普段の生活の中で「言い過ぎたかも」や「傷つけてしまったかも」と思う瞬間が突然訪れる。
意図した瞬間ではないからこそ、その時咄嗟にフォロー出来ず、後になって後悔したり反省したりする。
今もまだ、あの時の「傷つけてしまったかも…」という反省や後悔を相手に打ち明けられずに抱えていませんか?
私は抱えています。
自分が深く傷ついた事と同じように、誰かを深く傷つけてしまったかもしれない瞬間も尾忘れられない。
今になっても勝手に思い出してしまうんです。
「これは思い出にしていい事なんだろうか?」
あの時のモヤモヤは過去に戻って消したり出来ない。
結局「今」か「未来」でしか解決出来ない。
時間だけはいつも前向きなんです。
今回は誰かを「傷つけてしまったかも」と思える事がどれだけ大切かを伝えたい。
反省や後悔があるからこそ素直になろうとする。
例えば誰かを「傷つけてしまったかも…」と思った時。
その場ではすぐに謝ったり出来なくて、場合によっては何年も前の事をずっと引きずっていたりする。
それを切っ掛けに相手と疎遠になってしまったり、そのまま何事も無く過ごしているように見えたり…。
たまに思い出すと、反省や後悔に変わっている事に気が付いたりします。
友達に対して、熱くなって、言い合いになって、言い過ぎて、「傷つけてしまったかも…」と思っていたけどそれをずっと言えないまま過ごしていた過去が私にはあります。
ずっとモヤモヤしている気持ちを抱えているような感じ…。
それを取り除きたくて、時間は経ったけど、記憶を辿りながら当時の事を説明してその友達に謝りました。
…相手は覚えてすらいなかったけど…。
ずっと抱えてきたモヤモヤが消えるのと共に、少し前に進めたような気がしたのを覚えている。
相手がちゃんと覚えていて、当時の事について議論になる可能性だってある。
許してもらえなかったり、更に熱くなる可能性もある。
ただ、当時の自分の気持ちと今の自分の気持ちを正直に伝える事で、ちょっと前に進めるような気がします。
「いつか言わなきゃな…」ってずっとしまい込んでいる想いはいつかどこかでアウトプットする瞬間が来ると私は思っている。
そのタイミングは人それぞれだろうけど、今になってそんな想いを抱えないように、その場ですぐに謝ったり、正直な気持ちを伝えられたら良いのになぁ…といつも思う。
それがなかなか出来ないのです。
でもいつか、そうなれるように、自分の中にあるモヤモヤを素直に受け入れる必要があるんじゃないだろうか。
「今更別に…」と誰かには言うけど、本当は気になっている事や反省している事、後悔している事がたくさんある。
そういった経験があるからこそ、これ以上同じ想いをしたくないから、自分が招いた失敗や間違いを素直に認めるようになるのかもしれない。
それを素直に認めないと変われないんです。
繰り返してしまいそうなんですよ。
心はいつも正直です。
誰かを「傷つけてしまったかも…」と思った時、私はいつも熱くなっている。
イライラしていたり、怒りを感じていたり、卑屈になっていたり。
気持ちがざわついている時に限って誰かを傷つけてしまったりする。
本当は思っていない事が口から出て来たり、そこまで言わなくてもいいような事が出て来たりして、自分を上手くコントロール出来ないんです。
そしていつも後になって気が付く。
「傷つけてしまったかも…」って。
ただその時は熱くなっているから、素直に湧いてきた言葉を相手にぶつけてしまうんです。
「冷静」というフィルターを通さずに出て来る言葉は恥ずかしいくらいに映画やドラマのセリフみたいな熱を持ってたりする…。
たぶんそれはそれで「その時の正直な気持ち」なのかもしれない。
でもその後に「傷つけてしまったかも…」と思うのも正直な気持ちなんです。
どっちが正しいのかなんてわからないけど、その時に熱くなって言い過ぎてしまったとしても、「言い過ぎてしまった事実」をすぐに理解して「言い過ぎた。ごめん。」とその場で謝罪しながらさらに話し合ったり理解し合いたいと私は思っています。
熱くなって言い過ぎるのも正直な気持ちで、後になって後悔するのも正直な気持ちなら、その両方を解決する方法を見つけるべき。
自分の心に正直なれたからこそ、その答えを見つけられるんじゃないだろうか。
正直に言い過ぎて、正直に反省して、自分と真面目に向き合っているからこそ成長出来る部分もあるんじゃないだろうか。
その場で言い過ぎた事実と、それがきっかけで誰かを傷つけてしまった事実を正直に認められるなら、必ず改善出来ると私は信じています。
だから「自分はダメだな…」なんて思わなくて良いんです。
自分にしか出来ない事がある。
「傷つけてしまったかも…」と自分では思っていても、本当に相手が傷ついているかどうかを確認する術はない。
その場で謝ったとして、相手は「気にしてないよ!」と口では言うけど、本当は気にしているかもしれない。
めちゃくちゃ怒っているかも…。
そう思うのは私がひねくれた考えを持っているからかもしれないけど、世の中には「何でもかんでも正直に伝える人」が苦手な人もいる。
こればかりは相性だからしょうがないけど、実は「何でもかんでも正直に伝える人」を尊敬する人もいるんです。
自分を客観的に見れないと、都合の良い方か悪い方に極端に割り振って物事を考えちゃう。
私はその良し悪しを決める権利を持ってないけど、その考え方こそが個性であって、自分にしか築けない人間関係がそこにあるんだと思っている。
私は自分にしか作れない人間関係をこれからもっと大切にしていきたい。
自分にしか出来ない人間関係の作り方を磨いていきたいと思っています。
良い意味で自分を認めたい瞬間だってある。
「アンチ」は必ずいるものです。
自分にしか作れない人間関係を大切にしたり、自分にしか出来ない人間関係の作り方を磨いていくのは、人との繋がりを大事にするきっかけになると私は信じています。
誰にでも向き不向きや、合う合わないは必ずあるけど、それでも社会は人との繋がりの中で作られています。
自分の考え方が原因で「結果的に」誰かを傷つけてしまう事だってある。
これは私だけではなくて、今を生きている全ての人に当てはまる。
ただ、そもそもこの世の全ての人に好かれる奴なんていないんです。
総理大臣や大統領にだって支持率ってものがあって、それが「100%になった!」なんて話を私は一度も聞いた事が無い。
有名人にはもれなく「アンチ」が付いてきます。
スポーツにだって苦手な相手や得意な相手がいたりする。
私は個性だと思っていた自分なりの考え方で、知らない間にありえない支持率100%を求めてしまっていたのかもしれない。
だからその場で反省や謝罪が出来ずに、後になって「傷つけてしまったかも…」と思う瞬間があったのかもしれない。
支持率が100%にならなくても、総理大臣になれるし、大統領になれるし、「人を大切にする気持ち」を持っても構わないし、それを主張しても良いはずなんです。
だって、必ず反対の意見を持っている人がいるんだから。
「反対の意見を持っている人がいるから主張しません!」って言ってたら一生主張無しで生きていく覚悟がいる。
つまり、誰かを「傷つけてしまったかも…」と思って、心から謝罪しても、許してもらえない可能性はいつもあるって事です。
でもそれは世の中には必ず自分のアンチがいて、総理大臣や大統領の支持率が100%にならないのと同じくらい自然な事なんです。
前に進む覚悟を。
たとえ謝罪を認めてもらえなくても、溜め込んだ過去のモヤモヤを消せなくても、私達の時間は前にしか進みません。
悩んでも悩んでも時間だけはいつも前向きなんです。
「傷つけてしまったかも…」という想いは結局自分の考え方から来る正直な気持ちであって、「相手の気持ちを無視している」と言われればその通りな気がします。
もしかしたら、誰かを傷つけてしまったその後の行動によって自分が持っているモヤモヤを増幅させてしまうかもしれない。
それでも時間は前に進むんです。
私には、今悩んでいる事や、悩んでも悩んでも答えが見つからなくて滅入ってしまう瞬間がたくさんあります。
それを誰かに伝えた所でその場凌ぎのバンドエイドみたいな役割にしかならない事もたくさんあります。
それでも時間は前に進む。
結局解決させるには悩み続けたり行動を起こすしか選択肢が無いんだけど、時間と一緒に前に進んでいたら、いつかその答えがわかる時がくるかもしれない。
今解決する事を諦めたわけじゃないけど、前に進まなきゃ見えてこない答えだってたくさんあるんです。
前に進む覚悟はいつだって必要だと私は思います。
「本当はどうしたいの?」と自分に聞く。
時間は前向きだと言われても、それでも悩んで立ち止まってしまう事がある。
誰かに聞いてもわからなくて、誰かを真似てもわからない。
だから最後はいつも自分に聞くんです。
「本当はどうしたいの?」
自分で選んだわけじゃないのに、挑戦している気になって、前に進んでいるような幻を見る時もある。
自分の意思で選んだ道じゃなきゃまた悩んで立ち止まったりする時が来るんです。
だから私は、何の迷いもなく、前に進みたいからこそ自分に聞くんです。
「本当はどうしたいの?」
自分で、本気で「こうしよう!」って思ったことじゃないと本気になれるわけがない。
私は誰かを「傷つけてしまったかも…」と思った経験から、多くの事を学ばせてもらったような気がします。
だけどこれからもきっと誰かを傷つけてしまう事があると思う。
そんな時はまた悩んで、考えて、自分に本当はどうしたいか聞いて、選んで、本気で反省して、本気で後悔して、本気で挑戦して、自分なりの答えが見つかるまで時間と一緒に前を見て進みたい。
どうか感想をください。