キラキラネームは新しい価値を提供してくれたのだと思う

小言

キラキラネームというネーミングを付けて人の名前をカテゴリー分けするのがそんなに楽しいか。

明らかにふざけて付けた名前なら即刻やめるべきだが一生懸命考えて「これがいい!」と考えた名前にキラキラもシワシワもないだろう。

名付けた側がどこまで考えているかどうかの差しかない。

名前で人の運命が本当に全て決まるのだろうか。

「おかしな名前だね」と自分の感覚が正しい事に安堵したいのか。

他人と違う名前にしたかったのに他人と違うと笑われるのか。

本当にそうだろうか。

自分以外の名前にそもそもそんなに興味を持つものだろうか。

本当は興味なんて無いはず。

自分の子供への興味以外そんなに気にしていないはず。

それがユニークな名前だからとまるで興味があるかのように「自分なら付けないなぁ」と評価をするのがよっぽど楽しいのだろう。

問題はユニークな名前が存在している事ではない。

他人の名前に対して反応し過ぎな部分があることだ。

名前がユニークなだけで人間性まで疑われている。

それはちょっと違う。

それと「ユニークだね!」と言われた方も言われた方だ。

「ユニークだね!」と言われて「そう?どこが?」とかいう返答が来るとちょっとおかしいと思う。

ユニークである事すら否定するような感じだとちょっと違う。

どうせ返答するなら「ユニークだけど気に入っている」とかそういう感じになるはずだ。

自分の名前がユニークである自覚がないのはちょっと変。

周りと比べても明らかに自分だけが違う感覚すらないのだ。

それはちょっと違うと思う。

周囲と何かを比べるのは当然の事なのだ。

「他人と比べて自分はユニークな名前だ。」という感覚は持っていた方が良いと思う。

それを「自分は他人とは比べない。特別な存在だ!」と言わんばかりの返答が来るとちょっとがっかりする。

一生一人で生きていきたいのならわかるが、今の社会ではそうもいかないだろう。

人は一人では生きられないのだ。

将来何をやりたいのかは自分で決めることだとは思う。

でも将来何をするにも一人で全ては完結しない。

需要と供給があってこそ。

他人と比べる必要が無い場所でも探す気だろうか。

それなら即刻そうしてほしいものである。

でもそれが出来ないにも関わらず「自分は他人と比べるのは好きじゃない。自分は自分。特別な存在だ!」と言われても困るのだ。

協調性のかけらもない。

そうなるとユニークな名前の人は「協調性もない」というイメージになるだろう。

それでもまだ「自分には協調性がある!」と主張するのであればまず自分の名前がユニークであることを認めないといけない。

それが協調である。

認めた上で好きになればいい。

認めた上で名前なんて関係ない事を証明すればいい。

それを証明する前から否定を続けることは出来ない。

結果を出さなくてはいけない。

それはキラキラでもシワシワでもそうでなくても同じなのだ。

結果を出してなんぼの世界で生きていくのだから名前なんて関係ない。

それを「キラキラネームだ!」と楽しんでいる側も同じ。

社会で生きていくならキラキラでもシワシワでもそうでなくても結果は出せる。

劣っているわけでも優れているわけでもない。

名前なのだ。

それを違う目線で「全て他人と違う」と決めつけているなら随分偉そうな人間だなと感じる。

キラキラでもシワシワでもそうでなくても同じ世界を生きているのに名前だけでその人の全てを測りたがるのはどうしてだろう。

対して他人の人生など考えていないはずだ。

そんなに心配しなくても他人は他人らしく、自分は自分らしく生きていく。

もしキラキラネームと呼ばれる名前の主が

「自分の名前をユニークだと噂したり話のネタにして誰かが幸せな時間を過ごせるならそれでいい。」

と考えているのならシワシワもそうではない名前の人も噂したり話のネタにした時間にありがたみを感じるべきだ。

キラキラネームと呼ばれる名前ではない人が、

「自分はユニークな名前ではない分、ユニークな名前を持っている人よりも頑張って結果を出そう。」

と考えているのならユニークな名前を持っている人は「ユニークな名前」以外に得も損もハンデもないことを感じるべきだ。

叩くなら「どうでもいいや!」と考えて名前を付けた親やその周囲の人間を叩け。

一生懸命考えて、考えて、我が子の誕生を心から喜んで付けた名前を叩くな。

それが確認出来もしないのに「キラキラネーム」の部分だけを周囲と違うからと言って叩くのは正解ではない。

キラキラネームではない名前を付けたら愛情の注ぎ方が変わるのだろうか。

問題は名前ではない。

全ての人がそうだと言っているわけではない。

でも、少なからずキラキラでもシワシワでもそうでなくてもそういう人がいる事に疑問を感じている。

その辺りがぐちゃぐちゃな意見で溢れている段階ですでに「名前なんて関係ない」状態になっていることに気が付かないといけない。

様々な意見があって当然だが「これだ!」という答えなんてないのに「キラキラネーム」という答えらしき答えを作ってしまったことが問題だ。

大五郎という名前の人がいて、その人がすごくちっさい事を言うなら

「小五郎じゃねーか!」とぶっこむだろう。

純愛(ぴゅあ)という名前の人がいて、その人が浮気をしたという話を持ち掛けたなら

「ピュアじゃねーじゃん!」とぶっこむだろう。

名前が増えたから突っ込むべき部分が増えただけのこと。

名前がそんなに重要なのだろうか。

むしろその人がこれからどんな事をして、何を目指すのかの方が重要だ。

大五郎が純愛を突っ込んでも、純愛が大五郎を突っ込んでも世の中は何も変わっていない。

別にいつもの風景。

キラキラだろうがそうじゃなかろうが突っ込める場所があれば突っ込まれるし突っ込むのだ。

これまでもそうやって生きてきたはず。

これからも一緒。

キラキラネームだろうがそうじゃなかろうが知った事ではない。

ユニークな名前は別に最近付けられているものではない。

今は「キラキラネーム」と名前を付けられているだけで昔からユニークな名前はあった。

同級生にもいる。

そして一度は必ずいじられるがすぐに馴染む。

むしろ名前がユニークだとすこし注目され、さらに本人の努力によってその注目度が増したりする。

単に本人の努力の結果なのだがその結果が少し大きく見えるのが羨ましかったりした。

逆に覚えられやすい場面もあるだろう。

そもそもキラキラネームという名付け方がダメなのだ。

別にキラキラしてないだろうに。

むしろそれ以外の名前がまるでキラキラしていないような感じがする。

それに相対するシワシワネームなるカテゴリーまで作ってるし。

「どっちがいい?」みたいな感じになるのを楽しんでいるのだろうか。

結局「キラキラネーム」と名付けた人ってシワシワネームの持ち主なんだろうか。

現代社会の在り方に物申す評論家の類なのだろうか。

こうなってくると「自分の子供の名前はどうする?」といった話が盛り上がる瞬間がありそうだ。

その時間がドリンクバーが枯れるほど楽しいものになるかもしれない。

今実際にキラキラネームと呼ばれる人が身近にいるのならその心境やどう考えているのかも知れる。

それを聞いたらすごく素敵な名前だと感じて自分の子供に付けたいと思うかもしれない。

そう考えると確かにキラキラした時間を作っている。

なるほど。

そういうキラキラね。

キラキラネームはキラキラした時間を人々に提供してくれる新しい価値だと思う。

噂する時間、名前に対する考え方。

キラキラネーム元年の皆さんがこれからどうなるのか。

すごく価値が高いものじゃないかと思う。

だって知りたいもん。