今日は何もしたくない。
そんな日がある。
別に疲れているような自覚もなく、ただ、何もしたくない。
「もしかしたら精神的に疲れていたり。」
と勘ぐってみる。
でも何もしないからそういった事を調べたりもしない。
そして結局気が付く。
本当になんにもしないなんていうのは出来ない。
腹が減るしお風呂にも入りたくなる。
漫画が読みたくなるし気が付けばテレビをつけるし携帯を見る。
結局何もしたくないわけじゃない。
たぶんこれは、
「自分がやりたい事しかしたくない。」
ただそれだけなんだと思う。
そしてこれっていうのは結局普段のストレスを発散させたり、一時的に自分を救う方法なんだって思う。
ずっとこの状態が続くのならきっと幸せなのかもしれない。
自分がしたいこと以外は何もしない。
仕事とか学校とか休みとか祝日
とかそういう考え方も無くなるかもしれない。
それが無くなればもしかしたらすごく、楽になるんじゃないかと考えた。
精神的に。
生きるのに必要な事をシンプルに自分がやりたいことだけにする。
そんなこと出来るのだろうか。
シンプルに生きる。
必要なもの。
お金と仕事。
家族。
住むところ。
そのくらい。
最近すごく思うことがある。
本当に必要なものはすごく少ないのに、欲しいものばかりが増えていく。
「愛情があればいい!」
とかロックな事は言わないけど、本当に必要なものは少ない。
絶対に少ない。
本当は必要ないのに、
テレビやラジオや雑誌や街の看板やら人間関係やらで、
「必要だ!」と勘違いしてしまう。
例えば時間を短縮出来る便利なもの。
このほとんどが「無くても何とかやっていける」ものだったりするし、「そもそも無かった」ものだったりする。
確かに便利アイテムや便利家電があれば時間の短縮だったりその分自分の好きなことをする時間に費やせる。
自分の好きなこと。
これってなんだろう。
そもそもこの「自分の好きなこと」っていうのが誰かに作られたものだったりしませんか。
誰かが作った「遊び」にハマり、お金を消費する。
「誰かが作った遊び」に費やす時間を作りたいから便利商品にお金を払う。
新しい「遊び」と新しい「便利商品」に捉われているような気がする。
生きていくのに本当に必要なものはいつもシンプルで少ないはずなのに。
遊びと時間。
遊びが充実すると、便利な商品が飛ぶように売れるようになる。
「レンジでチンするだけの食事」
「洗濯から乾燥まで出来る洗濯機」
「家にいない間に掃除をしてくれるロボット」
「インターネットとスマートフォンとパソコン」
全部人気。
時間を短縮出来るだけで商品としての価値が高くなる。
どうして時間を短縮したいのか。
「自分がやりたいことに時間を費やしたいから」
それしかない。
それ以外に考えられない。
さらに新しい遊びはどんどん進化している。
「やりたい!見たい!欲しい!」
が、わんさか溢れてる。
そして便利さがそれを手に取る機会をさらに増やしている。
消費に消費を重ねていく。
このまま文明が先へ進む程新しい遊びと新しい便利アイテムが増えていく。
多くのお金が必要になる。
仕事を頑張らなくちゃいけない。
稼いでいかないといけない。
だって、楽しみたいじゃないか。
そこに楽しい遊びがあるんだから。
仕事はツール。
仕事はお金を稼いで生活を支える手段だった。
だから仕事に命をかけるかの如く働く人がたくさんいた。
でも最近の考え方はそれだけではなさそう。
プライベートの方が大切。
そう考える人も多い。
実際その通りだと思う。
プライベートが充実していないとそもそも仕事どころではない。
それで良いんだと思う。
すごく素直な意見。
仕事はプライベートを充実させる為のツール。
になる。
そうなると違う考え同士の人同士でぶつかる。
意見が割れる。
「仕事」と「プライベート」の考え方で時間に対する重さが変わる。
天秤は重い方が下になる。
絶対にそうなる。
意見の量が重さだとすれば、今はどっちに傾いているんだろうか。
一昔前、「タバコ」は電車の中でも吸えた。
知らない人も多いと思う。
どこでもプカプカ吸っている人がいた。
そういう時代だった。
人々の考え方が徐々に変わり、天秤は傾いた。
「たばこ」に対する考え方は大きく変わった。
意見が多い方へ圧倒的に傾く。
「仕事」と「プライベート」のどっちが重要か。
すでに「プライベートに重きを置く会社」は数多くある。
会社の中でもプライベートが充実出来るような空間が作られている。
仕事は生きる為のツールであって人生そのものではない。
転職サイトのアクセスが増えている。
転職を考える人が増えている。
仕事の在り方に異議を唱える人が増えている。
つまり、みんな幸せに暮らしたいってことだと思う。
それを主張して良い時代になってる。
我慢の限界。
これまで多くの人が「我慢だ!」と言って押し殺してきた気持ちや要求がある。
その我慢のおかげで今があるんだと思う。
仕事も学校もプライベートも、多くの人が何もかも我慢を強いられてきた。
もちろん今だって我慢しなくちゃいけない瞬間はある。
でもそれはみんながみんな同じじゃない。
だから主張するようになった。
集団でいる前に「個」であることが広く理解されるようになった。
「私はこう思う!」
それを強く発し始めた。
もう我慢の限界だったのだと思う。
多くの人がひたすら我慢を強いられたことで大きなパワーを溜めた。
それを一気に吐き出して世の中の天秤を動かした。
そうやって変わっていくんだと思う。
もう誰かの為に我慢する考え方は古い。
自分の為の我慢であればそれは我慢じゃない。
会社の為に我慢する。
家族の為に我慢する。
友達の為に我慢する。
我慢して我慢して結局なにが残ったのだろう。
自分の為に「我慢をする」なんて考え方はない。
それがやりたい事なのだ。
そのやりたい事を多くの誰かの為の我慢で潰してしまうような時代は終わり。
みんながみんな幸せでいられる選択をしていくべき。
誰も傷つけない方法で、自分が幸せになれる方法を模索する。
このまま行ったらこの先、誰かがまた気が付くのかもしれない。
「誰かの為に我慢をした方が幸せになれる。」
どっちが正解かなんてやってみないとわからない。
とにかく今は、我慢の限界なんだと思う。
時が巡り巡って戻るのなら、きっとシンプルになる。
ファッションの流行りは繰り返すと言われている。
繰り返すっていうことは、「これ以上新しいものが無い」ってことなんじゃないだろうか。
だから昔のものを「新しい」と言って引っ張り出してくる。
服の形は基本的に完成している。
足を通し、腕を通す。
大体この形。
これはたぶん近未来でも当分覆らない。
自動的に服になるような布が発明されれば別だけどそれをここ何十年で発明出来るかどうか疑問。
だから完成している。
完成したものは時代と共に流行を繰り返す。
再ブームのタイミングがある。
もし人類が完成したら。
きっと戻ると思うのです。
何もかも人類として完成してしまったら。
今頭の中で出来る全てが実現してしまったら。
空を飛んだり、超能力が使えたり、お金が必要なくなったり、争いが無くなったり、貧富の差が無くなったり。
全てが実現されたら。
きっとシンプルになる。
そのシンプルさに幸せを感じる時が来ると思うのです。
全てが叶ったら、絶対にシンプルになる。
そして、
最低限の衣食住に本気で幸せを感じる。
それ以外「いらない!」って思える。
だって、全部叶っちゃったんだもん。
だから人類はそれが全て叶うまで進化するんだと思う。
スマホでなんでも出来るようになってきた。
これって、ある意味「超シンプル」だと思う。
スマホがあれば何でも出来る。
うん。
スマートだし、
超シンプルだ。
どうか感想をください。