友達がいらないと感じる時がある。それは自分が違うからではない。
変わるタイミングを迎えたのだと思う。
自分が変わればそれと共に付き合う人も変わる。
気が合わない。
話が合わない。
価値観が合わない。
合わないならいらない。
いらないっていう響きが悪いだけ。
正確には必要としない状況になっただけ。
問題は必要とか必要じゃないとかよりも自分の価値観を大切にしていくことだと思う。
その方がストレスも溜まらない。
無理をしなくてもいい。
問題も起きづらい。
悩む時間も最小限になる。
今は変わろうとしている自分の心に耳を傾けるべきだ。
友達がいらないと感じるのは大きな変革を目の前にしているからかも。
友達がいらないと感じるのは決してネガティブなことではない。
むしろポジティブ。
自分が変わる。
環境が変わる。
その前触れなのかもしれない。
誰だって友達は選ぶよ。
さすがに付き合いたくない友達とは離れたい。
周りにそういう人ばかりだったら「もう友達いらない!」っていう気持ちにもなる。
そうじゃなくても。
ここ重要。
そうじゃなくても自分が変わるタイミングで友達が必要ないと思う瞬間がある。
別に今後一生友達がいらないかと言われればそれはわからない。
わからないけど今考えている主張くらいはさせてほしいのだ。
別にいつものわがままだと考えてもらってもいい。
友達が必ず必要というわけでもない。
社会の中では必ず人と人が交錯し合っている。
だから友達なんていらないっていうタイプの人もいる。
逆に友達が100人以上いる人だっている。
一人だけだっていう人もいる。
友達がいないという人だっている。
問題なのは、
どうしてそうしているか?
っていうことであって自分と違う考えを持っていることを否定しちゃいかんのです。
自分にとってどのような利益があるのかは人それぞれ。
様々な考えがあってこそ。
別に友達がいないからと言って人様に迷惑をかけているわけではない。
友達がいなくても大金持ちになれる。
友達がたくさんいても大金持ちになれる。
友達が「いる」「いらない」と考えていることが問題なのではなく、
そうすることで自分にとってどんな利益があるかの方が大事。
これからの人生を自分がどれだけ心地よく生きていけるかの方が大事。
幸せを感じていないのに「友達必要!」とか「友達いらない!」とか考えている場合ではない。
まずは自分の幸せを最優先すべき。
その上で「友達いらない」と判断する。
逆に「友達必要!」と考えている人も結局は同じ想いなのではないだろうか。
自分が幸せでいる為に、
「友達が必要なのか」「友達がいらないのか」を判断する。
ごく自然。
世間体が問題だと思ってる。
「友達いらない」と言うとどうしても逆の意見が多い気がする。
気がするだけかもしれないけど。
でも、
「友達たくさん作るよー!」
の方がなんかポジティブな響きに感じませんか?
するのです。
それが世間体。
この感覚は間違いなく持っておいた方がいいものです。
「世間体なんてくそくらえだ!」
と言いながら社会の方向性を逆行したいわけではありません。
社会の中で普通に生活をしながら「友達いらない」と考えただけなのです。
だってですよ。
最近となっては情報の共有は様々な場所で出来る。
実際に友達と話をするだけよりも広い範囲でその情報を集めることが出来る。
インターネット上には嘘みたいなことも書かれてはいるかもしれない。
それでも十分に活用出来る情報の量。
誰かと一緒にどこかで喜びを共有する事は出来ない。
これは本当に出来ない。
でも、
その部分に興味がなかったら?
どうでしょう。
友達いらなくない?って考えませんか。
それ以上に自分がこれからの人生をどうやって生きていくのか悩み、それに対してせっせと努力をする時間にする。
例えば勉強。
例えば仕事。
例えばマンガを読む。
例えば鼻をほじりながら布団でゴロゴロする。
友達がいない方が進むことだってたくさんあるわけです。
それを自分にとっての「得やん」と考えるのなら「友達いらない」って普通に考えるのです。
でも世間体は全部をオールマイティに出来る方。
友達も勉強も仕事も。
全てが充実していることが世間体として良し。
わかっておる。
それが出来ないから困っておるのじゃ。
全部は無理。
これは本当に無理だから。
全部出来る人の方が絶対に少ないから。
友達がたくさんいて、勉強も出来て仕事も出来てスポーツも出来る。
出木杉くんしかいないから。
俺は無理だー。
のび太ー。
でもね。
家族は本当に愛している。
命を懸けて守りたいと思っている。
だから世間体は目をつむってほしいと思っている。
今後友達が必要か必要じゃないかはどうでもいい。
そこが問題じゃないんですよ。
友達ってそもそも「さあ作るぞ!」っていう感じではない。
似たような価値観や似たような目標を掲げ、そこに切磋琢磨しながら進む仲間。
「よっしゃ!友達作るぜー!」
って思わないから。
なんとなく傍にいて、なんとなく共感してを繰り返していく内に作られていく感情。
その感情が相手を「友達」だと感じさせるのです。
自分は友達だと思っていても相手は友達だとは思ってないパターンもある。
今後はどうとかではなくて、単に共感出来る人が近くにいない、見つかるようなものじゃない、見つけに行くような気持ちにもなれない、だからいらないっていうパターン。
「じゃあお前は一生友達作らないんだな!」
とか言われると「そうじゃないからー。」と思うわけです。
逆に言いたくなるのです。
「じゃあ友達を作って不幸になった時は責任取ってくれるのか!」
と。
無理やり自分がやりたくないことを強制されているような気がするのです。
やりたくない事に一生懸命になるのって難しい。
自分には出来ないのです。
それでストレスを抱えて生きていくのってどうしても考えられないのです。
問題は世間体も周りの人達の事も考えて、
「友達いらない!」
って口に出す事。
自分の中で思って、考えて、そう行動しているだけなのです。
だから「友達いらない」って考えて、それに伴った行動をする事は恥ずかしいことじゃない。
むしろ今後の自分に自信をつける為にも、幸せに生きていく為にも必要な考えだと思っている。
そういう人もいていいと思っている。
別に寛大なわけじゃない。
「友達たくさん作るー!」っていう人も同じように自分の幸せの為に考え、行動しているだけ。
一緒やん!
必要とか必要じゃないとかじゃないやん!
その前の段階で決まってる事やん!
別に普通に幸せだよ。
言いたいのは、口には出さないけど、「友達いらない」って思うのは普通ってことです。
特別すごいわけでも特別ズレてるわけでもない。
自分の利益を優先して何が悪い!
と。
我慢して人付き合いして、ストレスを溜めて、自分が社会から疎外されている感じがして、なんだか隅っこにいるような雰囲気になる方がヤバいだろうが。
そういう人を作り出すのが世間体だったりするのだ。
だから別に普通。
普通に「友達いらない」って思ってても社会の中で自信を持って生きていける。
むしろその方が幸せだっていう判断をしただけの話なのです。
自分にとっての幸せを最優先に設定しなければ誰かの幸せを願うことも出来ない。
エゴの塊なのです。
私なんて特にそうなのです。
でも「友達いらない」って思っていることで不幸になるとも思っていません。
どんな考えを持っていたとしても、いつも自分が幸せでありたいと思っているし、
家族が幸せを感じていてほしいと思っている。
友達の量や質で人の良し悪しを決めるのは違う。
友達がいてもいなくても、自分が幸せでいることの方が大切だ。
自分を大切にするっていう条件に「友達の数」なんて含まれてねー!
どうか感想をください。