本当は「やらなくてもいい仕事」がたくさんある

仕事

今、主従関係でむしゃくしゃしている。

会社に雇われているだけでもすでに主従関係が成り立っているような気さえする。

 

「どっちが上?」

 

っていうことになる。

私が思うに、基本的にはどちらも上。

下なんていうのはあってはいけない。

 

でも、ある。

 

これは間違いなく作られる。

そうじゃないとうまくいかない場面だってある。

本当は上下関係なんていうのは作るべきではないけど、あった方が都合が良い時もあって、その場面ごとに使い分けされることがしばしば。

 

ある会社では年功序列を大切にしているが、あまりにも能力が高い若者は優位なポジションに立つ。

ある会社では年齢関係なく能力が高いものが高い役職に就くが、結局年齢が上の人に指示される。

 

決まりがあるようでない飽和状態。

 

育った環境にもよるが、小さい頃から年上は敬うように言われてきた。

だからいくら能力が高くても年上の指示には従う習慣を持っている。

でも後輩はその逆。

能力が高い者が指示をするのは当然だと考えている。

 

会社も能力が高い者が高い役職に就くのは当然だとしている。

 

私は困っている。

正直正しいのは会社が決めた方針だと思う。

でもそういう環境にいたことが無い私にとっては戸惑いが生まれて当然。

そんな私を見て、同僚は

 

「年上なんだから役職が上でもちゃんと言った方がいいぞ?」

 

とアドバイスをする。

 

私に与えられた仕事はどうやら「仕事だけ」ではなさそう。

 

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どこまでが仕事なのだろう。

人間関係。

仕事内容にもよるが、職場に出勤して、他の同僚とデスクを並べる。

一日中外にいるような仕事ではあるが、取引先へ行ったり来たり。

 

与えられた仕事とは無関係に人間関係を必要とする場面はある。

 

結局その人間関係を蔑ろにしてしまうと本来の仕事にも影響が出る。

だからなんとなく人間関係を築く努力はする。

または同じ職場にいるだけで自然に築き上がったりする。

 

「相手」がいなければ成り立たない仕事はたくさんある。

世の中にある仕事のほとんどがそうだと思う。

仕事内容の中に人間関係は含まれている。

または必要だと考えられている。

 

人間関係を疎かにすればそれなりに苦労する場面も出てくる。

 

正直なところ私は「必須ではない人間関係」をひどくめんどくさいと感じてしまう。

必要最低限の人間関係の線引きはわからないが、仕事の時間だけではなく、プライベートでも関わりを持つようになれば最悪。

休みが休みじゃなくなると感じてしまう。

ただ、そういうのも経て偉くなる人や役職を上げていく同僚を何人も見た。

 

仕事も人間関係もうまくいっている人の方が会社は評価をしてくれるらしい。

 

それに意義を申し立てたいと思うこともあれば「やっぱりそうだよな」と思う時もある。

そうこうしている内に、もう一人、同僚が役職を上げていく。

 

やっぱり仕事だけじゃなくて、人間関係も大切に出来る人をこの会社は求めているみたい。

 

残業。

「ノー残業」が一般的な考え方になりつつある。

私も大賛成。

正直仕事よりもプライベートを充実させたいタイプの私にとってこれほど良い知らせはない。

会社の利益が少なることは望まないが、自分の出勤時間が少なくなる分には最高にうれしい。

 

ただ、その中でも自ら残業を申し出て、「もう少し仕事がしたい」と言い出す人もいる。

 

もちろんそのあたりは自由だし会社だけでなく家でも仕事がしたいならすればいいと思う。

ところが、私が勤めている会社では仕事以外の時間に仕事をするのは喜ばしいことらしい。

ノー残業を推しているわりには喜ぶ。

「頑張っているな!」

と褒める。

残業したくないタイプの私にはそれは罠のような気がしてしまう。

「残業はダメですよ!」と言いながら「頑張ってるな!」とも言う。

 

意味がわからない。

 

まるで「今残業をする方がお得」のような空気感。

先輩方はもちろん「残業が当たり前」世代を生きてきた人たち。

会社に遅くまでいる方が「頑張っている感」は間違いなく、出る。

そういった世代の人たちがいなくなれば空気感は変わるのかもしれないが、

「そうじゃない世代」との間にいる私にとって居心地は良くない。

 

泣く泣く残るを選択するのか、それとも「規則なんで!」と言って帰るのか。

 

いつも悩まされる。

会社が決めているのにも関わらずそうならない現状を望むっていうのはどんな状況だろう。

単純にその人の仕事が遅いだけなんじゃないかと思ってしまう。

 

子供の頃から学校が終わったら解放されたような気持ちになってすぐさまランドセルを放り投げて遊びに行っていた。

大人になった今、

ビジネスバックに形を変えたランドセルを放り投げて遊びに行きたい。

私はあの頃からなにも変わっていない。

社会の「良い」「悪い」に流されながら食らいついて頑張るしかない。

 

それにしてもコロコロ変わるから疲れる。

 

誰かの仕事。

そもそも自分に与えられる仕事には限られた範囲がある。

部署ごとに分かれている事もあるし、その中でさらに細分化されている仕事もある。

そんな中、自分の守備範囲の枠を超えて、手を付けなくてはいけない事がある。

 

その仕事をしてもしなくても給料は一緒。

 

普通に考えたらしないタイプの私。

それでも他にやる人がいないからとお願いされる。

断れば上司の仕事が増えるか他の人にお願いするのだろう。

 

そんな時、私は断れない。

 

給料面で得があるわけでもないのに断れない。

 

上司も長い間傍にいたのだからそれはわかっているはず。

 

「こいつはお願いされると断れない。」

 

やることになる。

やることになっただけでなく、それがうまく出来ない時にいちゃもんまで付けられる。

これが「社会人あるある」であることを願うばかり。

傍から見たら「ただのアンラッキーボーイ」に見える。

 

そんな時にさらに追い打ち。

同僚から、

「断って良いと思うよ?」

 

じゃあお前がやってくれ。

これをやったところで自分に得が無いのはわかっている。

むしろ上司は「こいつに頼んどけば大丈夫だ」とか思っているに違いない。

だから人員を増やすつもりもないのだろう。

人事が緊急だとは感じていない。

同じ給料で自分だけ仕事の量が多い。

 

これは私の仕事ではない。

 

私が得たものは「仕事量の増加」。

上司が得たものは「自由な時間」。

 

お互い給料に変化が無いのなら少しばかり給料が高い上司がやってほしい。

 

忠誠心。

私は給料を受け取る為に働いている。

人によってはこれから独立を目指す為に人脈も確保したいと考えているかもしれない。

または、社内でのステップアップを考えているかもしれない。

 

私の頭はいつもシンプル。

 

お金を得る手段。

仕事はプライベートを充実させる為のツールだと思っている。

 

もちろんそれを誰かに生々しく話すことはない。

が、

心の片隅でいつも思っている。

だからお願いされためんどくさい仕事も、一応こなすが心では「てめー。」といつも思っている。

私はいつもそうやってこの世界を生き抜いてきた。

誰かの顔色を伺いながら、ペコペコしながらニコニコしてる。

話を振られればそれなりに面白い話のひとつやふたつは用意してある。

 

もちろん本来与えられている仕事の中に「面白い話」など入っていない。

 

ところがそんな時が来たら使わなくてはいけない。

シューティングゲームのボムのようなもので、いつも抱えている。

それを出してしまった時は新しいボムネタを探さなくてはいけない。

そうやって生きてきた。

 

友人には「それは疲れるんじゃない?」と言われる。

 

でも今までそうやってきたのにいきなり変えられるとは思えない。

意識しても気が付けば元に戻っている。

「変わりたい」と思っても変われない。

 

だからペコペコニコニコしながら今日も頑張るんだと思う。

そうやって誰かに評価されるしか能が無い私は、いつまでたっても仕事はプライベートを充実させる為のツールと考える。

仕事が楽しくないならプライベートを充実させないとやっていけない。

 

偽りの忠誠心を持って、今日も会社に行く。

今日と明日を繋ぎ止めておくだけで精一杯。

 

それでも不思議と「なんとかやっていけそう」とは思っている。

やらなくていい仕事で鍛えられたのだろうか。