本音を言えないのは自分を信じる力が超強いからである

人間関係

本当は思っていても口に出来ないこと。たくさんある。

そりゃ本音なんて言ったら相手にどう思われるのかわからないからね。

とは言ってもですよ。

結局口にしてしまう事もあるわけです。

問題はどんな時にそれを言うのか。

それはね。

自分が圧倒的に追い込まれた時。

本音を言わざるを得なかった時。

普段の生活をより穏便に済ませる為には本音はなるべく内側にしまっておいた方がいい。

でもやむを得ず本音を伝えなければいけない時がある。

そうでないと進めないし変わらない。

そう思った時に本音をかますのだ。

本音が伝えられなくて、それが「自分が弱い事」と勘違いしてしまっている人がいる。

本音が言えない事で「ダメな奴」と感じている人がいる。

それは違う。

大丈夫だ。

本音っていうのはいつだって切り札として持っていればいい。

溜めれば溜めるほど最終兵器のように威力を増す。

切り札です。

本音っていうのは切り札だと思うのです。

だからいつも本音ばかり言っているとその切り札が無くなってしまう。

本音を言えないんじゃない。

自分の判断で本音を言わずに事を済まそうとしている証拠。

ギリギリまで本音を言わないという選択をしているだけ。

使う時が来たら使えばいい。

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本音を言わないのは言うべき時じゃないだけ

心配しなくてもいい。

もし「本音は言えねぇなぁ。」と思っているのであればそれは弱いということではない。

あなたの判断で言うべき時ではないと決めているだけ。

それだけ。

流されないあなたは強い。

 

「本音を言ってくれ。」

 

そう言われても全ては言わない。

またはオブラートに包む。

小出しにしてみる。

 

本当の気持ちは隠し持っている。

少し暴力的な本音だとしたら余計にそうする。

うまく暴力的ではない言い方でフォローしながら伝える。

 

「本音を言ってくれ。」

 

に対して自分をしっかりコントロールしている証拠だ。

その後にどんな事が起こるのか予想している証拠だ。

 

「だから本音を言ってくれよ!」

 

流されない。

私は流されない。

まだ全ての本音を言うべきではない。

だから言わない。

これは流されない証拠。

強いよ。

弱くない。

本音を伝えることでこの先に怒ることが「めんどくさい」と感じているならちゃんとした理由すらある。

むしろ強い。

賢い。

計画的。

未来予想図。

大丈夫。

それなら本音はまだ言うべきではない。

その判断で大正解だ。

本音を伝えるか伝えないかよりも自分を信じるかどうか。

本音を伝えるのか伝えないかは正直どちらでも構わない。

何ならちょっと伝えてみてどうなるのか様子を伺うっていうのも手かもしれない。

問題は本音を伝えようが伝えまいが、自分が取った行動や言動に自信を持てるかどうか。

責任を持てるかどうかである。

 

「相手がどんなに傷ついてもいいやぁ。言っちゃえー。」

 

とか考えて本音を伝えるのはあまりにも思いやりがない。

それは本音を伝えるのではなく、「言いたい事を言う!」という自分勝手な人が選択するもの。

本音をいつも切り札として持っている強い人ではない。

 

「相手が傷つくだろうけど伝えるべき。それが相手の為でもあり自分の為でもある。」

 

今だ!

と言わんばかりのタイミングで「本音」をぶつけるのである。

それが切り札だ。

そしてそれを伝えようと判断した自分を信じるのである。

 

「本音を言ってしまった…。」

 

と後悔するのなら「言わない」を選択する。

そういう自分のコントロールが出来るのであれば「本音」は間違いなく「切り札」になる。

「本音を伝えない」と選択している自分をもう少し信じてやってみてもいいのではないかと思う。

不安になるとブレる。

自分の判断を信じた方が楽しい。

誰かの判断で何かの失敗をしてしまったと思うと改善の方法が一つしかない。

 

「誰も信じない。」

 

それしか改善の方法を見つけられないのである。

それはあまりにもつまらない。

 

「本当は誰かを信じると自分が決めたことが問題。」

 

ってことに気が付かないのです。

それが誰かに判断を委ねてしまうことで起きる。

自分が「誰かを信じる」と自信を持って決めたのであればまた違う方向で物事を考えられたのかもしれない。

本音だって一緒。

 

「誰かに言わされた。」

 

と感じるような事があれば「自分の判断を信じる」どころか「本音は今後一切言わない」と変な方向へ自分を導いてしまう。

自分の判断を信じればいい。

 

今、本音を言う。

今はまだ本音を言う時ではない。

 

もっと自分の判断を信じるべき。

それが後々失敗だと気が付いた時の反省の量が圧倒的に違う。

改善の選択肢の量が圧倒的に違う。

そして次の結果へ向かうスピードも圧倒的に違う。

自分の判断に自信が無ければ迷う。

誰かに委ねる。

流される。

自分の判断に頼れなくなる。

 

それって面白くない。

 

自分で判断して、自分で反省して、自分で改善していくべきである。

誰かにもらったお金よりも自分で稼いだお金の方が大切にする。

そういうこと。

自分の人生の選択権を他人に渡すな。

そんなものを渡された方は迷惑だしめんどくさい。

相手もまた自分の人生を自分で選択しているのだ。

その邪魔をしているようなもの。

だったら自分で選択して突き進んで成功を掴んでいく姿を見せてやれ。

今の選択が結果的に本音になる時が来る。

結果なんて最強の後付けである。

結果を目指す道中に「結果を見る」ことは出来ない。

その結果まで見える状態で判断し、行動や言動を行う人はいない。

 

予想。

 

圧倒的に自信がある予想だけである。

自分を信じる力でその予想を結果にする。

本音を言わないとこんなに「良い事」があると信じて続ける。

言うべきポイントで使うべきだと切り札として持ち続ける。

そして自分に良い事が訪れる。

 

「ほらな!これが本音を切り札として使うことで得られる結果だ!」

 

と言えるようになる。

初めはそんな事考えているわけではないかもしれない。

なんとなく続けていたらそういった結果になったのかもしれない。

だとしてもです。

 

結果は最強に後付け出来るのです。

 

実はそういう考えがあって…。

 

これでもOKなのです。

結果最強。

 

本音を言うが言うまいが、

誰かに委ねようが委ねまいが、

流されようが流されまいが、

 

それを自分が選んだかどうか。

 

そしてそれを選んだ自分を信じれるかどうか。

 

信じて努力をしているのとやらされて努力をしているのでは結果は大きく変わる。

道中の効果も大きく変わる。

信じる力はすごいのです。

得られる結果も更なる自信に繋がる。

そして世の中の成功者と言われる人はその自信を持っている。

 

「自信を持ち過ぎて自伝を出す始末だ。」

 

自伝だよ?

自信が無いと書けないから。

自信過剰にも程がある。

そのくらい自信を持っている。

でも成功者なんです。

成功者で自信が無いわけがない。

だから自分の判断に自信を持つことは力になる。

誰かを信じることに自信も持つのもいいけど、まずは自分を信じてみる方が良いと思う。

失敗したら大きな挫折になるかもしれない。

それはまだまだ伸びしろがある証拠です。

反省するポイントがたくさんある。

それもまだまだ伸びしろがある証拠です。

自分を信じて失敗したなら反省すべき点はたくさんある。

でも誰かに委ねればその反省点は誰かのものになる。

 

失敗を奪ってやれ。

 

自分を信じて失敗したのなら反省する。

反省すれば改善する。

それを繰り返し行ってきた人だけが辿り着けるものがある。

 

自伝w

 

自伝を誰かに伝えることで「誰かの為になる」と思えたのならそれは自分が判断してきたことが正しいと信じている証拠。

それをやっていけば必ず必要とする人が出てくる。

信じていこう。

本音?

 

まだ言わねーよ。

今はその時ではない。と信じてるから。