「お金がない」と思っているだけじゃお金は増えない。
お金は基本的に減る。
本国では息を吸っているだけで減っていく。
だからお金を稼ぎ続けなければならない。
これはもう決まっていること。
だからどうしようもない。
税金に文句を言っている時間はない。
消費税率が上がることに文句を言っている時間はない。
「お金がない時に限って」文句を言いたくなる。
そんな世の中でもめちゃくちゃ大金持ちはいる。
なぜかいつの時代もお代官様がいる。
そういう人達にとってお金とはどんな価値があるんだろう。
いつも手元にあるから「お金がない」とか思わないのかもしれない。
我が家にはお金がない。
全くないわけじゃないけど余裕で「お金あるわー」とか言えない。
だから今日も働く。
お金を稼ぎに行く。
「お金がない」っていうのは最強のストレスかもしれない。
生きている以上大金持ちにでもならなければこのストレスから解放される術はないのかもしれない。
それか、圧倒的に安心出来る収入源があるか。
どれだけ多くの人が「お金」に対してストレスを感じているのだろうか。
もはや無限ストレスの中にいるようなもの。
ただ、
私は聞いたことがある。
ある優秀なお金持ちは子孫にお金を残さないらしい。
自分が生きている内に全部使ってしまおうと思っている。
理由は、
「お金を稼ぐのは楽しいこと。そんなに楽しい事を自分の子孫から奪いたくない。」
だそうな。
お金持ちにしか言えないセリフだと思った。
私は死ぬ間際にそれを言えるだろうか。
言い残すなら、
「お金を稼ぐのは大変だ。苦労しないように残してあげよう。」
しか思い浮かばない。
「お金がない」からの脱却。
お金は結果と成果。
お金は結果と成果によってもたらされる。
働いた結果。
何かを売った成果。
誰かを喜ばせた結果。
何かを作った成果。
お金を稼ぐ方法はたくさんある。
めちゃくちゃいっぱいあるのにも関わらず、考え方は全て「仕事」となる。
だから窮屈な感じがする。
余計にストレスを感じる。
「仕事」と考えると重たいのだと思う。
背負ってる感じがする。
やりたくもないのにやらなきゃいけない感じがする。
我慢してやる感じがする。
それだとストレス。
「仕事」に対してすでにストレスを感じているのに、その結果や成果だと考えるとさらにストレス。
ストレスの重複。
だからお金を稼ぐのは「仕事」と考えるのはやめようと思った。
結果と成果だけ。
自分が何かをこなし、それに対して出た結果や成果だと思うようにした。
今すぐに収入が絶好調になるようなことじゃない。
でも結果と成果が全てならそれなりに頑張れるようにはなった。
頑張ったら、頑張った分だけ、
結果も成果も少し楽しみになった。
仕事とは生きること。
お金と仕事がくっついているような感じがしていたからすごくストレスだった。
だけど今は別々に考えられるようになった。
結果はすぐには出ない。
テストの点数と一緒。
勉強しなければ良い点数は取れない仕組み。
努力を重ねて結果を出していくしかない。
カンニングは楽かもしれないけどリスクの方が大きい。
結果がお金であれば今すぐに結果が出せないのは明らか。
その為の努力は毎日のようにしなくてはいけないのだと思っている。
結果が出れば、
楽しい。
成果が出れば、
嬉しい。
確かにそれを奪ってしまったら人生の「楽しみ」が減るのかもしれない。
その楽しみを「仕事」というイメージがぶち壊していた。
だから「仕事」の考え方を変えようと思った。
人が人でいようとすることこそ「仕事」だと考えるようになった。
食べることも寝ることも楽しむことも仕事。
生きている事が仕事。
頭の中がシンプルになった。
自分は結果を出し続けるだけ。
それだけで成果も頑張った分だけ付いてくる。
テストの点数程努力する部分がわかりやすいわけではない。
むしろどこをどう勉強するかの範囲は無限。
どこをどう努力するかの範囲も無限。
余計に迷うかもしれないけど。
追う結果。狙う成果。
お金を稼ぐとは自分がしたこと、続けてきたことへの結果と成果。
分かりやすい努力の結果と言えば資格。
勉強して資格を取得する。
テスト勉強と同じくらいわかりやすい。
ただ、人は世の中にある資格という資格を全て取ったりしない。
自分が追い求める結果に沿った資格を取ろうとする。
取得した資格の先に大きな結果や成果が待っていることを調べて、理解した上で臨む。
大きな結果を得られるチャンスがあると考えればその資格を取得する。
正直親切設定だと思う。
分かりやすくその資格を持っていれば「こんな稼ぎ方が出来ます。」と教えてくれているようなもの。
勉強すればその分の結果も成果も出やすい。
すでに証明されている、または保障されている結果や成果。
優遇されるであろう資格を取得した人はある程度の安心を手にする。
当たり前。
それだけ頑張って勉強して、努力して、取得した。
なかなか獲得出来ない資格がより優遇されるなんて当たり前。
弁護士、医師。
頑張って努力して勝ち取った結果と成果。
その分の安心があって当たり前だと思っている。
ただ、
世の中には資格はないけど爆発的にお金を手にする人もいる。
弁護士や医師でなくても「それが出来る」と証明してくれている。
資格が無くても弁護士や医師と同じ、またはそれ以上にお金を稼ぐことだって出来る。
少し考えただけでもちらほら該当の憧れの人が出てくるはず。
その人達だって頑張って、努力して、誰かを喜ばせたり、何かを達成したりした結果と成果でお金を手にした事に違いはない。
夢を夢で終わらせない努力があったはず。
職業が無限にあり過ぎて、どの範囲を、どれだけ頑張ればいいのかわからないだけ。
大きな結果や成果を得られる人は常に「追う結果と狙う成果」が決まっている。
それに向かって突き進んだ結果。
捉えた獲物が大きいのか小さいのかだけ。
決めてしまえば後は進むだけだと思っている。
いや。
わかってはいる。
出来るのにやらない。
ほとんどの人が努力の先で得られる結果や成果を知っている。
小さい頃から少し勉強をして、その後、テストに出て来る問題でわかる部分が増えた記憶はあるはず。
勉強する前はわからなかったけど勉強したらわかることが増えた。
私はその頃の結果と成果が原点だと思っている。
いくらやりたくない勉強でも、やれば少しはわかるようになる。
頑張って理解しようと努力すればそれなりの結果は後のテストの点数として付いてくる。
効率よくテストに出る部分だけを狙ったつもりが予想を外し、「意味が無い勉強だった」と思うこともあるかもしれないが、それは今回のテストの狙いを外しただけであって、後々高得点へ繋がるかもしれない。
そもそも狙い撃ちをするのではなくて、全範囲をまんべんなく勉強して覚えていく努力をしていれば常に高得点を取れる。
その為には普段から勉強という努力を続けていなくてはいけない。
一夜漬けで一時的な努力でも結果を出せるのに、それを毎日続けることの威力はどのくらいだろうか。
知っているのにやらない。
出来るのにやらない。
「やれば出来る。」
はみんな一緒。
それでもやらない人がいるから「出来る人」が突出して目立つ。
「出来る人」を支えているのは「やらない人」であって、みんながみんなやっていたら目立たない。
全ての人がテストで100点を取るのならテストの意味などない。
むしろテストなんていらない。
出来て当たり前になる。
でも0点を取る人もいれば50点を取る人もいてくれるものだからテストは無くならない。
数字にしてしまえばその人の力量もわかりやすくなる。
だから無くならない。
その現状の中で、毎日ちゃんと勉強をして、努力をして、100点を取り続けられる人がいる。
やらない人のおかげで、その人は毎日の生活をルーティーン化することが出来る。
「この時間にこれだけ勉強すれば問題ない。」
決まった勉強の量で十分な点数を取れる。
そんなに楽な事はない。
結果的に毎日努力をしている方が後々楽になる事がわかっているのにやらない。
やらない人がいるから毎日努力を積み重ねる人が「結果と成果」を十分にもぎ取れる。
私は「出来る人」になりたいとずっと思いながらも「やらない人」でいる。
出来るのにやらない。
たぶん裏と表くらいわかりやすい変え方をすればいいのだと思う。
毎日少しでも頑張るか、頑張らないか。
今お金がない理由なんてとっくの昔から知っていた。
どうか感想をください。