「ごめんなさい」の魅力

人間関係

子供の頃から「悪い事をしたらごめんなさいと言いましょうね!」って習ってきたが、大人になってもまだそれが出来ない奴がいる。

謝るのは早い方が良くないか?

後からだと余計に言いづらくならないか?

それとも結局言わないつもりか?

そんなもんは借金の踏み倒しと同じじゃボケ!

「ごめんなさい」って一言で解決する問題だって結構あるんよ。

それが大人になってもわからないって…。

プライドなん?

それとも敗北を感じるの?

恥ずかしいの?

なんで?

「悪いなぁ」と思ったなら、謝ろうよ。

本気で「悪い」と思ってないなら話は別だけど、悪いと思ってるのに謝らないのは違うでしょ。

大人がやらないクセに子供にはそれを求めてるって環境はどうなん?

家庭環境の差?

子育ての価値観?

本当にそうか?

お前が一番都合の良い所に釘刺してるだろ。

謝る子供と謝らない子供がそれぞれの価値観で生きてたらそりゃ衝突する。

それならせめて「謝らない理由」を言うべきだ。

「謝る理由」を聞くべきだ。

人間は便利な事に言葉を使う生き物なんよ。

言い訳もしないってなんなん?

人間やめたの?

悪い事をしたと思ってるのに謝らないのもダサいが、言い訳もせずにコミュニケーションを断つ奴はもっとダサい。

とりあえず、そんな奴の曲がりくねったクソな性格をバキバキに直してやるよ。

アイムソーリーが言えない奴も、言い訳も出来ない奴も、とにかく読め。

お前らは損をしている。

「ごめんなさい」の魅力を伝えておくからありがたく受け取ってじっくり味わえよ。

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「ごめんなさい」の意味。

悪い事をしたと自覚していても謝らない奴は、きっと「ごめんなさい」の意味を知らない。

それか間違った捉え方をしている。

誰の為に謝るの?

相手の為?

違うでしょ。

自分の為だボケ。

謝る事がまるで敗北のように感じてる奴がいるけどそうじゃない。

単純に反省だろ。

相手に迷惑をかけてしまったならもちろん謝罪しなくちゃいけないけど、謝るだけでは何も成長しない。

正直「ごめんなさい」なんてただの言葉で、誰でも言える。

重要なのは反省して、修正して、次の一歩を踏み出すことなんよ。

「ごめんなさい」は単なるきっかけ。

誰かに迷惑をかけてしまったら「何に対しての」ごめんなさいなのかちゃんと考えなくちゃいけない。

ちゃんと自覚しなくちゃいけない。

でも「ごめんなさい」すら出来ないザコが反省なんかするか?

しないでしょ。

反省もしなければ成長もない。

大してダメージを負ってないからね。

真剣に反省しないんだよ。

ところが「ごめんなさい」を悔しい想いや悪い事をしてしまった罪悪感を持ったまま素直に出来るなら反省する。

だって恥ずかしい事なんでしょ?

負けた感じがするんでしょ?

それでも「ごめんなさい」が言えるって凄いだろ。

お前には出来ないだろ。

お前と違って自分の間違いにちゃんと向き合おうとしてるからな。

「ごめんなさい」はちゃんと反省する為にあって、改善や修正の為にあって、自分の成長の為にあるわけよ。

「ごめんなさい」の意味を敗北や恥ずかしい事だけだと思ってる奴はアホだ。

ずっと同じ間違いをするかもしれない。

敗北感を感じながら、恥ずかしいと思いながら、それでもこれからの自分の為に「ごめんなさい」をするんだよ。

失敗を認め、しっかり改善して、気持ちを切り替えて、前を向いて頑張る為にあるんだよ。

「ごめんなさい」が言えない奴は自分から逃げてる弱い奴だ。

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ツールとして上手に使え。

なんでもかんでも「とりあえず謝れ」と言いたいわけじゃない。

誰かに対して「なんで謝る必要があるの?」と思う事だってある。

だから「何に対して謝るのか」はハッキリさせる必要がある。

相手が気分を害してるなら「気分を悪くさせてしまった事はごめんなさい」だ。

その後に「どうして気分を害したのか」聞けばいい。

そこで納得がいかない答えが返ってくるなら反論だ。

「ごめんなさい」は自分を偽る言葉じゃない。

プライドを捨てる言葉でもない。

敗北の言葉でもない。

場合によっては反撃の狼煙になる。

ツールとしても使えるんよ。

コミュニケーションの繋ぎ目として。

納得が出来ていないのに謝るな。

反省する必要がない部分に謝るな。

一方的に全てに対して謝罪する言葉じゃない。

部分的に謝って、そこからコミュニケーションを取る手段として使う方法だってある。

「俺は絶対に謝らない!」なんてスタンスの奴は多くの価値観に触れるチャンスを捨ててるようなもんだ。

「ごめん」「すまん」「悪い」「申し訳ない」を使いこなせ。

ツールなんよ。

反省すべき部分はちゃんと謝る。

それ以外はちゃんと自分が納得出来るようにキッカケとして使う。

有効に使えるツールとして大事にポッケにしまっとけ。

「ごめんなさい」を放棄するのはあまりにも、もったいない事なんだよ。

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「ごめんなさい」が言えないリスク。

人が争うと、その結末は傷つけ合う方へ向かう。

なぜか争ってしまう。

これは絶対なんよ。

人と人は繋がりを持って生きていくんだからそりゃ争う事もあるさ。

感情だってあるんだし。

でも本当は争いたくないんだよ。

揉めたくもないんだよ。

でも譲れない。

だから言葉を使えるようになってるじゃん。

人間の感情は複雑に出来てるから、行動だけじゃ伝わらないんだよ。

それなのに社会は人が支え合って作られてる。

だから言葉で気持ちを表現するんだよ。

言葉ってのは超大事なわけ。

もう説明する必要がないくらいに大事。

喋る。書く。

伝える手段として最も重要なんだよ。

しょんぼりしたり、黙り込んだり、怒ったりするよりも進化した表現なわけ。

「ごめんなさい」なんてのはその言葉のほんの一つ。

だけど超重要。

謝らないだけで伝わらない感情があるからね。

「ごめんなさい」が足りないだけで、その先は誰も理解してくれない事もある。

もったいなくない?

「あいつは謝らないから何も聞かない」とか言われたり、思われてたら、もうコミュニケーションなんて取れないんだよ。

本当の気持ちが伝えられないってすんげー悲しいんだよ。

言葉が通じないのと同じ。

感情が通じないのと同じなんだよ。

ハッキリ言ってリスクしかない。

「謝らない!」って決める事はリスクなんよ。

社会は人との繋がりの中で作られている。

その繋がりを断ち切ってしまうリスクがある。

言えないなら書け!

直接じゃ無理なら動画や録音で残せ!

何としてでも相手に渡すんだよ。

「ごめんなさいは絶対にしない」なんてナンセンスだ。

言えないなら伝え方を工夫しろ。

たった一言の言葉でリスクを背負うなバカ野郎。

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謝っても済まない問題もある。

「とりあえずなんでも謝っておけばいい」と思うかもしれないけど、そんな事はない。

人はとんでもない失敗をしてしまう事だってある。

残念ながらあるんよ。

そんな時に「謝って済む問題じゃない!」って言われる事もある。

「謝っても意味が無かったのか…」と思う?

「ごめんなさい」は意思表示にもなるんよ。

確かに謝っても済まない失敗をしたかもしれない。

でもそこで謝らなかったらどうなったと思う?

謝っても済まない問題だからって謝らない選択をするって奴はちょっと変なんだよ。

恨みしか生まない。

復讐心を煽るだけ。

そりゃ争いになるわ。

芸能人だって謝って済む問題じゃないのに謝罪会見をする時がある。

もう過ぎてしまった事だから取り返せない過去だけど、謝罪する。

もうこれは感じ取るしかない。

「どっちがいいと思う?」って単純な話。

もちろんそこからは行動や結果で示さなくちゃいけないけど、目の前で起きた事に対してどれだけ真面目に捉えられるかの問題。

私は個人的に「謝って済む問題じゃなくても謝る選択をしたい」と思っている。

合ってるとか間違ってるじゃなくて、「これからも人として社会と繋がりを持って生きていきたい」と思っているから。

謝って済む問題じゃなかったら「謝る?」「謝らない?」どっちが良いかな。

どちらか選んだその先の自分をリアルに想像出来れば答えは出るだろ。

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スタートの言葉。

「ごめんなさい」って終わり感がある言葉だけど、実はスタートだったりする。

ここまで読んでりゃ流石に気付くでしょ。

文章で言う「。」や「ピリオド」みたいなもんだと思う。

句読点も無く、改行もしない文章で伝わる?

伝わらないんだよね。

それに自分の人生の記憶としても残る。

私はこれまでの人生で何度か最大級の「ごめんなさい」を繰り出した事がある。

もちろん取り返しのつかない事もあった。

でも、ちゃんと覚えてる。

「ごめんなさい…」

そしてそれが節目になってる。

改めて人生を進む一歩目になってる。

まだまだ取り返せていない後悔や失敗ばかりだけど、自分が前に進まなきゃずっと放置されてしまう。

何倍にもして取り返したい後悔が今でもある。

それを取りに行くきっかけの言葉が「ごめんなさい」だったりするんです。

悔しいし、切ないし、恥ずかしいし、情けないけど私には絶対に必要。

だからこれからも「ごめんなさい」を大切にしたい。

こんなに魅力的な言葉はあんまりないんじゃない?

俺は「ごめんなさい」ばっかりだけどな!がは!