自分が「幸せ」を感じている時に限って不満は出てこない。
幸せの定義はわからない。
個人差があり過ぎてなんとも言えない。
だから一般的に見て「悪い事」にも幸せを感じる人がいる。
結局自分がやりたいようにやって、結果を出せれば誰にも文句は言わなかったりする。
その「やりたいこと」が常識外れだとして、人に迷惑をかけてしまう事であれば話は別だけど。
静かに暮らしたい民族がいて。
侵略を繰り返す民族もいる。
奪う事で生きる人達がいれば、
作り出すことで生きる人達もいる。
どちらが幸せかなんていうのはわからない。
結局その人が決めること。
でも私は争う事も奪う事も嫌い。
好きではないことに従うような我慢強さは持っていない。
だから逃げる。
逃げる方がハッピーだから。
「私は奪わないから私から奪わないでくれ!」
と言ったところで相手が「奪う」に幸せを感じているのなら止めようがない。
相手にとっては「奪う」が幸せだから。
それなら私は逃げる。
奪われたくないし、奪いたくないから。
逃げ続けるのだと思う。
誰かの幸せの定義を考えてもわからないし理解出来ないだろうから逃げる。
逃げて逃げて逃げ続けたら、
きっと自分と同じような感覚を持っている人に出会うんじゃないかと思う。
例えそれが少数派だとしても、逃げる先はきっと同じなんだと信じている。
逃げて逃げて逃げて幸せを掴み取る選択肢があっても良いはず。
私はこれから先も「奪う」選択はしない。
誰かが奪いに来たら奪われないように戦うのではなく、
めちゃくちゃ逃げようと思っている。
逃げ続ければいつか、「奪う」選択が無い場所に行けると思っている。
逃げてなにが悪い。
正解。
世界には様々な考え方を持った国があって、国民がいる。
それを文化の違いと言ってお互いを深く理解するきっかけのような感じにしておいて、自らの国民性を一番良しとする。
結局その方が居心地が良いから。
その文化に意義を唱える人がいたりする。
「間違っている!」
「変えるべきだ!」
真っ向から「戦う」を選択する。
そしてその人達から見て暮らしやすい場所を作る。
逆に意義を申し立てられて、泣く泣く飲んだ条件に対してまだ現状を飲み込み切れない人もいる。
勝者か敗者かわからないけど、
そういう対極の意見が生まれたりする。
私はそういう争いに生きがいを感じない。
自由も感じないし居心地の良さも感じない。
そういう人達はそういう事をするのが好きなのかと言われればそうではないかもしれない。
もしかしたら「正義感」のみで、誰かの想いを背負って意義を唱えているのかもしれない。
守る為に戦う選択をしているのかもしれない。
結局正解なんていうのはその人が感じる「幸せ」が根源で、
「こうしたい!」っていう想いを実現する為に行動しているんじゃないだろうか。
だとしたら、私は争うことも得意ではないし、意義を申し立てるのも好きではない。
ぶつかり合いが生まれない場所で、意義を唱える必要もない生活がしたい。
そんな場所があるのかどうかわからない。
もしかしたらすでにあって、知らないだけなのかもしれない。
平和の定義もわからない。
でもじっと「奪われるのを待つ」のも違うし、「奪われないように守る」のも違う。
自分には合わない。
だとしたらやっぱり逃げるしかない。
逃げるのが一番自分がハッピーになれる方法だと思っている。
誰もが「自分がそうしたいから」という幸せに対しての衝動で生きているのだから結局同じ。
自分の幸せを最も優先して何が悪い。
その場にいるだけで「奪ったり奪われたりする」のだから逃げるに決まってる。
勝ち負けじゃない。
勝ったり負けたりにこだわると、たまに自分を見失う。
戦う意味を考えたりしてしまう。
勝つとどんなことが待っていて、負けるとどんなことが待っているか。
勝たなきゃ意味が無い。
とまで思う瞬間が生まれたりする。
勝利への執念。
それが必要な場面とそうではない場面がある。
そもそも私は勝敗に関わらず自分が幸せな方向へ進みたい。
自分が幸せになる為に勝敗を決めなければならないならそうする。
それだけ。
スポーツ選手が勝ちにこだわるのは勝った方が自分の幸せになるから。
勝敗にこだわり過ぎて、意味のない争いをして、それに勝利することが幸せだと感じてしまう事がある。
単純に勝ちたい!
みたいな気持ちになったりする。
「勝負事は全て勝つべきだ!」
って頭になったりする。
それが男らしいとか、勝負師の魂だとか言う。
結局自分の幸せの為にそうしているだけであって、それを説教みたいに話されるとさすがに「違う」と感じる。
どんなことが男らしくて、どんなことが勝負師として正しいのかなんて興味はない。
それを全て無視したとしても「今幸せを感じている人」が圧倒的にお得だし、羨ましいと思う。
空気を読まないわけじゃないけど、
何かにすがって、「周りがそうしているから自分も」と追い込んで、幸せを感じられるだろうか。
それが自分の幸せならいいけど、私はそうじゃない。
無駄な戦いはしないし、そんな事をしている時間があるのなら自分の幸せの為にせっせと何かをする。
勝ち負けなんてどうでもいい。
自分が幸せになる為の選択を1秒先からしていきたい。
それを逃げていると言うならそれでいい。
それすらも気にしない。
幸せになる以外に自分を解放する方法を私は知らない。
逃げるも戦うも勝ちも負けも自分の未来の幸せの為に選択したい。
「それ以外は全部いらない」とまで思っている。
恐らく逃げているわけじゃない。
戦いもせず、意義を申し立てるわけでもなく、その場を去る。
一見逃げているように見えるかもしれない。
多くの人が私に対して「逃げている」と言うかもしれない。
でもそれは違うと思う。
「単純に関わりたくない。」
と考えているだけ。
それはめんどくさい人間関係もそうだし、そこから生まれる様々な「しがらみ」もそう。
今の自分には必要ないと思っているだけ。
だからその場を去る。
戦おうともしない。
意義を申し立てることもない。
それが今の自分にとって最良の選択だと感じたから。
出来るなら出来るだけ自分が好きなことに時間を使いたい。
興味が無い人間関係や「しがらみ」に捉われてそれが出来ない状態が続くのは自分のやりたい事を無視しているのと同じ。
ストレスが溜まるに決まっている。
それを敢えて巻き込まれてみて、問題を解決するのも将来自分の為になるかもしれない。
トラブルを解決するスキルは上がるかもしれない。
でも、そのスキルは自分が望んで手に入れたものじゃない。
だから私には必要ない。
あれこれ腕を磨いている時間はない。
私は自分が幸せになる為に戦いたいわけで、誰かの幸せの為に面倒に巻き込まれるのを望んでいるわけじゃない。
たとえそれがどんなに世の中で「良い事」とされていても、
私には興味が無い。
もし自分が幸せを感じる生活を手に入れているのなら話は別。
誰よりも幸せを感じているのなら、誰かの幸せの為に協力することを選ぶのも良い。
でも今はそうじゃない。
だから自分の幸せの為に選択したい。
わがままだと言われるかもしれない。
そういった人間関係や「しがらみ」を我慢してこそ人として進化すると言われるかもしれない。
でも、全然ときめかない。
私は誰かが「良し」とする基準を守って、自分の人生の幸せを我慢するのは耐えられない。
誰がなんと言おうと戦わない。
時間が無駄だと感じてしまう。
学校や職場での人間関係もそう。
勉強や仕事もそう。
自分に必要なものだけをチョイスして、それに向かって頑張りたいだけ。
それを邪魔するようなものが目の前に立ち塞がるようなら、背を向けて無視をする。
逃げているのかもしれないけど逃げてない。
自分の幸せからは逃げてない。
むしろ勇敢に自分の幸せを掴みに行っている。
誰かが「正しい」としたことに意義を唱えるのが自分の幸せならそうすればいい。
誰かから「指示」されたことが自分にとってプラスになるのならそうすればいい。
無駄な時間を作りたくない。
戦おうが逃げようが、関心があろうがなかろうが、
自分が幸せになることが最優先で何が悪い。
どうか感想をください。