不安なのか、寂しいのか、よくわからない感覚になる時がある。
体のど真ん中にぽっかりと穴が空いてるようで、スースーする。
自分以外の誰かがそのぽっかり穴を埋めてくれるのか。
何かをする事で埋まるのか。
さてさて。
世界はその寂しさの原因を2択だと捉えてる。
その2つは「愛と金」。
つまり、愛が無ければ寂しさを感じるし、お金が無ければ寂しさを感じる。
両方ともドロドロの人間関係を作るのに最適なツールのくせして、無ければ寂しさを感じるようになってる。
でも、生きていればわかる。
絶対に手放せないのだ。
だからその2つが満たされていれば寂しくない。
不思議なもので、私達はこの2つのお陰で人生をヒッチャカメッチャカにされるわけだ。
最も感情が浮き彫りになる。
もし、今あなたが寂しさを感じているなら、恐らくこの2つのどちらかが満たされていない。
で、更にこの2つに支配されている状態だ。
寂しさの原因が愛と金だと言うなら認めてやる。
認めて、受け入れて、コントロールしてやるよ。
寂しい時の過ごし方でそれらの呪縛を超えてやる。
今回はその方法を考えたい。
寂しさを超えるには。
普段から抱える寂しさを何とかしたいなら、その要因と考えられている、最初に言った「愛と金」について考えなくてはいけない。
自分の置かれた状況を含めてね。
欲すればすぐに手に入るものでもないし。
ネットで調べれば「寂しい時の過ごし方」はたくさん出てくるけど、どれも「愛と金」を満たしてくれるものじゃない。
むしろ紛らわすような事ばっかり。
応急処置的な考え方が多いような気がするんです。
その場しのぎで寂しさを紛らわしたところで根本的に解決したわけじゃない。
「愛と金」が満たされないならきっとまた定期的に寂しさを感じるんだと思う。
私は、寂しさを超えたい。
だから寂しさを感じている時間にその要因である「愛と金」について深く考えたいのだ。
寂しさを感じるのは自分です。
だから私の中では「愛と金」対「自分」になる。
超えたいんだよ。
寂しさを超えるってのは「愛と金」を超えるって事。
手にした事がないのに「超える」って表現は変かもしれないけど、通り抜けると言うか、向こう側に行くと言うか…。
ざっくり言うなら「寂しさを感じるまでもない」って思いたいのです。
その状態を私の中では「超える」と表現したい。
せっかく湧いてきた「寂しさ」って感覚を利用して愛と金の性質を紐解いてやろうと思っている。
私は誰かに命令されるのが嫌いです。
愛と金に支配されるのはもっと嫌いだ。
だから結果的に超えたいのです。
愛は今すぐ手に入らない。
愛を感じる時ってどんな時?
人間関係か。
家族、友達、恋人。
だとすれば、速攻で感じられるようなものじゃない。
家族も友達も恋人もその他の人間関係も、同じ時間を過ごしたり、同じ目標を共有したりする中で愛を感じるものだと思っている。
与えたり奪ったりするものじゃないから、最終的に本人が感じ取る存在だ。
で、それが感じられないから寂しくなったりする。
じゃあ「どうして感じられないの?」って話だ。
そもそも愛を感じるには時間がかかる。
初対面の人からいきなり愛を感じる事なんかない。
人によってはビビッと感じるものがあるのかもしれないけど、私にはない。
そんな事は絶対にない。
親から愛を感じるのは多くの時間を共に過ごしてきたからだ。
友達から愛を感じるのは多くの時間を共に過ごしてきたからだ。
恋人から愛を感じるのは多くの時間を共に過ごしてきたからだ。
共に過ごす時間があるからこそ愛を感じるんだと私は思っている。
「大切にしたい」と思い続けながら共に過ごす時間の中で感じるもの。
だとしたら、今すぐに満たせるか?
ガソリンスタンドで給油するように、簡単に愛のタンクを満タンには出来ないのだ。
出来ない事をやろうとして寂しさを感じているんじゃないか?
そう思うと、なんか、虚しくなるけどね。
ただ、今すぐに寂しさを満たせないのは明らかだ。
だったらこれから先、愛のタンクを満たせるように日々を過ごしていかなければならない。
よく考えたら世の中寂しい奴ばっかだ。
だから毎日それを満たしたくて頑張ってるのかもしれない。
寂しさを満たせないんじゃない。
今はまだその時じゃないだけ、いつか満たせるように日々を生きれば必ず満タンになる日が来る。
寂しい時だからこそ、満タンになる日に向かって様々な人間関係を築いていく必要がある。
今は寂しい。
実はそれ、当たり前なのかもしれない。
金は今すぐ手に入らない。
金も愛と一緒だ。
宝くじにでも当たらない限り突然満たされるようなことはない。
日々の積み重ねによって手に入れられるものの一つだ。
金が満たされないから日々を頑張っている。
財布の中がすっからかんならそりゃ寂しいよ。
でも今すぐに満タンにする事は出来ない。
だから時間がかかる。
宝くじだって買わなきゃ当たらないし。
ところが時間がかかると理解して、満タンになる日の為に毎日を積み重ねていく事は出来る。
諦めるような事じゃない。
これまで多くの人が財布が満タンになるような成り上がりをして今日の社会が作られている。
財布の中が寂しいからこそ、未来の満タンに向かって頑張るしかない。
寂しくてしょぼくれていても、どうせ頑張る事でしか得られない金なら、しょぼくれている時間も「何が出来るか」を考えた方がポジティブな気持ちになれる。
誰もがそう。
もし大金持ちの家に生まれて、いつも満タンの財布を手に入れたとしても、きっとどこか満たされない。
代わりに愛が足りなくなっちゃうかもしれない。
「愛がなくて寂しい…」
とすれば、やっぱり寂しさを埋めるには必ず時間が必要なんだと思うのです。
それらは「寂しさを感じたところで」手に入らない。
寂しさを握り締めながら立ち上がって、日々に挑戦しなくちゃ。
「寂しさを埋める毎日」って言葉の響きには「どん底感」があるけど、実はその中身ってキラキラで溢れてるんだよ。
いずれ埋められるんだからさ。
寂しさはすぐに消せる。
愛も金も、寂しさを満たすのに必要なんだけど、今すぐには手に入らない。
でもそんなに悲観的になるようなものでもない。
日々を過ごすパワーになるからね。
ぽっかり空いた寂し気持ちを満たすのには時間が掛かるんだからしょうがないじゃないか。
頑張るしかないのだ。
一周回って結局「今日も頑張るかぁ!」に戻ってくる。
ただ闇雲に寂しさと戦いながら頑張ってた毎日にも実はちゃんとした理由があったんだと知る。
「寂しさは埋められる」
愛も金も、時間は掛かるが、手に入れられないものではない。
そこら辺には落っこちてないし、誰かから簡単に貰えるものじゃないから、自分で手に入れるしかないけどね。
だからみんな寂しいのだ。
どうせ頑張らなきゃ寂しさは埋められないんでしょ?
だったら頑張ってやるよ。
いや、むしろ気にするべき感情じゃないのかもしれない。
だって、この先手に入れられる可能性があるんだから。
今の寂しさなんて、全部が未来の幸せに繋がってる。
受け入れてやろう。
で、消化してやろう。
んで、エネルギーにしてやるよ。
寂しさを燃やして今日も生きるのだ。
で、全ての寂しさが消えた時、私は幸せを感じているのかもしれない。
次はその幸せが消えないように頑張れるかもしれないぞ。
未来を寂しくないものにしよう。
今感じている寂しさは、未来の自分が寂しくないようにする為の感情なんよ。
「この寂しさをなんとかしたい!」ってのは悪い感情なんかじゃない。
むしろそれを栄養にして、未来で大きな愛や金を手に入れられるかもしれないんだから。
ありがたい感情だと私は思っている。
寂しさを満たす未来は人それぞれが目指す夢や目標があるから、「寂しい時の過ごし方」に正解はないけど、せっかくの「寂しい」って感情なら、そいつをエネルギーにしちゃおうぜ。
それは「寂しくない未来の為に今出来る事」の原動力になる。
寂しさなんて飼いならせ。
今を生きる力にしよう。
都合よく時間だけは平等なんだよね。
愛と金を満たすには時間が必要。
その平等な時間を最も効率良く使えるのが「寂しさを感じている人」なんじゃないだろうか?
だって、なんとかしたいじゃん。
ずっと寂しいなんて嫌だ。
寂しいからこそ頑張れる時間があるんよ。
寂しくて何も手につかない?
それなら未来も寂しいよ?
今は寂しくても、未来でその寂しさを埋めたいなら、どうするべき?
やっぱり大事なのは今だろ。
今頑張って、今踏ん張って、未来を愛と金で埋め尽くそうぜ!
どうか感想をください。