頑張ってる人に「頑張れ」と言えばその人は「もう頑張ってるから!」と思うらしい。
だから頑張ってる人に「頑張れ!」って言うのはあまり良くないのだと。
私はそう教わった。
考え方次第だとは思うけど、「頑張れ」って言葉は別にあんたが「頑張ってない」と思って言ってるんじゃない。
じゃあなんて言えばいいの?
何も言われたくないなら視界に入らない所に行けばいいじゃん。
「頑張れ」って言葉を誤解して勝手に窮屈な想いをしてる奴がいる。
そんなに深い意味はないのに。
こっちは頑張ってる姿を見て応援する意味での「頑張れ!」くらいに思ってる。
まだその言葉に反発してくるならいいけど、問題は頑張り過ぎて心の中じゃ「もう頑張れない」って思っていてもそれを口に出せない奴がいるって事。
今回はそんな奴に言いたい。
「もう頑張れない」を誰にも言えずに無理し過ぎてる奴に言いたいのです。
一旦手を止めて、とりあえず最後まで読め。
ちょっと聞いてくれ。
その先に何が見えてる?
今頑張ってる事があって、シンプルに自分の今後の為だってのはわかってる。
わかってるけど、人は知らない間に色んなものを背負うようになる。
人間関係でも、プライベートでも、仕事でも、生きてるだけで「自分だけの為じゃない何か」を背負っていく。
よし、じゃあここで一旦考えてみよう。
家族も友達も恋人も同僚も先輩も上司も関係なく、「自分一人だけが生きていくのに必要なもの」はなんだ?
…。
…。
…。
そんなにたくさんあるか?
私だったら最低限の衣食住くらいなもんだ。
その為に毎日頑張るんだと思ってる。
でも実際はそんなに簡単なもんじゃない。
私は色んなものを背負いながら生きてます。
中には「これを捨てられたらどんなに楽だろうか」と思う事だってある。
「これが出来たらどんなに楽しいだろう」って事もある。
気が付けばその両方を実現したくて頑張り過ぎてしまう。
どれも手放せなくなって、「もう頑張れない」と思う。
一度はそれを背負ったからにはやり遂げたい一心で、誰かに弱音も吐けない。
苦しいな。
苦し過ぎるだろ。
なんて頑張り屋さんなんだ。
なんて責任感に溢れているんだ。
超優秀だ。
でもね、世の中にはそんな頑張り屋さんのお前を尻目に、アホみたいにサボってる奴もいる。
不思議なもんでそいつはそいつで「なにをやっても頑張れない」って悩みを抱えてたりする。
頑張りたくても頑張れない奴ね。
頑張りたい事すらわからない奴だね。
それが辛いんだと…。
どっちが幸せなのかわからないよね。
「もう頑張れない」と思ってる今は。
頑張る理由なんて人それぞれなんだけど、頑張った先に何があるかを改めて冷静に考えてみてほしい。
自分が頑張り過ぎて潰れてしまったら何の為に頑張ってるのかわからんのだよ。
体の作りや体力の絶対値は人それぞれ。
誰かに憧れて頑張り過ぎる奴もいれば、誰かの為に頑張り過ぎる奴もいる。
自分の体が訴える体調不良や思考回路にバグを感じたなら、一旦止まれ。
何の為に頑張ってんだよ。
どれもこれも少なからず「自分の為が含まれてる」んじゃないのか?
だったらお前が潰れちゃ意味がない。
どこまで先が見えてる?
頑張るのが当たり前過ぎて休み方を忘れたか?
唯一の休むタイミングが「自分が倒れた時」って…。
正解なのか?
お前が少しくらい休んでも世界は変わらない。
「もう頑張れない」と思うまでにはそれなりに背負ってきた何かがあるはず。
そして今頑張ってる何かを放棄出来ない理由がある。
それが自分の為なのか、誰かの為なのかはわからないけど、「頑張るのが苦しい」って感じたら逃げちゃってもいいんじゃないかと私は思ってる。
「無責任だ!」って言いたい?
でしょうね。
でも私はお前にとってただの他人なんだよ。
だからお前がどんな世界観で「もう頑張れない」と思っていようが正直関係ないのだ。
身近にいる人達にとってはそれなりの衝撃があるのかもしれないけど、数日もすりゃ自分の為に出来る事を模索し出すだろうな。
みんな元々は超他人なんだよ。
あんたがあまりに優秀だから甘えてるだけかもしれないぞ。
そういえば、
学生の頃アルバイトをしていた時に、一緒に働いてた奴が急に来なくなった事がある。
来る予定だったその日は人数的にもそいつがいる事が前提だったから大変だった。
てんやわんや。
やる事増える。
「何だよアイツ!誰か呼んでこいよ!」って思ってた。
でもその日からそいつは来なくなって、気が付けばアルバイトから名前が消えて、別の奴が入ってきて、いつも通りの仕事内容に戻った。
そこまでにかかった時間はほんの数日だった。
気が付けばまた落ち着いて、別の悩みだったり、別の課題が出てくる。
アルバイトの私はまだよかったけど、その時「アルバイトをまとめる側」は大変だったんだと思う。
それでも数日経てば何もなかったかのように過ごしてる。
もうあれから20年くらい経つけど、あの時急に来なくなったアイツと街で偶然出会っても気が付かないんだろうな。
顔も思い出せん。
そいつは私の顔を見たら思い出すかな?
人の本心なんてわからんものです。
いくら考えても答えは出ない。
もしお前が誰かの心を察して「もう頑張れない」と思ってるなら一度100%自分の為だけに考えてみると良い。
今頑張り過ぎてるのは自分だけの為か?
もし、一つでも違うなら辞めようが逃げようが構わないんじゃないかと思うんです。
バックレを推奨してるわけじゃないけど、私は誰かに合わせたり、「誰かの為」と言いつつ、結局自分が1番可愛い性格です。
一応バランスを考えながらやってるつもり。
「誰かの為」と言いながらも「自分の為」も含む…みたいな。
あの時来なくなったアイツに対して一度はムカついたけど、今は結局選んだのはアイツで、もしかしたら「そうしなきゃ自分を守れなかったのかもしれない」と思ったりもする。
一時は「バックレやがった!」とか「逃げやがったな!」とみんなで言ってたけど、それは働き続けた私達の意見だけ。
本人がそれで少しでも幸せになれるなら決して「選んではいけない選択肢ではない」ような気がしてならない。
今じゃアイツがどんな顔をしてるかも思い出せないし、あの時世界のバランスが崩れたわけでもない。
数日は文句ばっかり言ってたけど、20年も経てばいつでも起こり得る何でもない1日だったような気がする。
私がその時どのポジションであったとしても、きっと「あり得る事」なんだと思っている。
この世界がありとあらゆる「あり得る」を織り込んで進んでるなら、「逃げる」も「戦う」も「続ける」も、自分が幸せになる選択を選んで良いんじゃないか?
私一人が頑張るのを一時的に辞めたって世界はなんも変わらん。
ほぼ無視だ。
命を超える価値がどこにある?
人によってはとんでもない責任感を持って毎日に挑んでいる。
その責任感は次第に「やらなくてはいけない」に変わって「逃げてはいけない」に変わって、どんどん自分を追い込んでいく。
「もう頑張れない」って感情が決して悪い訳じゃない。
人によっては「もう頑張れないほどの毎日の積み重ね」で才能が開花したり、大きな結果を残したりもする。
ちょっと話は変わるけど、年始の箱根駅伝に臨む学生さん達を見て思った事がある。
「この人達はもう頑張れない程の練習を毎日のように繰り返してきたんだろうなぁ。」って。
その理由は駅伝で少しでも上位に食い込む為なんよ。
1番最初は誰かが作ったゴールなんだけど、気が付けば自分のゴールになってて、そのゴールを目指して、その日の為に、毎日を捧げてる。
よく考えてみると、世の中のほとんどの努力が実は「最初は誰かが作ったゴールの一つ」なんだと思った。
医者も、弁護士も、プロのスポーツ選手も。
一度は誰かが叶えた夢で、「自分にも出来る!」と目標にして日々頑張る。
ポジティブな意味を持った「もう頑張れない」ってヤツもある。
じゃあ強制的な圧力がかかった何かは?
学校でも、職場でも、半ば強制的に強いられる何かってあるじゃん。
毎日のようにさ。
これってポジティブか?
クソほどネガティブだろ。
今お前が「もう頑張れない」ってのはどっちだ?
この際どっちでもいいや。
どっちも!
命を超える価値は持ってない。
だって頑張り過ぎて自分が潰れりゃ箱根駅伝には出れない。
今はネガティブでもそれをポジティブに変える事も出来ない。
倒れて箱根駅伝に出れなきゃ今の「もう頑張れない」はほぼ無意味になる。
場合によってはその後に周囲の人達が「無念」を晴らしてくれるかもしれないけど、それすら命がなきゃ確認も出来ない。
この世に命に勝る価値など無い。
屁理屈もへったくれもいらねー。
反論は認めない。
生きてなんぼの世界だ。
「休んじゃダメだ」ってルールはこの世に無い。
「辞めちゃダメだ」ってルールはこの世に無い。
命を粗末にする奴はそれがたとえ自分の命でもクズだ。
生きてりゃチャンスはきっと巡ってくる。
引くのも一歩だ。
この世には頑張って、頑張り続けて、成功を手にする人もいる。
そういう奴に限って「努力や頑張り続ける日々を美しい」と思ってる。
そいつを多くの人が褒め称えるもんだからそれが正解になってる。
結果だけを見て、「もう頑張れない」からの一歩が「もっと頑張る事」だけになってる。
追い込めば結果が出ると思ってる奴がいる。
そんな勘違い野郎に言ってやりたい。
引くのも一歩だ。
「もう頑張れない」からの一歩は「もっと頑張る」だけじゃない。
人によるだろ。
美学でもなんでもない。
ただの選択肢だ。
みんながみんな「結果よければ全てよし」なんだよ。
だったら引いてからの結果だって良ければいいんだよ。
頑張るのが習慣化し過ぎて前に進む一歩が「攻めてなんぼ」になってないか?
どちらかと言うと、攻めより守りの方が重要だろ。
自分の命を守りながら結果を出さないと誰にも称えてもらえないだろ。
自分や家族や友人や恋人の幸せを無視して、踏みにじって、我慢して、やっとの思いで掴み取ったものが本当に欲しかった結果か?
稀に見るバカは守ってるくせにそれが「ダサいから」と攻め続けた毎日を主張する。
んなバカな。
人は自分を美しく見せたいから見栄を張ったりするもんなんだよ。
誰かの「全てを投げ捨てて頑張っただけの武勇伝」なんかに踊らされるな。
自分の武勇伝を作らなきゃダメだろ。
必要なのは結果だけだ。
その過程なんて誰も見ちゃいない。
後でくっつけりゃいいんだよ。
だから引く時は引く。
それだって正解の一歩なんだよ。
「もう頑張れない」のにまだ攻めるのか?
それはなんで?
美学か?
哲学か?
誰かの受け売りか?
精神論か?
絶対条件か?
お前が欲しいのは結果だ。
それだけ。
引くのがダサい?
いやいやいや。
その後に倒れて何の結果も出せない方がダサいだろ。
もっと賢くいこうぜ。
「一歩引く」ってのは攻めだ。
なにも考えずバカみたいに攻め続けるのは無謀な突進野郎だろ。
自分をもっと大切にしてやりなよ。
責任感はぶっ壊してもいいんだぜ?
攻めるも引くも出来なくて、責任感に押しつぶされそうで、それでも自分を変えられなくて、「もう頑張れない」になっちゃった。
問題は「責任感」にある。
人一倍責任感が強いと自分を追い込む方向ばかりに進む。
愚かな。
自分の長所である「責任感の強さ」に押しつぶされそうになっているような状態。
哀れなり。
そんな責任感なんてぶっ壊してしまえばいい。
「誰かに迷惑をかけてしまう」とか「信用を失う」などはこれからの結果次第でいくらでも取り戻せる。
今の状況を維持する為にこだわって、自分を抑えて、我慢している方が辛いだろ。
お前は一国を背負う大統領か?
お前は世界の病気を全て治せる医者か?
大企業の役員か?
国会議員か?
天皇か?
最高指導者か?
あ?
お前の立場は一般人だ。
それなのに責任感だけは神の領域に達してる。
辛いに決まってるだろ。
今必要の無い責任感なんてぶっ壊してしまえばいい。
責任感が強いのは決して悪い部分じゃない。
確実に良い部分だ。
これから先その責任感が役に立つ時が必ず来る。
人の上に立つような存在になればきっと力を発揮する。
でも今じゃない。
だって「もう頑張れない」って思ってるから。
だから一回ぶっ壊して、改めて必要になった時に、大いに力を振るえば良いじゃないか。
私は器用じゃない。
でもそれなりに逃げたり戦ったりしながら生きてきた。
まだ大きな結果は残せていない。
家族が出来て、守るものがあって、責任を感じる事も多くなった。
でもそれは自分にとって必要な責任感だと思っている。
そして何より、それなりの幸せを感じている。
正解だと思う?
間違いだと思う?
私にとっちゃどっちでもいいのだ。
自分がそれなりに幸せなら、これから先その幸せをさらに大きくしていくだけ。
今の自分にとって本当に必要なものをシンプルに見極めていきたい。
ダメならまた考えればいいさ。
「世の中にはそういう人もいる」って知っておいてほしい。
大した取り柄もない私のような人も幸せを感じながら生きている。
自分の価値観だけしか知らなくて、それしか信じられないんじゃ、生きるのが窮屈で辛くなる時があるんじゃないかな。
責任感が人一倍あるもんだからさ。
「もう頑張れない」って思うほど頑張れるなら、何度だってやり直せるだろ。
私よりよっぽど偉いよ。
無駄なものを背負うな。
邪魔な責任感ならぶっ壊せ。
それでも今をなんとか生きている私が言うんだから問題ない。
背負えないもんを背負わなきゃいけないルールなんて無い。
逃げたきゃ逃げていいんだよ。
最後に最高の結果を出せば勝ちだ。
どうか感想をください。