体の疲れは睡眠やマッサージで取れる。けど「仕事に疲れた」っていうのはちょっと違う。複雑な原因が絡まりあってほどけなくなった状態。感情の絡まり。現実問題が山積みだ。これが睡眠で回復出来るなら転職なんて言葉はいらないよ。
今働かなくてはいけない理由はなんだろう。
多くのプレッシャーや使命感の中で毎日戦い続けている。あなたはとてつもない戦士だ。しかも単純に戦うだけじゃなく、
- 人間関係
- プライド
- 上司
- 同僚
- 給料
- 休み
- 税金
- 取引先
- 成績
- 数字
- 後輩
- 家庭
- 明日の心配
毎日考えないように頑張ってはみるけど。思い出さないようにはしているけど。
どうやらどれも捨てられないらしい。
だから仕事に疲れる。
そしてそのまま続けようものなら、どんどん捨てられないものが増えていく。
そしてどんどん仕事に疲れる。
なかなか出来ないけど単純に、
「どれも捨てられないと思っているものは本当に必要なのか」考えたことありますか。
例えば人間関係。
仕事の中で嫌われてはいけない人がいる。嫌われると今後厄介な存在になる人がいる。その人に嫌われない為にはその人の周りにいる人にすら愛想を振りまかなくてはいけない。誘いは断れない。プライベートでも付き合っていかなくては。電話には絶対に出ないといけない。
比重が大きすぎやしませんか。
今仕事に疲れているなら「仕事の疲れを取る」という比重を大きくしましょうよ。でも他の比重が大きすぎて出来ないんだ。
そんなの贅沢だ。あれもこれもメインディッシュ。重い。もう胸やけっす。食えないっす。限度があるっす。
人には限度がある。これ以上は無理なの。
だから「選択」しよう。頭の中の断捨離です。
バランスを取る必要なんてない。
「仕事の疲れを取る」を取り入れた分何かを捨てれば解決。
全部捨てろ!なんて言わない。
何を捨てましょうか。どれにします?それとも大切なこと全部の中から少しずつ比重を変えましょうか。
「仕事に疲れた」はあなたがMAX頑張っていっぱいになって溢れそうな状態。
それなのに中身を減らさないで器を大きくしようとする。
それじゃあ「仕事に疲れた」を入れたら溢れ出して崩壊。あなたの器は誰も図れない。自分でも図れない。どんな形をしていてどのくらいの量が入るのかわからない。
でも、「仕事に疲れている」ならもう溢れ出しそうっていうサインが出ているじゃないか。
自分でも図れない器だから「仕事に疲れた」っていう感覚がいっぱいにしているって事に気が付かない。
「断捨離出来てるね!」それは褒め言葉。「整理整頓出来てるね!」っていうことじゃない。「いつもキレイにしてるね!」っていうことでもない。
「何が必要なのかはっきり決められるんだね!」
これが正解。
感情の断捨離だって必要。隙間を作っておかないといけない。
極端な話だけど芸能人でも断捨離をしてズボンはジーパン3着だけとか。モデルなのに。
家の全ての照明を捨てたとか。ほんとかよと。
さすがに極端ではあるけど本当に必要なものだけを残す。それ以外は全て捨てる。目にもつかないから気にならない。
なんとなく残しておこうとかそういう考えはいらない。
自分の頭の中で本当に必要なもの以外は捨てても構わないんじゃないだろうか。
それで「仕事の疲れを取る」を取り入れられる。
仕事の疲れの取り方は人それぞれだけど、旅行に行きたいなら休みとお金は無くなる。徹夜で覚えることがあるなら睡眠時間が無くなる。
本当は常に新しい何かをする時に犠牲になっているものがあるはず。無意識行動中に多くのヒントがあるはずなのに仕事の疲れになるとそれが上手に出来ない。
頭の中にあるものだから。目に見えないから。
でも捨てられる。
私ならまず最初に捨てるのは高いプライド。
「プライド」じゃなくて「高いプライド」。
これがすごく器を圧迫している。
- 人に出来ないと思われたくない
- なにかと見栄を張ってしまう
かっこつけたいのだよ。
でも気が付いた。
わたし?雑魚よ?ずっと?素人みたいなものよ?マイナス思考ですね。そうですか?違います。
失うものが減りました。
- 出来ないのが当然だから聞いたりお願いしたりが恥ずかしくない
- 常に低姿勢になるから基本的に嫌われることはない
そして一つだけ誓った。
それでも家族は絶対に幸せにする。
自分に必要なのは「家族を幸せにするもの」だけ。
それ以外ならいつでも捨てられる。家族の幸せを最優先にする。それにはまず自分を幸せにしてあげないといけない。
だって自分も家族だから。
そうなると「仕事に疲れた」があると自分は幸せを感じない。
だから「仕事の疲れを取る」を取り入れる。
そのために必要なら仕事だって変える。転職に資格が必要なら取る。意地でも。だってそれが家族の幸せであって自分の幸せでもあるから。
これは私の場合ですけどね。出来てるのかはわからないですよ。最近の話ですから。出来てるとは思ってるよ!なにー!
・・・。
考えの断捨離というか、一度整理整頓の時間が必要。
自分にとって人との関わりが幸せなら「人間関係」を大切にすればいい。
お金を持つことが幸せならその為に出来ることを大切にすればいい。
でもそれ以外は捨ててもいいんじゃないだろうか。
それでも全部捨てられないなら比重を変えればいいんじゃないだろうか。
「全部完璧にやる!」それが出来れば「仕事に疲れる」なんて起きないんじゃ。
だから捨てるのじゃ。いらんもんはいらん。と自分で決めるんじゃ。
あなた自身が幸せを感じられないのに人を幸せにすることなんて出来ないよ。
優先すべきは自分の幸せ。とことん自分を可愛がってやれ!でも甘えるな!常識あってこそ!
でも例外もある。
人の幸せが自分の幸せと感じる場合。
愛に溢れてるとか神だとか。そういうことではなくて。
例えば、
「一緒にいる友達が暗いとなんか自分も暗くなるし出来れば自然に話したいしそういう空気感はストレスを感じるから何とか変えたい。」
こんな時、相手を少しでも励ましたり元気にしてあげなくちゃって思いませんか。自分の為にも。
思わないならそのままでいいんですけどね。私は思うタイプ。別に善人ぶってないです。自分がその方が楽しいからだけです。本当です。
と、自分が幸せだと思う選択だけをする。そうするとだんだん頭の中が断捨離されていく。
決してその他がどうでもいいわけじゃないです。適当になるわけでもない。
ただ比重を軽くする。まずは自分の幸せの為に。
「いつも仕事に疲れてぇー!」「仕事の疲れが心地いいぃー」っていう人であればそれがその人の幸せなので。放置です。
こんな感じで頭の中でモニョモニョと考えていて「高いプライドいらん」となったわけです。
少し前までは出来ないことや知らないことも
- 出来る風に話す
- 知ってる風に話す
かっこつけたがる自分。
最近では、
- ちょっとそれはやったことないので出来ないかもですね。とにかくやってみましょうか。
- 聞いたこともないんですけど流行ってる感じですかね。というか教えてください。
と正直に言える。
そうするといつも頭の中がすっきりするようになった。
「仕事に疲れる」という現象。
実は「完璧主義者」や「潔癖症」の人に多いんです。
聞いただけでちょっと納得出来ます。
良い意味での適当が出来ない。
適当っていう言葉は一応「適している」と「当たっている」って書きますからね。
「テキトー」じゃないですからね。間違ってはいないっていうこと。
「おさぼり言葉」なイメージがありますけどここでいう「適当」はそういう意味じゃないです。
なんでも完璧にやらないと気が済まないような人は「完璧にこなすこと」が自分の幸せだと感じてしまう。
これはすごく厄介。
自分の器からこぼれている出来ないことがどうしても認められない。
でも高いプライドを捨てれば「すいません。今の僕には無理です。まじで。」となる。
完璧主義だとどうしても完璧にこなさないといけない。そしたら、こうしよう。
完璧に出来ないことを完璧に伝える。
ちょっとふざけてる感じに聞こえますけどね。これも適当なんです。
むしろそれで期待されないようになった方がうま味があるんです。
だっていつも出来る人がやっても誰も褒めないくせに、
「出来ない人がやったらみんな驚いて急に評価が10倍くらい跳ね上がる」
でしょ。
だから期待されていない人の方が結果的に得をしたりする。
でも完璧になんでも出来る人の方が頼りになるのは間違いないんですけどね。それが出来てりゃ仕事に疲れないですよ。
出来ないからこっちは悩んでるんだよ。
でも高いプライド。
いらないかもしれない。
そう思います。
「私は家族は命を懸けても守るし幸せにする。絶対にそうする!」
「だから他に出来ないことがあっても許してね。」
そういうことなんだ。
むしろこれがプライドなんだと。
仕事に疲れたらちょっと考えてみよう。
「仕事の疲れを取る」という新しいものを自分の中に入れる。その為に捨てられるその他のこと。
高い高い高いプライドはゴミ箱にポイ。
どうか感想をください。