最も時間を有効に使う者は最も早く目標へ辿り着く

生活

私は普段から時間の使い方がすごく大切だと思っている。

時間の使い方一つで「イライラ」したり「満足」したりする。

人生は長いようで短いかもしれない。

ただ、時間は平等。

今を過ごしているこの時間は全てに対して平等。

 

平等なのに自分だけが損をしているような感覚になればイライラする。

逆に充実した時間を過ごせれば満足する。

 

せっかく平等なんだから贅沢に使おうが誰かに合わせようが構わないが、

私は損をしているような感覚になるのが嫌。

 

平等だからこそ、それが納得出来ない。

 

自分が納得のいく時間の使い方が出来なければイライラを誘発する。

ストレスも溜まる。

 

そんなことになってしまう自分も大嫌い。

 

だから時間はすごく有効に使いたい。

緻密な計画を練るわけではないが、「納得」いかない時間を過ごすのだけは嫌。

納得いかない時間が少しでもあればイライラする。

イライラして二度とこんな時間は過ごしたくないと思う。

 

別に誰かに合わせたとしても、結果的に自分にとって良い方向へ物事が進むのなら問題ない。

 

問題は無駄だと気が付いているのに「無駄」にしてしまったこと。

 

自分の中で「この時間は無駄だ。」と思いたくない。

そう思わないような行動をしていかないといけない。

そうじゃないと納得がいかない。

 

無駄な時間を極力無くしていく。

余った時間で出来る事が、積もりに積もって、大きな功績を掴むきっかけになるかもしれない。

 

常に平等な時間だからこそ無駄に費やしていないか。

 

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時間の使い方を考える。

無駄だと思う時間。

「無駄だ!」と感じる時間には個人差がある。

だから一概に「これ!」っていうのはわからない。

でも自分の中で間違いなく「無駄だな」と思う時間はある。

 

無駄な時間の考え方は、「自分のテンションが下がる時間」だと思っている。

 

自分のテンションが下がる時間の意味。

叱られたり、失敗したり、反省したりする時間は間違いなく必要。

単純に自分の為になる。

経験になる。

無駄じゃない。

 

そういう意味じゃなくて、単純にテンションが下がる時間。

 

これは必要だろうか。

こんな時間を過ごすのであればせめて自分が好きな事に費やしたいと思う。

 

私の場合は「誰かに誘われるがままに付いて行った」行列が出来る店。

対して興味が無いのにも関わらず、その行列に並ぶ。

その時間。

今はスマホがある。

だから行列に対して少しは自分の気持ちを紛らわす術もあるかもしれない。

 

でも、無駄だと思ってしまう。

 

それなら家のベッドで目を閉じて、今後の展望でも考えたい。

ただ並ぶにしても「その人と一緒にいたい」とかならまだ良い。

一緒にいることに幸せを感じるのなら良いと思う。

でもそうではなく、

単純に興味が無いお店に並ぶ時間。

 

これは間違いなく無駄。

 

個人的には無駄だと感じてしまう。

 

自分にとってなんの利益も生まない時間。

 

はっきり言って無駄だと思う。

 

もし、毎日そういった時間を費やしているのなら考えてみた方がいい。

 

あなたの時間は全世界の全てのものに対して平等なのに損をしていると思う。

 

…。

 

平等じゃなくなっている。

 

今何をすべきか。

これだけ色々な興味が湧く世の中だと、やりたいことが山積みになったりする。

山積みになった「やりたいこと」の中で叶えられるものから優先的に叶えていく。

なぜかそうなる。

興味は歳を重ねるごとに変化して、その前の「やりたいこと」を忘れたり、置き去りにしたりする。

場合によってはさらに上に重なる。

「やりたいこと」で溢れる。

 

「やるべきこと」が埋もれる。

 

「やるべきこと」が「やりたいこと」だとしたら、それは天職みたいなもの。

最高の状態。

でも私はそうではない。

いくらか歳を重ねてはきたが、今だに天職がなんなのかわからない。

だから「やりたいこと」と「やるべきこと」は別に存在している。

時間が余った時。

私は「やるべきこと」ではなく、「やりたいこと」に時間を使う。

 

せっかく余裕のある時間を作り出せたのだから、

「やりたいことをやるでしょ!」と当たり前感でいっぱいになる。

 

私のやりたいことは、

趣味。

遊び。

ほとんどがそれ。

 

「やるべきこと」はわかっている。

 

家族があるから少しでも収入を増やしたり、家族の今後について考えることだと思っている。

それに伴って派生していくものこそ、「やるべきこと」だと思っている。

 

余った時間でそれが出来れば「やるべきこと」は山積みにはならない。

それなのに「やりたいこと」ばかりを消化して、「やるべきこと」を後回しにする。

後々やらなくてはいけなかったり、考えなくてはいけないのに。

 

たぶんずっとそうだったんだと思う。

 

子供の頃から「やるべきこと」をやってから、「やりたいこと」をしよう。

そう言われてきた。

だけどまだそれが出来ていない。

だから本当に大事なことを見失う。

山積みになって忘れられてきた「やるべきこと」がたくさんある。

意図的に投げた「やるべきこと」がたくさんある。

 

いずれそれを掘り起こしてやるのに。

 

せっかくの余った時間。

「やりたいこと」を優先的にやると後々大変になりそうな気がする。

 

だから一回考えたい。

 

時間に余裕が出来た時。

速攻で「やりたいこと」に飛びつくのではなく、

今何をするのが今後自分の為になるのか。

 

それでも「やりたいこと」を選べるのならそれはそれで良い。

「やるべきこと」が一段落を迎えたか、私のように山積みにはなっていない証拠だと思う。

 

そういう人がうらやましい。

 

わがままを言うなら、「やるべきこと」が「やりたいこと」になって欲しい。

 

願うばかりでやらない毎日。

 

切り替え。

「やりたいこと」だけを選んでやっていると、現状が何も変わらないことに不安を覚えたりする。

私の中ではこの瞬間はチャンスだと思っている。

「やりたいこと」ばかりをやっていると、「やるべきこと」がどこに行ってしまったのか探し出す瞬間がある。

そして「やるべきこと」をやっていない現状に対して不安を感じる。

 

不安を感じると「やらねば!」という意識が働いたりする。

 

その瞬間に、「まだやりたいこともあるし…。」と思ってしまうと「やるべきこと」へ取り掛かるのに時間がかかってしまう。

もし現状に不安を感じて、「やるべきこと」を意識し始めたのなら飛びつくべき。

 

ずっと家にいるからこそ外に出る喜びを見出す。

ラプンツェル。

 

その時の力は普段何気なく「やるべきこと」へ向かうよりも強かったりする。

 

「やりたいこと」を少し抑え込んだとしても普段よりも遥かに「やるべきこと」がはかどったりする。

ふと感じた不安を放っておいてはいけない。

「やるべきこと」をしていない自分に不安を感じたならすぐに切り替えるべき。

「どっちにしようかな?」と考えている時間がもったいない。

 

将来への不安やそこから湧いて来るイライラは、自分が切り替えの時期に近づいている証拠。

間違いなくチャンスだと思うし、新たな挑戦を始める第一歩だと思っている。

 

人間なんて所詮感情に左右されるし、わがままだから言う事を聞きたくない場面もある。

 

誰かに言われたわけじゃなく、自分で、「今、将来が不安。なにかせねば。」と感じた瞬間は間違いなく「本物の自分の感情」であって、誰かに指示されたわけではない。

その時に一目散に動き出せる切り替えのスピードは、そこからの成長の速度と比例しているのだと私は思っている。

 

そもそも私は誰かに指示をされるのがすごく嫌い。

自分のペースで自分の思い通りに事が運ばれないとイラついたりする。

すごくわがままだしすごく傲慢。

 

だからこそ。

 

自分で自分の将来に不安を感じた時。

一直線で安心を掴みに行きたい。

 

「やりたいこと」を散々やればおのずと「やるべきこと」に気が付くのかもしれない。

 

「昔は○○だったなぁ。」

 

と、成功した自分がしみじみ口に出す風景を想像したい。

 

時間は平等。

最も有効に使う者が最も早く目標へ到達するはず。