「怒られた」をうまく活用すれば人生はもっと楽しくなる

メンタル

そりゃ怒られれば一時的に凹むよ。

ただ、怒らない人が好きってわけじゃない。

中には怒りがあるような言い方はしないけど怒っている人もいる。

その人の伝え方が違うだけ。

伝え方だけで「好き」「嫌い」を判断しているようでは「怒られる」本質が全く見えていない。

怒られたから反省するのではない。

怒られなくても反省する場面はいくつもある。

 

人は生きてりゃ失敗はする。

失敗から得たもので進化していく。

 

進化のヒントはありとあらゆる場面にある。それなのに「怒られた時」だけ反省したり反発していていいのだろうか。

むしろ怒られる方がプラスになったりする。

はっきり言ってくる人。

遠回しに言ってくる人。

叱ってくれる人。

優しくアドバイスしてくれる人。

 

言い方は人それぞれ。

 

その人の性格や、置かれている立場や、プライベートで起こっていることや、タイミングや、抱えていること。

それだけで伝え方のニュアンスが変わったりする。

 

伝え方は違えど、

全て「指摘」しているだけかもしれない。

 

怒られているように感じると、インパクトが強くて本質が見えなくなってしまう。

それでも本質は自分に対する「指摘」だったりする。

 

確かに恐縮してしまう気持ちはわかる。

わかるけど、自分の成長を助けるヒントがたくさん隠されているように思う。

 

私は毎日のように職場で怒られていた。

新入社員の時。

今はその人にすごく感謝している。

感謝しているけど未だにちょっと苦手。

 

今でも好きっていうわけではないけど、自分の歴史を語る上では外せないキーマンであることは間違いない。

 

これは私が怒られ続けて「得たもの」の記録。

 

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怒られて気が付く多くの事。

どう考えても怒られるのが好きな人の方が少ない。

「怒られる」っていうのは自分の力が及ばないことを指摘されているような気がして、なんだかすごく恥ずかしいしダサいと感じていた。

その恥ずかしさを隠す為に反発したり、言い訳したりする。

まるで怒られていなかったことにする。

その気持ちを隠そうとヘラヘラしていれば、

 

「ヘラヘラすんな!」

 

とさらに怒られる。

「はぁ。」と言えば、

 

「ちゃんと聞いてんのか!」

 

とさらに怒られる。

反発したり、恥ずかしさを隠そうとすると、相手の怒りを増幅させてしまうことを学んだ。

 

相手の怒りを増幅させると、自分が一体「何に対して怒られてたのか」がわからなくなる。

そうなると、ただ単に怒られているだけのような気がしてくる。

 

そうなるともう意味がわからない。

「ちくしょー!」っていう気持ちだけが残ったりする。

 

その時に思うのはいつも同じ。

 

もう怒られたくない。

あの人に怒られないようにしよう。

 

肝心なのは一発目。

後日、あの時怒られたことを思い出してみる。

一番初めに「怒られた理由」は何だったのか。

 

それは人としてすごく全うな事だった。

 

別に怒らなくても伝えられることなのかもしれない。

でも相手の感情までコントロール出来ない。

世の中には多くの人がいて、それぞれ性格が違う。

 

人によっては優しく伝えるパターンも怒って伝えるパターンもあるだろう。

 

ただ、

言っていることはどの人も同じ。

怒られたことにびっくりして反発してしまったり、拒絶してしまったりすると、その本質がわからなくなってしまう。

軽いパニック。

良く考えてみれば、人によって言葉遣いも違うし、話し方も違う。

 

どんなパターンだとしても、今の自分に足りない部分を「指摘」してくれているんではなかろうか。

 

そう考えるようにしたら怒られた時の頭がシンプルになった。

どんなに怒られようが優しく指摘されようが、それは「直すべき部分」だったり「足りない部分」だったり「自分では気が付かなかった部分」である。

どんなパターンで怒られても、上手に吸収していけば自分の成長スピードは間違いなく早くなると思った。

 

怒られる第一声目。

 

言葉によってはショックを受けるし、態度によっては恐縮してしまうことがあるけど、自分が成長する為の「指摘」だと気が付いてからはちゃんと受け止めるように頑張った。

 

そしたら意外にも素直に「すいません。」が出てくるようになった。

 

「怒られる」をまず素直に受け止めて、その場で「指摘」の内容を反省したり、理解して改善するスキルが追加されたような気持ちになった。

 

そして怒られたことを引きずらなくなっていった。

自分に対して素直になった。

自分に対して怒ってくれる、または叱ってくれる人。

その人達が第一声で何を伝えたいのかしっかり聞き取るようにしたら、

 

意味もなく怒っている人がいることに気が付いた。

 

「そういう人もいる」っていうのはわかる。

わかるけど中身が無い怒られ方をするとさすがにイライラする。

別に揉めたくはないけど、自分の為にもならない。

ただ怒りをぶつけられる存在にはなりたくない。

だからそういう人とは距離を置くようにした。

 

冷静に伝えようが、怒って伝えようが、自分への「指摘」でなければ、成長しない。

 

少しでも自分に欠けている部分を補えるような怒りであれば受け止めるべきだと思うが、それ以外の怒りはあまり意味が無い気がする。

 

ただむしゃくしゃして誰でもいいから怒りたい人ってのがいる。

 

こういう人達の独りよがりの楽しみに付き合っている暇はない。

 

お前達には用はない。

 

今まではどんな怒りに対しても「怒り」ってだけで拒絶したりした。

それが冷静に分析出来るようになって、どんな伝え方をされても「指摘」であればしっかり聞き、それに対して自分なりの答えを出せるようにもなっていった。

 

きっと誰かに対して素直になったわけじゃなくて、自分の存在に対して素直になれたのだと思う。

 

自分は完璧ではないから学ばなくてはならない。

足りない部分を素直に認められることで、それを補おうと学ぶ姿勢も素直になったんじゃないだろうか。

まだまだ深い理解には及んでいないが、

なんとなく、

 

怒られるっていうのは悪いことではない気がする。

 

耳を傾け、自分に必要な「指摘」かどうかまでをちゃんと判断する。

まずは素直に受け入れる。

怒っていようがそうじゃなかろうが、受け入れて、自分にとって足りない部分が無いか判断していく。

 

自分に足りないものがあるっていうのは簡単に認められなかったりする。

でも認めないと成長しない。

だからなによりも「自分には常に足りないものがある」っていうのを素直に認めないといけない。

 

未だに反発したり拒絶したりすることはあるけど。

 

選択が早くなる。

どんな言われ方をしても、「自分にとってプラスかどうか」の判断が早くなってきた。

そうすると自分の選択のスピードも早くなる。

めちゃくちゃ怒られれば一度は凹むし恐縮する。

それに「自分が劣っている部分があるのを認める」のも辛い。

ただ、「認める」はこれからもっと自分が良くなっていく為に必要なこと。

 

次に自分がやることは?

 

選ぶスピードが早くなると切り替えも早くなる。

気持ちの切り替えが早ければ早い程、自分に足りない部分を補うのも早い。

 

選択が早くなれば成長も早くなる。

 

もちろん上手に切り替え出来ない時だってある。

それが圧倒的に自分のミスで失敗に終わってしまえば、まずは反省。

何度も反省して新しい一歩を踏み出す。

その踏み出す早さも選択や切り替えの早さだったりする。

 

結局、怒られたら拒絶したり反発するんじゃなくて、しっかりそれを聞いて、本質を捉えるようにして、相手が自分に何を求めているのかだったり、なにをするべきかだったりを理解して、その本質を見極めるようにしていくだけで、選択の幅が増えて、自分の成長に繋がって、決断も早くなった。

 

決断が早くなった分だけ迷う時間が少なくなった。

 

自分にも素直になった。

そしてそれが私の良い部分になった。

 

怒られて、良い部分が見つかった。

怒られて、凹んで、嫌になって、ずっと考えて。

それを繰り返していくと、

まるで、

 

「自分には良い部分は無いんじゃないだろうか。」

 

とネガティブになったりする。

それか、

 

「そんなことない!自分は間違っていない!」

 

と意地を張る。

 

どちらも自分は「どうするべきか」の選択や決断が出来ていなくて、「指摘」された事実を受け入れられない状況。

 

それが続いてしまうと結局立ち直るにも時間がかかるし、「怒られないようにするには」っていう選択をしていくことになる。

 

もったいない。

 

怒られたことを上手に利用すれば、

 

自分の利益として蓄えることが出来る。

 

それを言い方一つで「良い」「ダメ」「やだ!」と簡単に判断してはいけない。

 

どれもこれも「自分への指摘」と捉えて、本質を理解する。

 

性格は人それぞれ違う、「指摘」の伝え方や言葉遣いが違って当たり前。

 

怒られようが、優しく伝えられようが、「自分への指摘」であれば反論の余地どころか成長出来る切っ掛けになる。

 

「怒られる」をうまく利用出来るようになれば人生はもっと楽しくなると思う。