人間には血液型以外のタイプが無限にあるようだ

人間関係

血液型で4種類くらいに人間のタイプを分けて解説するなんてクソだ。

そんな枠に入れられて、誠に残念で仕方がない。

集団で生活する中でどうもカテゴリー分けしたくなる人が多いように思う。

血液型は医療系に使うだけで十分だ。

その人の力量を図るような事をされると困る。

「B型かぁー。」

よく聞く。

「え!?A型なの!?O型かと思ったぁー」

よく聞く。

これって完全にカテゴリー分けされてる。

人を勝手に分けるなよ。

というか分けてどこか自分の中で満足する部分があるのか。

「あいつはB型だから合わない。」

そういう風に考えるとなんか本質は全く見えていないように感じてしまう。

 

友人とギクシャクする理由を血液型のせいにする。

 

誰かとうまくいかない理由を血液型のせいにする。

 

そんなわけあるか!

 

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人間のタイプは無限にあるぞ。

それをダラダラ話そうじゃないか。

単純に血液型で分けても面白くない。

世界中には数えきれない程の人間がいる。

それを4つに分類するのだ。

血液型で。

でもそれは血液型の種類の話であって性格とか考え方の違いではない。

血液のタイプ。

そこからいろいろと派生して、A型の説明書なるものまで現れた。

A型は血液だから。

説明もなにも血液だから。

それ以上ではない。

説明書などいらない。

血液のタイプ。

それだけで十分だ。

儲けたいのかわからんが、それを種類別に何冊も出しやがって。

全種類買った人もいるでしょうね。

儲けてるのはその本を出した人なのに。

多くの人が納得出来ることを書いているだけなのに。

どうして血液と性格を同じように分けるかね。

そもそも血液なんだから性格や考え方はまた別なはず。

そのはずなのに、ある程度決まってるみたいな感じにしてる。

それとこんなに国がたくさんあるのにこんなに人がたくさんいるのに、血液型の種類しか性格や考え方がない…。

そんなわけあるか!

それと単純につまらないだろが。

無限だ無限。

4種類しかないわけないだろ。

生まれた瞬間にタイプが決まってたまるか。

持って生まれた才能があるのはわかる。

これは本当にあると思う。

DNA的な考え方もわかる。

遺伝っていうのも顔をみれば家族で似てるっていう時点で納得。

でも性格や考え方は生まれた直後には決まらないでしょうが。

親がそうだからと言われると「待て待て!」と。

生まれた時にはすでに決まっていたみたいな感じになるではないか。

それでは面白くない。

むしろ何の発見も無くなってしまう。

「私は私です。」

と言いたい。

顔が似てても性格や考え方まで一緒になってたまるか。

そこはマジで反抗したい。

だって性格も考え方も変わっていくものだと思うから。

経験したこと、その時に得たもの、考えた事、実行したこと、後悔したこと、反省したこと、成功したこと、良かったことに悪かったこと。

そういう全ての経験で微妙に、自分でもわからないくらいの角度をつけて変わっていくものだと思うのです。

これまでの全て、これからの全てで変わる。

そして今出来上がっているつもりでいる自分もこれまでの経験の全てで作られているし、これから経験する全てでまた変わっていく。

それなのに遺伝や血液型である程度の性格や考え方を決めつけられて。

ある意味安心なのか?

なんとなく自分という人間や周囲の人々を判断する材料にすることで安心する。

イレギュラーだらけの占いみたいなもんで。

人生なんてイレギュラーだらけだ。

他人と生きていくなんて自分の思い通りにいかないことだらけだ。

そういった経験で性格も考え方も変わるだろう。

変わるでしょうが。

絶対に変わる。

関わる人、そして経験で必ず変わるのです。

それでも血液型の説明書が必要か。

ネタだ。

完全にネタ。

それを信じたところでその時に起きるイレギュラーを「あいつはB型だから。」「あいつはA型だから。」「あれは親がああだから。」「俺と似ていてこうだから。」と無理やりはめ込んで納得させる。

そういうネタ。

違う。

それでは面白味もなにもない。

無味無臭の落としどころ。

自分がそう言われているのもなんか納得がいかない。

今の自分はこれまでの経験の全てで作られている。

そしてこれからの経験全てで変わる可能性を持っている。

どっちが面白いだろうか。

正しいとか正しくないとかではなく。

面白いのは変わる方だと思う。

枠にはめれば自由を奪う。

「あなたはこういうところがあるから。」

「あなたはB型だからね~。」

「おじいちゃんがこういうところがあったから似てるのかもね。」

外枠を意味がないこじつけで固められているような気がする。

その外枠は必要か。

というかそういうことを言われるとなんだか自由が奪われてしまうような気がする。

異議を唱えたい。

 

「逆にそうではない部分の方が多くないですか?」

 

親戚の誰かに似ている。

血液型の根本的な考え方に当てはまる。

 

「そうではない部分の方が多くないですか?」

 

たまたま該当した部分があっただけで「全部そう!」みたいに言われると自由が無くなるではないか。

そんなつまらない事を言うもんじゃない。

同じ人間なんだから似てるところもあるでしょうよ。

それを血のつながりや血液型だけで当てはめるなよ。

面白くなくなるだろう。

興が削がれるだろうが。

分析する楽しみ。

型にはめ込むと分析する楽しみが無くなる。

だって何種類しかないからね。

そんなの面白くもなんともない。

考え方を頑固にしてしまうだけ。

イレギュラーに対応出来ない頭になるだけ。

人間関係なんて全部イレギュラー。

出会いなんて奇跡。

持って生まれるものはあってもそれを使うか使わないかは選ばせてくれ。

最終地点が「そういう運命だ。」なんてつまらないこと言わないでくれ。

人は人と比べるのが好きなのだ。

周囲の人と比べる生き物なのだ。

そうやって自分の居場所を見つけたりするもの。

それを型にはめてしまうのは融通が利かないのと一緒。

結局「運命だ。」と諦めるきっかけ。

でも「そんな型などない。今目の前にいる人々とどう関わっていくかの方が大事。」と考えていれば血液型や遺伝に頼ることなく、確かな自分の居所を発見出来るかもしれない。

分析するのは楽しいのだ。

そこにタイプなど存在しない。

一人ひとりと向き合ってその都度分析した方が楽しい。

蓄積する楽しみ。

相手を分析して、多くの経験を積み重ねていく。

絆はそうやって生まれていく。

初めて会った人に対して「血液型は?」と聞いて対応を決めてしまうのか?

それはそれは困った。

蓄積されるのは血液型の説明書通りに行う経験値のみだ。

そこに唯一無二の絆が生まれるかね。

型なんてきっかけだ。

そこからは積み重ねていくものは形を変えながらお互いで向き合って経験していくものであってほしい。

かけがえのない出会いを無駄にする程人生は長くない。

出会いを大切にしたい。

そこから様々な経験を共にする喜びを噛みしめて生きていきたい。

それすら楽しみにしたい。

語り合うだけが経験を蓄積するのではない。

人と人の間で起きる全部。

全部が蓄積されるのだと思う。

作っていく楽しみ。

人間関係は時にめんどくさい。

時にうざったい。

時に喜びを共有出来る。

時に恋に発展する。

時に、時に、と無限。

インフィニットなのです。

おらおらな時もあればめちゃ弱気になることもある。

誰にでもある。

そんなもの誰にでもあるのにその度に分析してその度に乗り越えて、その度に変わっていく。

 

「昔は仲が良かったのに大人になって合わなくなった。」

「昔はパリピ。今は官僚。」

「恋愛上手が今はつるっぱげ。」

 

血液型でここまで予測出来れば大したものだ。

遺伝だけで全てわかれば大したものだ。

 

神にでもなりたいんか。

占い師にでもなりたいんか。

 

得たいが知れないものを型にはめて落ち着いている場合ではない。

無限にタイプがある事に気が付けば型にはめるのもやめる。

型にはめるのをやめたら楽になる。

 

「自分はこう!こうするのだ!」

 

自分がそう思っているなら相手のことなど想像出来ない。

想像する意味もない。

俺たちゃ無限!

俺たちゃ自由!

必要だと感じるものを選択して必要なものを求めて結果を出していくだけだ。

我慢も努力する。

でも無限!

でも自由!

人間関係ってのは無限で自由でめんどくさくてうざったくて最高だ。