会社の会議だって、テレビ電話を通じてやれば職場に行かなくても良くなった。
その分家族と一緒にいられる時間が増えた。
家の外に出なくても食品を届けてくれるサービスが増えた。
欲しい物も、ネットで買える。
お金を刷るのをやめて全ての紙幣をデジタルにしちゃえばグレーゾーンのお金の動きも丸見えになる。
それを私達が監視出来る時代はもうそこまで来てる。
私達は私達のやり方で国を支える仕事を選ぶ。
「クソ野郎の思う壺」そんな世界はもう終わりにしよう。
どうか感想をください。