誰かに傷つくような事を言われる。
物理的にじゃなくて、精神的に傷つくと、自分を防衛しようとして反射的に様々な反応をしたりする。
考え込んだり、苦手意識を持ったり、自分の事が嫌いになったり、相手を嫌いになったり、怒りに変わったり、不安になったり。
一度でもそういった事を経験すると、人間関係を築くのに抵抗を感じるようになる。
私は多くの傷を今でも持っている。
癒えていない傷がいくつもある。
でも、これからも生きていく。
だから、出来るなら、「傷つかない方法」を知っている方がお得だと思うんです。
改めて、傷つかない方法について、真剣に考えてみました。
今まさに「傷つかない方法」を探している人に伝えたい。
「傷つく」を理解する。
「傷つく」ってなんだろう。
言われた事が無い事。された事が無い事。思いもよらない質問や答え。思いもよらない結果。未経験の何か。想像以上の何か。知らなかった事。
それが「傷つくかどうか」には個人差があって、人によっては傷つかないことがあったり、逆に自分は傷つかなくても誰かが傷ついたりする。
知らない間に誰かを傷つけている可能性だってある。
たぶん、「自分が傷つく何か」は世の中にたくさんあって、自分がそれと偶然遭遇した時に傷つくんだと思う。
あまり傷つかない人と傷つきやすい人がいたりするのは、きっと自分が傷つく何かに遭遇するかしないかの差でしかないように感じるんです。
私にはまだまだ知らない事がたくさんあります。
だから、その分だけ傷つく可能性もあるって事だと思っている。
誰だって望んだ通りに全てが進めば傷つかない。
だけど知らない分だけ思い通りに進まない事がある。
その度に人は傷つくのかもしれない。
全ての物事に対して、常に自分が望んだ通りにならないのなら、傷つく前に「傷つかない方法を見つける」のはそもそも無理なのかもしれない。
この世が自分一人の世界ではないのだから、「傷つく」は誰にでも普通に起こり得る事で、今日もどこかで、今日も誰かが、今日も何かで、傷ついているんだと思う。
「傷つく」はその時「傷ついた人」にとって、「自然災害のように」前触れもなくやってくるものだと私は考えている。
「傷つく」を一旦受け入れる。
何の前触れもなく「傷つく」がやってくると想定するするなら、いくら準備をしていても、想像を超えるダメージに出会った時、間違いなく傷つく。
傷ついた時、次に傷つかないように更に準備をする。
まるで自然災害のように突然襲って来る様々なダメージを想定して準備をしておくには、「傷つく」をある程度受け入れる姿勢も必要なんじゃないだろうか。
受け入れるというのは「一度は必ず傷つくだろう」っていう予想をする事。
たぶん、「傷つくことなんて在り得ない」と思っていると、自然災害のように突然やってくるダメージに反射的に人との関わりを拒絶してしまう可能性もある。
「傷つく」を拒絶すると起こり得るのは、「人間関係を断つ選択」や人「間関係を作らない選択」です。
「傷つく」を受け入れられないと、それを人間関係を遮断する選択をしてしまうかもしれない。
全ての選択が「傷つかないように」を基準にしてしまいそうになる。
チャレンジに対する意欲が削がれる。
一度傷ついて、何かしらの対策をしたとしても、可能性として前もって準備をしていたとしても、「傷つく」は自然災害のようなものです。
想像を超えるダメージが突然襲いかかってくるかもしれない。
それでも私達は人と繋がり、社会と繋がり、生きていかなくてはいけない。
だからどこかで「傷つく可能性が常にある」と思わなくてはいけないし、それを受け入れる覚悟も必要になる。
その理由は、自分が「一生傷つかない可能性の方が圧倒的に低い」からです。
一度も傷つかないで生きていく方がよっぽど難しいのです。
だとしたら、「いつでも傷つく可能性がある」と一旦受け入れる必要がある。
ある程度の対策や準備をしておいても、それを超えるダメージを受ける可能性があると思っていなくてはいけない。
「傷つく」を一旦受け入れる。
次のステップに進む為にも「受け入れる」が必要になると考えています。
「傷つく」を味方にする。
結局傷つく可能性がいつもあるのなら、ある程度受け入れる覚悟が必要になる。
「受け入れる」が出来れば「傷つく」が味方になる可能性もある。
「傷つく」だけが対象ではないが、常に拒絶している状態では味方になる可能性も無い。
でも受け入れることで傷ついた理由を理解したり、自分の中で気になる部分を改善したりが出来るようになる。
次に同じようなダメージを受けても対処出来る可能性だってある。
「絶対に傷つかない」と決めてしまえば鎖国状態になり、学ぶ機会や成長する機会も見逃してしまう。
だからこそ一度受け入れて、味方にしてしまう方がお得だと私は考えている。
この状態になるには「全く傷つかない」を諦める必要があるけど、生きていれば他人との繋がりと社会との繋がりがあるので「全く傷つかない可能性の方が低い」んです。
だとしたら一度受け入れて、受け入れることで可能になる「味方にする」という選択肢を持つ。
「あの時傷ついた経験」を味方に出来れば、「受け入れて良かった」と思える瞬間だってある。
「あの時傷つかなければ味方につけることは出来なかったな」って「傷つく」を「恩恵」として考えられるかもしれない。
「傷つく」を時間をかけてでも味方にしたい。
「傷つく」を力にする。
例えば大きく傷ついた時。
それを受け入れるのに時間がかかったり、なかなか立ち直れなかったりする。
今も心の傷としてしっかり残っているパターンもある。
だけど大きく傷ついたからこそ、小さな傷が「大したことないや」と思える瞬間だってある。
その時に、「まだあの時の傷が癒えたわけではない」けど、「このくらいなら大丈夫」って思える。
それって、時間はかかるけど「傷ついた」経験を少しずつ受け入れ始めている証拠なんじゃないだろうか。
その経験を味方にし始めたから「このくらい大丈夫だ」と思えるんです。
大きく傷ついたんだから、その傷が全て癒えるまでに時間がかかるのは当然。
少しずつ癒えていく中で部分的にでも受け入れ、味方にしていく。
気が付くと力になっているはずなんです。
その力こそ「傷つかない方法」だと私は思っています。
大きく傷ついて、少しずつ受け入れて、それを味方にしていく。
だからこそ次の小さなダメージを簡単に跳ね返せるようになる。
それが「傷つく」を力にするってことだと思う。
そしてその力を持つことこそが「傷つかない方法」なんだと私は思っている。
大きく傷つけられて、傷が深くて、まだ全てを受け入れられていなくても、その力は発動する。
それは私の中にまだあの頃の傷が残っているのに、誰かの傷に対して、「そのくらいなら大丈夫だよ」って思えたからわかるんです。
少しずつでも大きな傷を受け入れて、それを味方につける。
いづれ力になって多くのダメージを跳ね返せるようになる。
世の中の全ての「傷つく」を跳ね返すことは出来ないかもしれないけど、大きな傷を負って、それを乗り越えてきた人がいます。
時間をかけて、傷を回復してきた人がたくさんいます。
「傷つかない方法」は自分が「傷ついた先」にあるんだと思います。
誰だって傷つくのは怖い。
誰だって傷つきたくない。
だけど傷ついて、それを乗り越えた人じゃないと「傷つかない方法」を知らないんです。
私は今後、「傷つかない方法」をどこまで成長させられるだろうか。
傷つくのは今だって怖い。
だから過去の傷を忘れない。
味方にする。
力にする。
そうやって乗り越えていく方法しかわからない。
どうか感想をください。