中学、高校、大学。
「進学する!」と決めたなら多くの人が「合格しなきゃ意味がない」と思ってる。
そりゃ合格するのが目的なんだから自分を追い込む為にも「合格しなきゃ意味がない」と思って当たり前だ。
でも意味がないわけじゃない。
そもそも受験をする前に目指している学校がどれだけ今の自分にとって大きな目標かどうかは知っていたはず。
進路指導もあっただろうし。
学力テストでどのくらいの点数が必要なのか。
面接ではどのように自分をアピールすれば良いのか。
志望校の過去問を攻略。
学校や予備校の先生からのアドバイス。
受験に向けた準備の全てが奇跡を真っ向から否定する自分の努力で作られていたはず。
言っちゃ悪いが、受験に「奇跡」なんて起こらない。
特別な裏口が無けりゃ実力主義に決まってる。
入試の結果が全てだ。
敢えてキツイ事を言うが、受験に落ちたのは偶然じゃない。
必然。
で、それが実力。
落ちたもんは落ちた。
それ以上でもそれ以下でもない。
問題は受かったか落ちたかよりも、「実力を出し切れたかどうか」しかない。
悔しかったらまた挑戦すればいい。
長い人生の1年や2年くらい受験にくれてやれよ。
「今しかないんだ!」って自分を追い込むのは良いけど、君の人生が「これから」なんてのは言われなくてもわかるだろ。
いいか?
受験に夢なんて見るな。
奇跡なんて待つな。
精神論なんて持ち込むな。
超実力主義の現実だと再認識しろ。
泣きたいなら泣けばいいし、悔しい想いを抱くのも変じゃない。
でも、リアルな人生はまだまだこれからずっと続いていく。
一度冷静になれ。
人生は終わってねぇ。
終わったのはこれから無数にある出来事の中のたったひとつ。
受験だけ。
それが心底理解出来たらこのブログを読み進めてみてほしい。
本当に悔やむべきなのはどこだ?
受験にはお金がかかる。
家族がそれを負担している。
わかってはいるけど、受験にかかる費用は親や家族の誰かが負担してくれるものだと思っていたりする。
塾、教材、交通費、受験費用。
出してもらって当たり前。
それらは戻ってこない。
そしてそれらはビジネス。
毎年毎年それらの受験費用は繰り返しどこかの誰かの家族から搾取されている。
寝ていても受験生は毎年繰り上がりで現れる。
「合格する可能性を少しでも高めよう」と思う子供や親の気持ちをガッツリ掴んでビジネスとして成り立っている予備校。
高校生になれば「予備校に行くのが当たり前」のような雰囲気の中で生活するようになる。
で、結果はどうだった?
不合格、受験には落ちた。
実力不足で。
私は思うのです。
確かに「受からなかった事」は悔しいんだけど、それらの費用が無駄になってしまった事も悔しくないか?
「予備校に行けば受かるかもしれない」「教材を買えば勉強もはかどる」「受かるかもしれないからとりあえず受けよう」って考えからどんどん家族がお金を使っていく期間。
どれもこれも受かるつもりでやったんだけど、結果はダメだった。
お金ってのは凄く大事。
今は学生だけど、大人になれば多くの人がお金を使うよりも稼ぐ事に必死になる。
親になれば尚更だ。
家族を養っていかなくちゃならない。
だから必死にお金を稼ぐ。
親が必死にお金を稼ぐのに対し、子はそれを湧いて出る水の如く使うのだ。
それでも結果が出なければ悔しい。
きっと親は言わないだろう。
「お金が無駄になってしまった…」
そんな事言うわけがない。
だって自分の子供が、自分の家族が、落ちた事に落胆しているんだから。
でも、実際は無駄になったのだ。
現実から目を逸らすな。
受験に備え、準備を進めてきた数々の事でお金を使っている。
それは事実。
それを無視して「自分が受からなかった事」だけを悔しがるのか?
そんなバカな。
受験に向けて使ってきたお金が無駄になってしまった事も悔しがれ。
「このままでいいわけがない」と自分を奮い立たせろよ。
それが現実なんだよ。
どんな学校へ進学しても、大人になればお金を稼ぐ道を歩んでいく。
お金の有難みやお金の重みを知る。
現実は受験だってお金で動いている。
ビジネスとして成り立っている。
受験に受かればお金が稼げるのか?
違うだろ。
受験に受かろうが落ちようが使ったお金は返ってこないんだ。
そしてどんな道を進もうがこれからお金を稼いでいかなくちゃならない。
お望みの学校に進学出来た奴が本当に幸せか?
それだけで本当に幸せになれると思うか?
お望み通りの進路に進めた事は本当の幸せではない。
お望み通りの進路に進めない事が本当の不幸ではない。
自分が使ったお金の重みを忘れ、「落ちた…」と落胆するだけが悔しさなのか?
今必要なのは感謝だ。
受験までの道のりを支えてくれた多くの人に、そしてそのお金を負担してくれた家族に感謝しなくちゃならない。
その恩が「合格」だけで返せると思うか?
借金が感情で返せると思うのか?
世の中はそんなに甘くない。
親は「教育にかかる費用は借金ではない」と言うかもしれない。
でも悔しがらなきゃ成長は無い。
悔しがれよ。
借金を抱えるだけ抱えて結果を出せなかった企業と同じくらいの危機感を持たなきゃダメだろ。
じゃないと何度挑戦しようが失敗する。
受験だけじゃない。
今後の人生で「返さなくてもいい借金」など存在しないんだ。
それがリアルなんだよ。
だから、今後、もう一度進学に挑戦しようが、違う道を選択しようが、どちらでも構わないが、「あの時使ったお金を必ず返すんだ」って気持ちを持たなくちゃいけない。
家族は「そんなのいいよ」と言うかもしれないけど、将来何倍にもして、親孝行として、家族孝行として、そのお金を返したり、旅行や好きなモノを買ってあげたりしなきゃ。
合格すら返せなかったんだから、今後、必ず合格した奴以上の孝行が出来るようにならなくちゃならない。
悔しがるのは受験の結果だけじゃない。
もっともっと悔しがらなくちゃならない事があるんだよ。
そして、今回受験に失敗しようが、それらの孝行は将来的に取り戻せる。
それもリアルなんだよ。
本気の悔しさがあれば、必ず出来る。
もっと自分の将来を信じろ。
受験なんざ悔しさをバネにこれからを生きていく切っ掛けでしかない。
どんなに考えても受験で人生は決まらない。
子供の頃の喧嘩と言えば腕力や学力が全てだ。
そのくらいの知恵しかない。
だから先に言っておく。
大人になると喧嘩は金になる。
金を持っている人が偉いし、強い。
本当の中身は愛や人柄や感情なんだろうけど、表面上の評価はほぼお金になる。
これもリアルなんだ。
大人になって痛感するだろう。
お金がなくちゃ何にも出来ない。
凄く不自由になる。
夢だって限られる。
大人になるとよくわかる。
「お金を持っている人が強いんだ」って。
学生の頃の時間なんてのはハッキリ言って、短い。
お金を稼ぐようになってからの方が圧倒的に長い。
そしてお望み通りの学校に行けたところで「将来お金に困らないか?」と聞かれれば答えはまだ謎。
本人の努力と継続とアイデアでいくらでも変えられる。
たかだか人生の3年や4年通うだけの学校で人生が決まると思うか?
私は思わない。
むしろ何も決まらないと思っている。
だって、進路を決めるのは自分だから。
どの学校に行っても「お金の稼ぎ方」は教えてもらない。
せいぜい「先生のなり方」や「学校の経営方法」くらいなものだろう。
つまり、大人になった先生方もお金の稼ぎ方はいくつかの選択肢しか知らないのだ。
学びたい事があるのは素晴らしい事だし、進みたい道があるのも素晴らしい事だと思う。
夢や目標がある事も素晴らしい。
ただ、大人になれば必ずお金を稼がなくちゃならない。
私が思うに、少し先のどんな進路を選ぶかよりも、自分の将来のビジョンがハッキリしているかどうか方がよっぽど大事だと思う。
お望みの学校にそれがあるのなら浪人でも編入でも再チャレンジでもすればいい。
でもそうじゃないなら違う選択肢の中から将来のビジョンが明確になる進路を改めて選んだ方が良い。
君の大切な人生が受験なんかで決まってたまるかよ。
どんなに考えたって受験なんかでこれからも続く貴重な人生が決まるわけがない。
受験まで全てを懸けて頑張ってきたのはわかる。
わかるけど、受かろうが落ちようが、君の人生はいくらでも素晴らしいものに出来る。
自分で作るんだよ。
受験やその結果で作られるんじゃない。
自分で描け。
10年後の真っ白なキャンバスに今から筆を走らせろ。
受験の結果で10年後の君が決まるわけがない。
自分で作っていくものなんだから。
本当に楽しい時間を知ってるか?
受験を迎えるまでの間、多くの学生達が勉強へのストレスや受験へのストレスを抱える。
そして「もし受かったら」「もしダメだったら」と少し先の未来まで予想する。
「受かったら自由だ」と思う人もいれば「落ちたら地獄だ」と思う人もいれば「受かってからもっと頑張らなくちゃ」と思う人もいれば「落ちたらまた考えよう」と思う人もいる。
様々な感情があって当たり前の受験だけど、「楽しみ」はどこか遠くの存在になってしまう。
受かれば天国。
落ちれば地獄。
どっちも今の「楽しみ」は無い。
何の為に勉強しているんだろう。
何を学びたくて進学を選んだのだろう。
その先に自分が本気で「楽しい!」と感じられる時間を作り出せるか?
そもそも進学先に自分が本当に「楽しい!」と思える時間が作り出せる自信があるなら、受験までの勉強は苦しいものじゃない。
むしろワクワクしているはずなんだよ。
それなのにほとんどの受験生が「苦痛やストレス」の中で勉強をしてる。
自分の将来にワクワクする感覚を持っていない。
それじゃあどんなに勉強したって身につかないに決まってる。
私は、リアルな話をすると、勉強よりも友達とゲームをしている時間の方が好きでした。
だから勉強ばかりの受験シーズンは苦痛でしかなかった。
もし、あの時、受験とその先の未来の自分の生活に、「友達と一緒にゲームをするようなワクワク感」があったなら、勉強に対してもっと違う感情を抱いていたかもしれない。
受験に受かろうが落ちようがこれから先自分が本気で「楽しい!」と感じられるような時間を作り出せるかどうかの方が大事。
実はこれから先の選択肢は無限にある。
進学だけが選択肢ではない。
いくらでもある。
普段の生活の中で感じる素直な「楽しい」に一度想いを馳せてみてほしい。
その先に本当に勉強したい事が待っているかもしれない。
今、受験に落ちたとしても、勉強しなくちゃいけない理由がハッキリするかもしれない。
だって、自分が心底楽しいと思える事に対して「苦しい勉強」とは感じないはずだから。
むしろワクワクするはず。
「辛い方を選ぶ」とか「楽な方を選ぶ」とかそんな簡単な選択ではない。
将来の自分と、必ず必要になるお金を繋ぐヒントがそこに眠っているような気がするんです。
もっと考えろ。
自分の将来にこだわれ。
自分の未来を最高に「楽しい!」って思える方向へ進めろ。
その為の今が辛くても、それは我慢じゃない。
それは勉強じゃない。
飛び立つ為の加速だと思うべきだ。
飛行機なんて一度飛んでしまえば、そこからは多くの燃料は使わない。
力を使うのは飛び立つまで。
「飛べる!」ってわかってりゃ全力で加速するでしょ?
それって自分の人生にしてみれば「未来」なわけです。
もっとリアルに自分の未来を想像しよう。
その先にあるワクワクに胸を躍らせよう。
今頑張る事や、これから頑張る事はその為の助走だ。
受験なんて加速方法の一つに過ぎない。
それが無くても人は飛べる。
どこまで自分の将来が見えてる?
中途半端な助走じゃいつまで経っても飛べないんだよ。
最大の加速が必要になる。
受験の失敗すら加速燃料にしてしまった方が良い。
本当に楽しい未来はこれから作っていくんだから。
見つけた衝撃と目指す衝動こそ実力を伸ばす原動力だ。
私は勉強が好きではなく、得意でもない。
人によっては「勉強はやれば誰でも出来る」と言うだろうが、私はそう思わない。
だってやっていても面白くないから。
問題は「面白くない」って部分。
勉強をして、将来の自分がどう成長するのか想像出来ていなかった。
だから目の前にある勉強が苦痛になる。
もし、勉強をする前に、将来的に理想の自分が想像出来ているのなら、勉強は苦痛だが一生懸命になれたのかもしれない。
例えば「医者になりたい」って夢があって、医者になる為に何が必要かを考えた時に、「医大に入る」という選択肢しかないとする。
夢を叶える為には勉強して医大に入らなければならない。
そうすれば勉強する。
その勉強は苦痛ではなく、自分のレベルアップを意識して取り組める。
分かり易くゲームで例えるなら、ラスボスを倒す為に必要な経験値や武器や防具を手に入れる為にゲームの中で時間をかけてレベルを上げるような感じ。
現実世界はゲームの世界と全く同じではないけど、仕組みは同じ。
自分が成し遂げたい目標の為の努力が勉強であればそれをやる。
ただ、ゲームはすでに誰かの手で作られた物語であって、正解の道がわかりやすい。
その点、人生は不思議なダンジョンだ。
ひとりひとり全く違う物語を進めていかなくてはいけない。
ただ、その中でラスボス(夢や目標)を見つけると、そこに向かって経験値を積んでいく流れになる。
自分の人生はRPGで、クリア条件を発見する衝撃はゲームのように面白い。
将来の自分がどうなりたいのかリアルに想像してみてほしい。
受験の後、今後、どうなりたい?
リアルに想像しよう。
出来るか出来ないかじゃない。
自分がどうなりたいかが大事。
将来がリアルに想像出来ればそれを目指す衝動にかられる。
「やらなくてはいけない事」が明確になる。
サッカー選手になりたいと思った時、君なら何をする?
練習。
試合。
クラブチームに入る。
更に練習。
結果を出す。
それを繰り返す。
必要なモノがシンプルになるはず。
人間界の目標は無限にある。
医者や弁護士だけではない。
まだまだたくさんある。
目標を定めよう。
多くの選択肢の中から「これだ!」ってのを見つけよう。
それが見つかった時の衝撃が大きければ大きい程、それを目指す力も強くなる。
目指す力は衝動になり、夢や目標に到達する原動力になる。
受験に落ちたからなんだ。
受験がうまくいったからなんだ。
一番大切なのは自分が「何になりたいか」だ。
更にそこに「お金を稼ぐ」を繋げられれば人生は加速する。
加速して、加速して、加速して、飛べ。
君の目標にどうしても受験が必要であればその為の努力を続ければいい。
リアルに未来を想像しろ。
それになる為の努力を惜しむな。
長い人生の1年や2年はくれてやれ。
それも加速になる。
落ちた事も、加速する条件になる。
自分の人生のクリア条件を探せ。
「なんとなく周りに合わせても」見つからない。
自分の人生なんだから、もっともっと真剣に考えるべきだと私は思う。
最後に元気を分けてやるよ。
ここまで偉そうな事をガツガツ言って申し訳ございません。
実は私、受験にまともに向き合った事がありません。
学生時代はほぼ推薦で、友達に合わせて進学を選び、入学してからもなんとなく周りに流されながら生きてきました。
そのまま社会人になろうとしましたが、普通に就職をするにも学歴が必要な場面が多く、目指した企業への就職は出来ませんでした。
「一流」と呼ばれる企業へ入れるのは高学歴の人がほとんどです。
自分にはどんなに特殊な能力があっても、どんなに気合いで溢れていても、「君は今まで結果を出してきたか?」が重要視されるからです。
良く考えたら当たり前だ。
だって、ほとんどの人が進学を選び、勉強をして、志望校へ行こうとするんだから。
勉強で結果を出せていない私のような人間を一流企業が求めるはずがないのです。
それがリアル。
評価する部分が無いのです。
今までなんの結果も出していないから。
だから勉強をする、そして一流大学に進学すると就職は有利になる。
だって、勉強して、努力して、「一流大学に入った」という結果を持っているんだから。
世の中は感情だけで動かない。
結果を出さなきゃ誰にも信用されない。
だから私には「一流企業に勤める」という権利が無かった。
でもこれからはどうだろう。
目標を定めて、「お金を稼ぐ」と繋げて、そこへ向かって努力を継続していく。
その内に何かしらの結果が出るかもしれない。
その結果は、「一流企業」が欲しがるモノかもしれない。
どの企業も欲しがっているのはプロフェッショナルだ。
自分がそれになればいいだけ。
で、今の私は結婚して、家族があって、それなりに幸せを感じながら今を生きている。
当時、勉強もろくにせず、受験には真剣に向き合わず、社会人の入り口で躓いたけど、何とか生きている。
で、おっさんになって、今こうしてブログを書いている。
もちろん目標もある。
多くの人に理解してもらえるような目標じゃないだろうから敢えて言わない。
でも、結果が出たら、凄く嬉しい。
お金は無い。
出来るならたくさんのお金が欲しい。
社会は勉強が出来なくても生きていけるように作られている。
一応ね。
お金を得る方法はいくらでもある。
アルバイトだって契約社員だってお金を稼ぐ手段。
大きな目標があればどんな仕事だって「今の生活を維持する為のお金を稼ぐ手段」として受け入れられる。
おっさんになってやっと未来をリアルに想像する価値を知った。
それでも何とかやっていけている。
大丈夫。
受験に失敗したところで私よりも君の方がよっぽど大きな可能性を持っていると思う。
私よりも圧倒的に若いんだから。
正直、羨ましい。
受験に落ちたって、羨ましいよ。
私の時間はすでに消費されて、戻って来ないんだから。
貴重な時間を落胆だけに使うなんて贅沢だな。
前を向け。
まだまだ人生はこれからだ。
落胆しているだけならその若さをくれ。
代わりに使わせろ。
時間ほど贅沢なモノは無いのだ。
君はそれをたくさん持っている。
どうか感想をください。