人付き合いが疲れるならそれを切り捨てたくなる程の準備を

人間関係

自分がメインではなく人付き合いをメインで考えていると疲れる。

でもそうしないとうまく人付き合いが出来ない。

絶妙なバランスを保っているように思えるこのような行動。

実は余計に疲れる演出を自ら作り出しているかもしれない。

人付き合いで感じる疲れは運動の疲れとは異なり、睡眠だけでは回復しない事もある。

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人付き合いの疲れ。

人付き合いの疲れは肉体的なものと精神的なものがある。

肉体的な疲れであれば睡眠で十分に癒されるかもしれない。

しかし精神的な疲れは睡眠だけでは癒されない。

人付き合いですり減らした精神は一人だけの時間や好きな事をしている時間に癒される。

人付き合いとは真逆に位置している時間。

普段の人付き合いをどのように行っているか、または人付き合いとして行っていることの真逆。

気を使い過ぎて疲れているのであれば全く気を使わない時間で癒される。

気を使わない人付き合いも癒しの時間と言えるだろう。

その疲れを取らずに人付き合いを続けていけば体が慣れていくかもしれないが、すり減らした精神を癒す時間は必要。

体が慣れているとは言え精神にかかる負担は想像以上に大きい。

その状態では全てのものが手に着かない、または良いパフォーマンスを発揮できない。

これは体力がない状態で体力測定をするようなもの。

疲れ切ってから100メートル走のタイムを計るようなもの。

本来の力を発揮出来なくなってしまうなら精神の疲れも取り除くべき。

疲れる人付き合いの準備をする。

人付き合いには疲れるものと疲れないものがある。

人付き合い全てが疲れるものだと思ってはいけない。

慣れ親しんだ場所や慣れ親しんだ関係であれば人付き合いとしてあまり疲れを感じない。

もしそういった人付き合いの中で「疲れた」と感じているのであればおそらく肉体的な疲れだろう。

睡眠を取る事でその疲れは癒されるはずだ。

かと言って全ての人と慣れ親しんだ関係を築き上げることは出来ない。

疲れる人付き合いをしなければならない時がある。

誰しも社会の中で疲れる人付き合いを経験したことがあるはず。

それをいかに乗り越えるか、いかに疲れが溜まらないようにするかがカギ。

その為には精神をすり減らす前にまず人付き合いの疲れを癒す方法を考えておかなければいけない。

精神の疲れが溜まっている時はなにもする気が起きないもの。

疲れを癒す方法を考えるのも難しくなる。

思わぬ人付き合いで精神をすり減らしてしまった時の準備をしておこう。

人付き合いの疲れを癒す。

先述した通り、人付き合いの疲れを癒すのはほぼ真逆の位置にある時間。

その時間が趣味に明け暮れる時間なのか、カフェで読書をする時間なのか。

または気を使わない、なんでも話せる人と会うのか。

大好きな場所に行くのか、大好きな人に会うのか。

自分の中でその決まりを作っておくといい。

人付き合いで疲れた精神を休める場所。

または心が休まる相手。

そういったものをあらかじめ決めておく。

無理やりにでも決めておくことで休める場所を作っておく。

逃げ道を作るわけではないが、精神的にもそういった場所や物、そして人がいる方が安心出来る。

いつも心が安らぐところを作っておく。

心のよりどころが必要。

そしてそれがあるだけで少し人付き合いをする際の気持ちも楽になる。

気持ちが楽になればいつもよりも深い人付き合いが出来るかもしれない。

そしてその人付き合いがさらに安心出来る場所を運んで来てくれるかもしれない。

ひとつは必ず心が安らぐ場所を作っておこう。

どうしても必要な人付き合い。

社会との繋がりを持つ以上人付き合いが必要になる場面がある。

人付き合いをすべて無くすということは社会との繋がりを持たないに等しい。

社会との繋がりを持たなければ全ての情報が入って来ない。

地域の情報も入って来ない。

インターネットで情報を集めるにしても生活をする為のお金が必要。

人付き合いが苦手だとしても必要最低限の人付き合いは必ず必要になる。

極力減らす事は出来るかもしれないが、その線引きは難しい。

単純に人付き合いをするかしないか選ぶとすればであれば「する」方が自分の為になる事もある。

どうせなら人付き合いが出来た方がお得なのだ。

無理にする必要はないが、出来た方がお得である。

人付き合いをするかどうかの線引きをするのであれば自分が休まる場所や物、そして人がいる方がいい。

どうしても避けられない人付き合いがあるのだから。

その時の為に、一刻も早く安らげる何かを決めておくべき。

常に自分をフラットな状態に。

どうしても避けられない人付き合いの中で、相手のせいで精神を削り取られるような思いをする事もある。

いつもよりも疲れる相手が存在する。

自分にとって「この人と付き合うとすごく疲れる」と感じる相手だ。

一度そういう思いをすると次にまた同じ避けられない人付き合いが発生するとどうしても気分が乗らない

むしろ気分はマイナスからスタートしてしまう。

これでは更に精神を削り取られてしまう可能性がある。

せめて自分の気持ちはフラットな状態に戻したい。

そしてその状態で避けられない人付き合いに臨みたい。

それにもまた準備が必要。

疲れてしまうとわかっている人付き合いがあるのであれば、それを補うだけの時間などを必ず作る。

もう精神的に疲れるとわかっているのであれば必ず相応の癒しを準備しておく。

大袈裟に精神を削られると思っている方が癒しの準備も大袈裟になる。

これは大袈裟くらいの方がいい。

強制的な人付き合いの後に強制的に回復する時間を作っておく。

「乗り越えれば癒しの時間が待っている」

そう考えると気持ちをフラットに出来る。

ご褒美とまでは言わないが、体の疲れよりも精神的な疲れを先に取る事を優先するといい。

癒すことすら許されない人付き合いであればそんなものは必要ない。

自分から潔くバッサリ切り捨てるといいだろう。

人にはそれを行う権利がある。

自信を持って切り捨てるべき。

精神的な癒しの時間も作れない環境は見直す。

人付き合いで疲れ切った精神のまま走り続ける事は出来ない。

体力だけでは乗り切れない事がたくさんある。

それでも立ち向かおうとしてしまう人もいる。

精神的なダメージを負ったまま「責任感」に背中を押され頑張ってしまう。

無理をして人付き合いを続けてしまうのだ。

もちろん責任感があることは良い事。

称えられるべきことだろう。

しかし自分の体や精神は自分で守るという「責任」を果たせていない。

それほど頑張って精神をすり減らし、「まだ大丈夫だ」と自分に言い聞かせる。

誰かから「大丈夫か?」という心配もされない。

自分の精神を癒す時間をまるで否定しているかのような環境。

そういうところにいるとどうしても自分を追い込み過ぎてしまう。

人にはいくつもの器がある。

一つの器もこぼれるほど注いではいけない。

たくさんの器の大きさは人それぞれ。

花粉症の人とそうでない人がいるのと同じ。

元々持って生まれたたくさんの器の中の一つが溢れ出している状態。

それがたまたま人付き合いだったとしても変ではない。

普通だ。

だから無理だとわかっていて無理をするのは自分をいじめているのと同じ。

花粉症だとわかってマスクもしないで杉の森に突入して「まだ大丈夫だ」と自分に言い聞かせているようなもの。

それは責任感ではない。

自分の事を知らない馬鹿だ。

精神がむしばまれるとわかっている環境に身を投じ続けるのは馬鹿野郎がやること。

そんな環境であればすぐに自分を見直すべき。

いくつもの器の内一つが溢れているだけの話なのだ。

まるで全てが終わったように考える必要はない。

花粉症でも生きていけるのだから。

人付き合いが疲れるとわかっているからこそ出来る予防。

人付き合いも花粉症と同じようにマスクで防いだり、薬を飲んで症状を和らげたりといった予防が出来る。

だがそれに必要なのは自覚。

自分が人よりも花粉に弱い自覚と同じ。

人付き合いに弱いかもしれないというぼんやりした疑惑ではない。

実際に弱いという自覚。

花粉症を自覚をするまで予防などしない。

風邪と勘違いして寝込めば治ると考えてしまう。

花粉症も人付き合いの弱さも寝込んで治るものではない。

だけど自覚を持つことでうまく防ぐことが出来るのだ。

上手く防げればなんなくこなせるようになる。

それは花粉症も同じ。

人付き合いも同じなのだ。

まず人付き合いの何が弱いのか。

人付き合いは花粉よりも範囲が広い。

花粉症で言えば「鼻水が止まらない」という症状。

鼻水が止まらないのがどうしてなのかわからないといけない。

その原因が花粉であれば対策が出来る。

それと同じように人付き合いで疲れるのはどの部分なのかを自分で理解しておかないといけない。

「目を合わせるのが疲れるのか」

「話をするのが疲れるのか」

「考え方が合わない事が疲れるのか」

「自分を偽って接しているから疲れるのか」

はっきりさせておかないといけない。

自分がどういった事で疲れているのか。

人付き合いの中で疲れると感じる部分がわかっているのであれば対策は可能。

その対策を考えるのは癒しの時間に行うといい。

絶対に精神が削られるポイントがあるはず。

見つけ出して対策を練ろう。

その状態にならないようにするにはどうすればいいのか。

人付き合いの中で自分の精神を守るのは花粉症だからマスクをするのと同じ。

ごく普通の事。

そのポイントと予防の方法が見つけられるまでしっかり考えてみてほしい。

予防は人付き合いの中でしか見出せない。

これまで精神面を癒す事やその予防について話をしてきたが、そのどれもが人付き合いを続ける中で見出さなければならない。

自分の立ち振る舞いが確立するまでそこまでの時間はかからないが、人付き合いの中で見つけていくしかない。

疲れた精神の癒しも、実際に人付き合いの中で疲れなければその効果を確かめる術がない。

予防に関しても実際に人付き合いをしていく中で効果があったかどうかを見定めるしかない。

それでも人付き合いをしていかなければいけない状態であればしっかり進めていくべき。

必要最低限の人付き合いは今後も必ず必要とされる。

だからこそ人付き合いの中で見出さなければならない。

一度確立されてしまえば人付き合いが苦ではなくなる可能性もある。

そうなれば人付き合いの中で多くのチャンスを得る。

多くの情報を得る。

得意になる事はなくても必要以上の「お得」を手にすることが出来るかもしれない。

仕事でもプライベートでも常に自分の精神をフラットに保つことが出来ればその分の力も発揮出来る。

心が強い人など初めからいない。

それなりの準備を手を抜かず行っているだけ。

それは自分のメンタルをコントロールすることであり、その場に応じた対応を予め準備してあること。

準備はいくらしてもし過ぎということはない。

それならあらかじめ自分が付かれるであろう人付き合いでもそれなりの準備が必要。

そしてその準備を持って本番に挑む。

それが当たり前になれば、プライベートでも仕事でも人付き合いがうまくいく。

人付き合いは疲れるという感情も無くなる。

そしてそれが楽しくなれば自分の可能性はもっと広がっていく。

出来る事も増えていく。

人付き合いとは人とのコミュニケーションの中で自分に出来る事を発見する場であり、それを発表する場でもある。

精神面が常にフラットであればそのパフォーマンスは間違いなく高く保てる。

強い意志は持たなくていい。

準備をするだけでいいのだ。

そして人付き合いをしていく中で修正していく。

初めからうまくいくイメージを持つ。

ほとんどの場合、「初めからうまくいくわけがない」と考える。

人付き合いに関しては相手にもよる。

それでもうまくいくイメージを持つべき。

その為の準備をすれば必ずうまくいくイメージが浮かぶはず。

今回の人付き合いが疲れないイメージが出来るまで準備をする。

上手くいくイメージを常に持つことで自然にそのイメージに近づこうとする。

イメージ通りでなくてもその方向へとシフトして向かう事が出来る。

それは自分の気持ちをフラットにしたり、相手に言いたい事を伝えられるようになったり、さらにはいい関係を築けるように人付き合いの中で修正する。

良いイメージを持っているからこそそういったチャレンジが出来るし、焦らず、精神を削らずに対処出来る。

もちろん人付き合いは疲れる。

どんなに良いイメージを持っていたとしても疲れるかもしれない。

ただ、すべての人付き合いが疲れるわけではない。

疲れない人付き合いを増やす事。

それは人付き合いで疲れる事を減らす事に繋がる。

そして疲れる人付き合いが無くなっても構わないと思えるようになるきっかけだ。

良い人付き合いが増えれば疲れる人付き合いは自然に切り捨てたくなる。

お金にすごく余裕があるなら今日のランチくらいおごってあげてもいいと思えるのと同じだ。

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心優しきあなたにお願いがあります。

お見苦しい点が多々ある私なりの文章をここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。改めまして、執筆者のdaimaruです。

この度、DONGURILOGという日記サービスを共同運営させて頂く事になりました。

シンプルに伝えると、「みんなで日記を書くスペース」になります。

かれこれ数年このブログを続けて思った「ひとりで更新し続ける難しさ」を解消しつつ、多くの価値観を共有しながら楽しめる場所です。

まだ始まったばかりのチャレンジではありますが、多くの方に使って頂きたいと思っています。

ここまで私が書く、しがない文章を読んで頂き、目もお疲れかと存じますが、どうか、最後に、私の渾身のワガママを聞いて頂けないでしょうか?

無理なお願いをしているのかもしれません。

でも、「日記を書く」には多くのポジティブな効果があります。今日一日を振り返るだけで多くの気付きがあります。

じらしてすみません。

一緒に日記を書いて頂けないでしょうか?

私は多くの人と日記として記録を残す毎日を過ごしたいと思っています。

そしてそれがきっかけで多くの人が救われる瞬間があるんじゃないかと思っています。

私が求めているのは募金や署名ではありません。

シンプルにあなたが持つ価値観や考え方です。

本来「日記を書く」は一人で行う趣味的な存在なのかもしれませんが、それを多くの人と同じスペースで書く楽しさを大声で主張したい。

「うおー!」です。

是非一緒に、DONGURILOGで、日記を書きましょう!

自分の為になり、誰かの為にもなる。

そんな最高のスペース作りにご協力ください!宜しくお願いします!

あれんじ

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